泥沼ボーダーライン

――『義姉さん』と。

そう呼ばれた時に、1本線が引かれたような気がした。





『さわらないで。――でも、はなれないで』




そう言い放ちながら、自分達は、家族と他人の間を、まだゆらゆらたゆたい続けている。











「・・・ったく、零の奴、人がせっかく「またね」って言ったんだから、ちゃんと返しなさいよね〜!頷くぐらいは出来るでしょ!?・・・何で黙り込んじゃったのよ、バカ零・・・」

向かい風に髪がなびき、一際派手にコートをはためかせる。

香子は口の中でプリプリ愚痴りながら、朝の街を歩いてゆく。

六月町の川沿いの道は、まだ人もまばらで、一人ごちる香子を奇異の目で見る者はいない。

――邪魔するものが何もない、誰もいない公園で立ち止まると、ベンチに腰掛け、香子は遠慮なく考えに浸った。





「・・・何が「まじょ」よ。・・・あたしが本当に魔女なら・・・こんな情けない思いはしてないわよ・・・」

昨夜と同じ台詞を、昨夜とは違う思いで口ずさむ。









――本当は、わかっている。

自分が、最初から理不尽な事を言っているのは。

そして、その言い分を受け止めてくれるあの4つ年下の少年に、甘えている事も。





――後藤の事は、確かに好きだ。

自分よりうんと年上だけど、強くて酷い男なのに、時々見せる弱さが、愛おしくてたまらない。

何より後藤は、自分を、勝手に好きでいさせてくれる。

――自分は、妻一筋のくせに。

その点も、家だの父だのに気を遣って香子から逃げた零とは大違いだ。

そして後藤は、利用する事も利用される事も許してくれる。

――悪役を買って出てくれる。

本人に面と向かって言ったら、『柄でもない』と、切って捨てられる事だろうが。





吹き抜ける風が、水の匂いを運んでくれる。

――十数年一緒にいたのに、自分は、零が河が好きだという事すらも知らなかった。

それぐらい、近いのに遠い。





――それなのに。

香子は、かつての光景を眼裏に思い浮かべ、キュッと唇を噛み締めた。





いつもビクビクおどおどして見えるあの義弟が、自分を傷つける後藤に殴りかかろうとした。

立ち向かおうと、してくれた。

――あの時の気持ちを何と表せばいいのか、香子は今でもよくわからない。

ただ、ボロボロに転がされた零を放って後藤を追いかけて、服の裾を掴んで、「好きでいさせて」と言ったのは、自分。

後藤の事を「好き」と口に出して言ったのは、その時が初めてだった。

――後藤が、何を思ったのかはわからない。

ただ、香子の髪をぐしゃぐしゃ撫でながら、「バカな女だ」と嘯きながら、拒絶だけはしないでくれた。





この男を好きでいる限り、零は自分の為に、後藤に対抗意識を持ってくれる。

――許せないと、吐き捨ててくれる。

あの感情がよく読めない厚ぼったい眼鏡の奥、さらに底の奥の目に、怒りが浮かぶ。

感情が動く。

零が傷ついているその瞬間が、たまらなく心地よかった。

――心地よかった、のに。










「・・・・・・バカ、れい・・・」


吐き捨てる声音は、自分でも呆れるくらいに弱々しい。

少し見ない間に、零の瞳は随分と穏やかになっていた。

それは多分、あのひと達のせい。

自分のような歪な接し方ではない――「食べて、れーちゃん!!」と、真っ向から思いを差し出す事の出来る女の子とその家族が、おそらく彼に、暖かさを教えた。

そしてこの短期間に、自分達と居た時には、決して無かった変化を零にもたらした。

――その事が、しゃくに障る。

「・・・・・・ふんだ、今に見てなさいよ、零の奴!!」

なおも一人ごちながら、香子は携帯をリダイヤルし、ひとつの番号を呼び出した。

対局前で気が張りつめているだろうが――そんな事、こちらの知った事ではない。

香子が好き勝手に振る舞った方が、後藤の方にしても、病身の妻の事を考えて沈む暇が無くなるという事くらい、こっちだってお見通しなのだから。





――今さら、違うやり方なんか出来ない。

「好きな奴苛めて許されるのは、小学校までだぞ」と呆れたように言い放ちながらも、きっと後藤はまた、八つ当たりさせて、甘えさせてくれるだろう。






互いに、1番に愛しているのは違う相手だと知っているから、今日も自分は、後藤を好きでいる。

体中が、息も出来ないような水の中に沈んでいくように感じながら。




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