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――兄さんが、出発する瞬間の少し前の話です。
あの後、僕らと一通り言葉を交わした兄が「父さんにも一言挨拶してから行く」と言って家の外に出てから十分ほど経った頃。そのときはハルヒさんも一緒に外に行った。(できるだけ最後まで一緒にいたかったのだろうな)

必然的に家の中に残ったのは僕と母さんだけだった。
息子が離れてから時間が経ち、ようやく落ち着いた母さんが口を開いた。

「……一樹。お前、好きだったんだろう?」

これで良かったのかい?と問う瞳はまだ赤く潤んでいたのをよく覚えている。

「……ええ、好きでしたよ」

母さんが『彼』と『彼女』のどちらを指しているのかは分からなかったし、追求もしなかったけれど。でも、どちらにせよ答えは同じだった。

「これは僕が心から望んだ、兄さんとの約束ですから。これでいいんですよ」

そう応えれば、母さんは静かにそう、と漏らした。
とても、穏やかな気分だった。それは諦めではなくて、本心。

確かに、彼のことを愛していた。それは本当は報われることのない想い。……それでも、彼女を――ハルヒさんを憎めるはずがなかった。

兄さんとハルヒさんが付き合い始めた頃、当時僕は言い得ぬモヤモヤした塊が胸を支配していた。幸せそうな二人を見るのは、微笑ましくもあり、同時に胸がちくりと鳴った。
僕だって年頃の男子です。その感情が何なのかは見当がつく。……それは、間違いではなかったけれど、肝心なところを違えていた。

ある日、偶然、タイミングの悪いことに二人がキスをしているのを見てしまった。
あっちは僕に気付いていなかったけれど、僕の方からは幸せそうにはにかむ二人がはっきりと見えた。
その刹那愕然とした。感じたのは、兄の腕の中にいた彼女への紛れもない嫉妬と羨望。

僕はそれまで、自分は彼の隣にいるハルヒさんに好意を持っていると思い込んでいた。しかし一瞬の内に、彼女へのモヤモヤとした感覚は、自分の兄が好きだった事実をつきつけたのだ。
同時に戸惑った。だってそうでしょう?相手は同性で、家族で、兄弟だった。

しかし、あんなに明るくて、気持ちのいい涼宮ハルヒという女性を、どうしたら嫌いになれるだろうか。
……結局僕は、兄も、兄の愛した彼女も好きだったのだ。


「あの頃は、本当に毎日が幸せで……辛かったんですよ」

僕が彼女を「涼宮さん」と呼び、嫁いできても決して名前で呼ばなかったのは、恥ずかしさからだと思っていた。(本当は、心の奥底で『義姉』と認めたくなかったから)
僕が昔からあなたのことを「キョンくん」とか「あなた」と呼んでいたのは、少しでも兄に近づきたい幼心だと思っていた。(本当は、『兄』なんて思いたくなかったから)

そういえば、あなたのことをあだ名でも呼ばなくなったのはいつからでしたっけ?

ふと、兄の最後の笑顔を思い出す。僕が兄離れ宣言したときの、あの微笑。

「……兄さん、実は僕の気持ち知っていたんじゃないですか?」

そう茶化して言っても、言葉はない。
「……ごめん」と、彼が罰の悪い顔をした気がした。僕からは、彼の表情は見えないけれど。あまりにもそれが彼らしく感じて吹き出してしまった。

「いいんですよ。妻がいるのに、僕とまでどうなってほしくありませんでしたし」

家庭内ドロドロなんてごめんですからね。……ほんのちょっとの見栄は秘密。

今は、あのどこへ行くにも危険だった頃では想像も出来ないほど平和になった。
……いまだ日系アメリカ人への偏見がなくなったわけでないけれど、先の戦争で日系人二世の部隊――442部隊の功績は大きく取り上げられ、日系人に感謝を示す者も増えた。

終戦後に開かれた442部隊を称えたパレードでの大統領演説は決して生涯忘れはしないだろう。

全部、あなたたちがくれたんです。
この平和も、僕たちの人生も……そして、あなたは僕に生きる目的を示してくれた。本当は報われることのない想いを、違う形でも掬ってくれた。

さらさらと、やわらかい風が顔を撫でる。眼下には海が見える、小高い丘の上。きれいに切り揃えられた緑の絨毯が、そよ風に合わせて波打つ。
上を見上げればまっさらな青空で、本当に心地いい。

「ほら、あそこのハルヒさんたちが見えますか?あなたの娘さんもあんなに大きくなりましたよ」

僕らとは少し離れたところで無邪気に笑い合う、彼の妻と、5歳の少女を目で追う。
「二人で話したいから」と申し出たら、気を利かせて距離をとって待ってくれているのだ。

「……なんて、さっき一緒に挨拶したんですから分かりますよね。子供の成長の速さには驚かされるばかりです」

ふと思う。僕たちの両親も、同じ気持ちで育ててくれたのでしょうか。

兄さんが、なんだか、もの言いたげに僕を見ている気がするので、こう付け足す。

「僕が結婚しないのは僕の意志ですからね。あなたが責任を感じたり、気にしたりすることではありません。別にあなたの奥さんに手を出すつもりはありませんから安心してください。
……え?……可愛い姪に何かするわけないじゃないですか」

兄さんが家を出てから、何度か、母さんがハルヒさんとの婚約を勧めてくれたが、僕は辞退した。
彼女のことは好きだが、それは家族に対するもので。彼女だって、今でも夫を愛している。
僕は僕で、大切な人との約束をこれからも守り続けなければなりませんしね。

――“彼と一緒にいられる時が来るまで”僕が彼女を支えていく。
その誓いは僕の中でなおも生き続けている。

「……さて、そろそろ行かないと、ですかね」

見遣れば、何物でも興味を持ちやすく反面飽きっぽいお年頃のお姫さまが、もう帰りたいとお母さんを困らせている。
きっとあの子は母親似の性格なんだろうな、将来は手を焼きそうだ。と、少し微笑ましくなる。

また来ますね、と胸の中で呟いて立ち上がる。ずっと彼女たちを待たせているわけにもいきませんし。

「一樹くん、もう話し終わったの?」
「ええ、お待たせしました」

そのとき、とん、と足に軽い衝撃を感じて視線を落とす。

「いつきおじさん!パパとなにを、おはなしたの?」
「秘密、です」

腰を落とし目線を合わせて、人差し指を口元にあてる。
するとお姫さまは「え〜?」と苦い風邪薬を飲んだ後みたいに口を尖らせてしまった。
……その表情は僕と彼が幼かった頃、ケンカして父に叱られたときの兄を思い出させた。

「おじさんなんでニヤニヤしてるのー?」
「何でもないですよ」

おやおや、僕も顔に出てしまっていたようですね。

小さな手を引いて歩き出す。僕らの家へ。
帰る頃には母さんがお昼を作って待っているだろう。

「……ねぇ、一樹くん」

可愛い可愛い姪っ子を挟んだ横でハルヒさんが口を開く。

「キョンは……あの人は何か言ってた?」

僕はふむ、と少し考えをめぐらせてから、

「『母さんと父さんに無理言ってどうか寿命を縮めてくれるな』と。それから『娘が母親に似ませんように』と、申しておりました」
「バカキョン。今度会ったら私がいかにアイツなしで立派にやってたか、目の前に正座させて5時間は語り聞かせてやるんだから」

口ぶりは怒っているようでも、表情はどことなく嬉しそうだった。


ねえ、あなたが愛してくれた、残してくれた世界は、こんなにも綺麗です。
大好きな人たちがこんなに笑っていてくれる。
……いまここにあなたはいないけれど、次にそちらで会えたときはまた賑やかになりそうです。

ですからそれまで、もう少し。もう少しだけ。
幸せな時間の中にいることを許してくれますか?


手向けたスターチスの桃色の花びらが、優しい風に舞っていた。




(永遠に変わらない思い、変わらない誓い)



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ドラマは始終号泣して見させていただきました……(´;ω;`)
本当に辛かったです。でもあれも今があるための現実なんですよね。

知識浅いのに出張ってすいませんorz
スターチスの花言葉素敵。


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