それでもぼくらは3 「なぁ」 「はい」 互い、視線を交わさないままに語りかける。 「…何で、あんな地雷を踏むようなことを言ったんだ?」 そうすると、男は目を細めて、「さぁ何故でしょう?」とワザとらしく言った。質問を質問で返すな馬鹿野郎。 思う回答が得られずに、睨み付ける俺を見て、古泉はクスリと笑うと、「強いて言うならば」と再度口を開く。 「誰かに――そうですね、『僕』という自己の存在を認めてほしかったのかもしれません」 古泉は自分の顎に指を添えて答えを提示した。その仕草が、あまりにもキザったらしくて、イラッときたもんだから、鼻で笑ってやった。 けれど、心中では軽い自己嫌悪に陥っていた。 今のは、愚問だったのだ。またやってしまった、と。脳裏であの夕日に染まる下校と重なる。 だから、それは俺がちゃんと分かってやらなきゃいけなかったんだって。他でもない、俺だ。 ――本当は、お前は言われなくても分かってたんじゃないか? 己のどこかで、自身を叱責する声が聞こえる。 ――ただ、お前は全てに耳をふさいで。何度も奴が伸ばしかけた手を叩き落としていたんだろう? あぁ、奴はいつだって助けを求めていたのに。いつだって、俺はずっと、一番近くに居たのに。 それでも俺に何にも言わないで、こいつは、『古泉一樹』というしがらみから解放されることなく、もがき続けた。自分を押し殺して『古泉一樹』としての生活を強いられる。まるで、彼の存在ごと否定されるような毎日。…想像するだけで、ぞっとする。 俺は、それを我が身可愛さに見下ろしていたんだ。手を、差し伸べられないままに。 そんなことを考えていると、もう膝まで海水に沈んでいることを認識した。体の感覚まで麻痺してしまったのだろうか。…ああ、寒い。 ――お前は、全部に恐れていた。違うか? 違わない。あぁ、そうさ。俺は古泉以上の弱虫だからな。誰でもいい。いっそ責めてくれれば楽なのに。 自分の中で、叱責されることなく、晴れるわけもない自責の念だけが、増長して、溜まる。 そして、古泉の想いに気付かないフリして、自分の本心さえも、麻痺させちまったんだ。 だから、ついに古泉は耐えられなくなってこの選択を選んだ… ――違う。 俺が、選ばせた。 声はなく。ただ水中をばしゃばしゃと歩く二つの足音だけが鼓膜に響いた。 俺の葛藤を読み取ったかのように、古泉が口を開く。 「あなたのせいでは、ありません」 あぁ、またお前は何もかもを赦してしまうような物言いをしてしまうのか。くそ、つけあがるぞ畜生。 返事の代わりに、じめった掌を握り返す。俺だって、覚悟はできているはずだ。二日前の、あの日から。 しっかり頭の中で、言葉を三回反芻させてから、息を吸い込んだ。 「……俺は、お前の傍にいる。もう、迷ったりはしないさ」 視線はくすんだ地平線を見つめたままだったが、はっきりとした、声音で決意を示した…つもりだったが、どうだろう。 返事は簡潔に、「はい」と幸せそうな声で。 古泉は、優しい。だが、それが時に諸刃となって己に降りかかってくる。 優しいがために、全てを留めてしまい、毒を身体に溜め込んでいく。いつ壊れても、おかしくないはずだった。 …そうだ。俺は、こいつに言わなくちゃいけないことがあったはずだ。目線はしっかりと、男の瞳を捉える。 「古泉、俺は、おま…っのぅわッ?!」 ばしゃんと大きな音と水しぶきを上げて、一瞬にして視界が反転した。包み隠さず言えば、波に顔面からダイブしたのだ。 のぅわって…マヌけすぎる。いきなり足場がなくなるなんて卑怯だろ。どんだけかっこ悪いんだ。せめてあと十メートルくらいなだらかに続いてくれていたら…ムリか。 俺の視界が急降下する瞬間、引きづられて古泉も沈没するのを確認した。俺は口を開いていたから潮をもろに飲み込むが、イケメンはそんなヘマしないらしい。青暗い水の中で、古泉が苦笑していた。まったく腹が立つ。 むっとして、引力で一度放した腕を力任せに引っ張ると、思いっきり顔を近づけてやった。そして、先ほど言いそびれた言葉を段弁するように、そのままの勢いで唇を重ねた。水中じゃ、言えないからな。 本当に力いっぱいに引っ張ったから、歯がゴツンとあたった。水中じゃなかったらいかにも、な音が出たであろうくらい。 ほんの数秒して顔を離す。触れるだけのキス。奴は可笑しそうに顔を綻ばせていた。 悪かったな。かっこわるくて。 ふと、下に視線を落とすと、真っ暗な闇が広がっていた。 …あぁ、本当に何もかもを置いてきてしまった。 ハルヒたちは、どうするのだろう…。あいつの性格上、やっぱり俺たちを探すかな。実は団員思いだからな。何だかんだで、楽しかったよ。 母さん、父さん、バカ息子の最初で最後のハメ外しを赦してほしい。本当に、ごめん。今まで、ありがとう。 妹よ、お前は最後まで「お兄ちゃん」と言ってくれなかったな。これは結構ショックだぞ。お前の将来を拝めないのは残念だが、幸せになれよ。 …谷口たちは…まぁ、大丈夫だろう。 今頃になって、色んな人たちの顔が走馬灯のようによぎった。後悔はしてない、してないんだけれども……。 しかし、これは自分で選んだんだ。もう、戻れない。 世界なんか知るか。 俺は俺のやりたいようにするだけさ。 ぼこぼこと口から酸素を吐き出す。…やばいな、そろそろ苦しくなってきた。反射的に手で喉元を抑える。すると、開いていた腕が、ぐいっと引っ張られた。 何かと思うが、そんなことできる人間は、こいつしか居なくて…。 すぐに顔がとん、と何かにあたった。それが奴の胸板だと気付いたときには、俺は古泉の腕の中に収まっていた。 ずっと息苦しいだけだったけれど、何故だろう、安心するものがあった。胸につかえていたものが取れた、そんな感じだ。 ああ…安堵したら、今度は意識が朦朧としてきた…。うとうとと、瞼が重くなる。疲れてんのかな、俺。 ごぽっと、また空気が抜けた。 心の中で、彼に呼びかける。どうせ、心の中で語りかけたって聞こえやしないし、当の本人は、もう思考なんてぶっ飛んでんのかも知れない。目を閉じているから、分からない。だって、すごく眠いんだ。目が開けられなくなるくらい。 …――それでも。 なぁ、古泉。 俺は、ずっとここにいる。やっと、お前が伸ばした手を、差し伸べられた手を取る覚悟ができたんだ。 ……さすがに、遅すぎたかな。 本当はさ、もっと違う形で会いたかったって、心のどこかで思ってしまうんだ。 そうしたら、それなりに「普通」に一緒に居られたかもしれない。 別に今に不満があるわけではないけれど。 ああ、「こう」なってしまうのが分かってて、“神サマ“はわざと俺たちのポジション決めをしたのか? …いや、これはただの卑屈だな。“あいつ”はそんな遠回りなことはしない。 宇宙の果てめがけて、直球ストレートを超豪速球でどこまでも投げているような奴だもんな。 ゴメンな、ハルヒ。赦してほしいなんて言わないけど。 でも、俺は、もうこいつじゃなきゃ駄目なんだ。それだけは、事実だから。 ――こいつともう一度逢えるなら、…そうだな…。 誰の目も気にしないようなところがいい。 それで、俺はこう思うんだ。 我ながらクサい台詞と思うが、まぁ俺が考えたモンじゃないからな。受け売りだ。 それでも きっと、……―――― そこまで一気に語りかけて、俺は意識を完全に深遠の底へと手放した。 あの日の夕焼けの下での、幸せな時を理性の片隅で思い出しながら、 愛しい彼の腕の中で―― ――ねぇ、駆け落ちしませんか? どこへ? ――そうですね、誰も追って来れないような所へ、二人で 馬鹿じゃないのか ――ええ、そうかもしれませんね …… ――言ったでしょう?ぼくは臆病者なんです だから、“逃げる”と…? ――ふふ、僕はあなたとなら、どこへだって行けますよ ……恥ずかしい奴め ――では、その「恥ずかしい奴」に好意を抱いたあなたは、さて、何でしょうね? さぁ、何だろうな ――何ですか、それ さぁて かけ落ちなんぞしたら俺は迷子になるぞ? ――大丈夫です 僕が絶対にあなたを見つけ出しますから 俺が記憶喪失になって お前が誰か解らなくなってもか? ――いやにリアルですね 安心しください 僕は思うのですよ どんなことがあっても、 それでもきっと僕らは恋をするのではないか、とね ======================== 臆病ないっちゃんと、弱虫なキョン。ラストは恥ずかしい古泉← 前から書きたいと思っていたネタだったのですが、いざ文章化してみると在り来たりですね…… やっぱり話を考えるのは苦手です(´;ω;`) 後が長くてすいませんorz |