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それでもぼくらは2


夕日に照らされた坂を、二人並んで歩んでいく。当然と言うか、やはりと言うか、ハルヒたちは部室に戻って来なかった。ああ、朝比奈さんのお茶が飲めないというだけで、こんなにも荒んだ気分になれるとはね。改めてあのエンジェルの必要性を再確認だ。

SOS団の存在価値の九割九分八厘は、彼女の天使もビックリな愛らしさと、ふわりと甘く薫るお茶で成り立っているのだろうな。あ、その項目に、俺の精神安定剤も含有しておこう、うん。
それらを除けばミジンコ並みに低レベルな集団でしかないからな。

「それは酷いですねぇ」

隣の男は、全然酷いと思ってないような緩んだ声で笑った。

そうやって、ゲームとか、SOS団のこととか、最近のニュースとか…・・。他愛もなさ過ぎる会話をぽつぽつと話した。

しかし、俺の脳内では先程の一件がフルマラソンで渦巻いていた。
俺の心内を知ってか知らずか、何を思いついたように、いつものニヤケスマイルは唐突に語りかけてきた。

「…そういえば、先程何を言いかけたんですか?」

なんつータイミングだ…と思った。きっとこいつは話のネタがなくなってきたから、何となく、で話題を振ってきてんだろうな。
古泉の言う『先程』がいつを示しているのか、なんていうのは愚問で。

どう言えばいいかと、少しばかり逡巡した後、意を決して口を開く。表情を悟られないように、さりげなくを装い、古泉の半歩前を歩くようにして。

「お前は、勇気あるな、と思って」

口をついて出た言葉は思ったよりも滑らかで、実に冷静なもの、だった……多分。半歩後ろを歩く男は、少し驚いたようだった。しかしすぐにぷっと吹き出しやがった。何だこのやろう。

「いえ、すみません。けれど、僕はそんなにできた人間ではないですよ」

こいつは笑いながらそんなことを言うが、「好き」の二文字を口にすることが、奴にとってどれだけ危険を伴うものなのか。スカスカの脳みそなりにも、理解しているつもりでいた。

「僕は臆病なんです、本当はね。いつも機関に縛られて、“神”の機嫌に怯えて。世界のためとはいえ、バイトに行くのだって、実は逃げたいとも思っているくらいですよ。……しかしながら、『古泉一樹』はそうはいきません」

「困ったものです」と笑顔を貼り付けたまま、最後に言って口を閉じた。色素の薄い色と、それと同系色の瞳を覗けば、それはどこか遠く宙を眺めているようだった。

それでもやっぱり、強い、純粋にそう思った。
こいつが放った台詞は、こいつにとっての最大の禁忌。
いつも後ろにはバカデカい組織があって。同時にそれは、古泉にとって絶対の存在である。それに歯向かい、神をも裏切らなければいけなくて。世界の崩壊も覚悟しなければならないのだろう。
『俺』に思いを告げるということは、それと同等の意味だ。
…神に愛されていると漠然に言われても、俺に自覚なんてないのだが、それはそうなんだと言われれば納得するしかない。

どれだけ“神”は残酷なんだろう。
急に、視界がぐらついた錯覚に陥った。

「……俺は、…怖い…」

殆ど無意識に搾り出した声が、情けなく震えた。声の勢いに連動するかのように、視線はアスファルトへと落ちていく。

「はい」

たっぷり数秒置いてから、古泉が返事をした。まるでその声は全てを赦す聖母のようなそれで、思わず泣きたくなってしまう。
恐らく、こいつは分かっているんだろう。俺が古泉の気持ちに気づいていたように。俺が、古泉を想っていたことを。

…きっと、互いが好きあっていることに気づいていた。多分、随分と前から。が、俺はそれに蓋するかのように見てないフリを続けてきた。
本当は、「好き」なんて彼の口から出させてはいけなかった。俺が先に告げるべきだったのだ。優しいこの男に、この決断はあまりにも残酷すぎた。

そして、その残酷を強いたのは、紛れもなく、俺だ。

現実に目を背けて逃げていた俺。……最低だ。自分で自分が情けない。あまりの不甲斐なさにいっそ泣けてくるぜ。
けれど、どうしても怖いんだ…世界が、今までの世界が変わってしまうことが。

何故、『俺』が『鍵』でなくてはいけなかったのだろう?
何故、もっと『普通』に出逢うことができなかったのだろう?
俺の双肩に、“世界”は荷が勝ちすぎている。…もう、潰れてしまいそうだった。

「…ッ…俺はっ…!」

暖かいものが頬を伝った。何か言いたいはずなのに、言葉にならない。見られるのが嫌で、必死にブレザーの裾で拭う。きっと今、酷く不細工な顔しているんだろうな。
いつの間にか後ろを歩いていたはずの古泉が追いつかれてしまったらしく、古泉の瞳は真剣そのものになっており、じっと俺を黙って見つめていた。

…俺って、こんなに脆い人間だったかな。悔し涙なのか、悲し涙なのか、はたまた何かに恐れているのか……。…いや、全部だな、きっと。
くそ、嗚咽でうまく喋れない。

「俺は弱…い、から…ッ。ずっと全、部…目…背けッきて――!?」

いきなり歩みを遮られ、ふっと優しい香りが鼻をくすぐった。
一瞬、何が起きているのか、自分の動かない唇を叱咤するのに必死で、理解できなかった。そこで、ようやく自分が古泉に抱かれていることに気づいた。そいつの肩越しに、いつの間にやら坂を下りきり、分かれ道まで来ているのをぼんやりと認識する。
痛いくらいの力で抱きすくめられて、苦しいと思ったが、それ以上に胸が締め付けられた。

「……」

奴の顔は俺の肩口に埋められていて、表情なんか見ることもできないが、恐らく眉根に皺を寄せてるに違いない。お前にそんな顔は似合わないぞ。ほら、イケメンが台無しだぜ。

そのままされるがままになっていると、徐に古泉は顔を上げた。視線がかち合う。
いつもなら「顔が近い!」と罵声の一つや二つ浴びせるような超至近距離だった。すると、それまで硬かった顔をやわく崩すと、腕を開放しないままに奴は言った。

「ねぇ、駆け落ちしませんか?」

俺は声を出して笑った。言った本人も、つられるように吹き出した。
…カケ落ちか。それもいいかもしれない。
そのときに「馬鹿じゃないのか」なんて古泉に対して言ったが、それは面白そうだと同調した俺も、馬鹿かもしれない。

今日、これから家に来ますか?
ああ、そうだな。…この前のゲームまだ途中だったよな
そうですね…ついでに何か買っていきましょうか
いいな、お前の冷蔵庫はいつも枯渇状態だからな
おやおや、そんなことないですよ…自炊が得意とは言いませんけど
ついでに何かつくってやるよ
本当ですか、それは嬉しいですね――
………
……




……。
…くん…。
……キョ…ん」。
「キョンくん」

頭上から名前を呼ぶ声がして、目を開いた。反射的に声のしたほうに顔を上げれば、クスリと笑って「お早うございます」とか言われた。…上から物を言うな、忌々しい。

「今、寝ていたでしょう?あなた」

意識が飛びかけていたことは潔く認めよう。

ぼんやりとした頭で返答する。…どうやら意識が遠のいていた間、ずっと支えてくれていたようだ。
それを確認すると、古泉が抱いている腕を解こうとする。
しかし俺は、まだもう少しだけ、と言うように縋り付く。そんな俺を見て、古泉は放しかけた腕を持ち上げ、頭を軽く撫でてくれた。それが子供をあやすような動きで、それ以上は恥ずかしいやらむず痒いやらで、耐え切れず男の体を開放した。

今まで抱き合っていた奴は、「それでは行きましょうか」と、いつぞやのように掌を握ってきた。『いつぞや』と違うところは、繋いだ手が、少しだけ汗ばんでいたことくらい。

二人並んで眼前を見上げる。かつて青かったはずの、灰色の雲に覆われた空と、いろんな物で薄汚れた暗い色の海を見つめた。それが俺たちには分相応だと感じる。…とても漫画やテレビで見るように、綺麗とはいえないものではあったけれど。

“世界”を相手にした反逆者に、歓迎などないのだ。

「……」

どちらからと言うこともなく、二人歩き出す。
ゆっくりと。
まだ入るには冷たすぎる水が踝に纏わりついた。冷たい、と眉を寄せると、「大丈夫ですか」と笑いかけてくる奴がいた。

「ああ」

俺はぎこちない笑顔を作って、それに答える。よく見れば、そいつも顔を歪めて微笑んでいた。それが海水の冷たさから来るものなのか、それ以外なのか。俺には知る術なんてないけれど。

決して歓迎されていない冷たさ。
しかし、あからさまなそれは、いっそ清々しいくらいだった。

繋ぐ掌から、若干の震えを感じ、俺だけのものではないな、と思う。
…怖いのだろうか。
そういや、と思い出す。
古泉は自身を“臆病”だと罵った。
では何故、奴は臆病だと自嘲しながらも、ヘタすりゃ世界の終わりをも生むようなことを口走ったのか。




あきゅろす。
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