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Novel
【プラヴィック-Pluveck-U】【下ー2】








「哉太!おい、哉太!!
…っくそ、いい加減目を覚ませよ!」


仰向けに転がした一樹に馬乗りになり、へし折った鋭利な角を喉元へと突き付ける。水槽のガラスを殴り声を張る錫也の想いも届かないのか、荒い呼吸を繰り返す一樹を憎しみに歪んだ表情で睨み付けると、哉太はゆっくりと角を持つ右腕を頭上へと上げていった。


「はぁ…っ、く……七海…」


哉太が自分を刺し殺そうとしているのだと悟り、一樹は悲しげに目を細めた。今なら哉太にも隙がある。はね除けるなり、硬質な爪を哉太に突き込んで怯ませる事だって不可能ではないのだ。


「………無理だ…。」


だが、どうしてそんな事ができるだろうか。一樹は一瞬動かしそうになった腕の力を抜くと、ふう、と息を吐いて苦笑した。今哉太が操られているのは感情だけであり、怒りの感情だけでここまで動けるのであれば"自分が死んだ後に、代わりに此所から脱出する事だってできるかも知れない"。哉太と手を合わせたのは今回が初めてだった一樹は、彼の強さによって殺される事に安堵すら覚えた。視線を哉太から逸らし、隣の水槽の錫也に目を遣る。右腕が無い事には驚いたが、固いガラスを何度殴り付けても一向に痛みに怯む様子が見られない事から、手にも硬い皮膚や甲羅を持つ水辺の生物…蟹等のプラヴィックだろうかと瞬時に推測した。この頭の回転の早さこそが己の死を招いてしまった事はわかっている。しかし、だからこそ人間の言いなりであり続けずに済んだのだ。
全て…とは言わない。でも……やれる事はやったよな、俺…。


「殺れよ、七海。」


その凛とした声に、錫也は残っている左手をぎりぎりと握り締める。哉太を見てもその目に迷いはなく、余計にもどかしく、余計に悔しい。
なんだよ、哉太…!その人はお前にとって大切な人なんだろう…!?


「なんで…」


錫也はこの施設に連れて来られる時に、たった一人の友人と引き剥がされた。いわばその友人こそ錫也にとっての"大切な人"なのだ。もし自分が人間に操られるがままその友人を殺す事になったとしたら…など、悍ましくて考えたくもない。しかしそれと似た状況が目の前で繰り広げられているのである。


「なんで人間の言いなりになるんだよ…ッ」


「……あ゙ぁ?」


「だから!なんで人間の言いなりになるんだよ、哉太!!!」


桜士郎は、"一樹はEXEである"と思い込ませる事によって哉太を操っている。故に「人間の言いなり」という言葉は、怒りの感情に支配されている今の哉太にとって非常に聞き捨てならない言葉だったのだ。哉太がEXEを"裏切り者"と呼ぶ事を知っていた錫也は、彼に睨み付けられた事を好機と思い、叫ぶ。


「相手をよく見ろよ!お前は、自分の大切な人を殺すのか!?」


「…何言ってんだよ、錫也。」


「首輪の文字を見ろ!!EXEの文字が入ってないだろ!?だから…っ」


…チッ
その時、舌打ちの微かな音をマイクが拾った。


「……東月君を黙らせておくんでしたね。」


それに気付かず言葉を続けようとする錫也に、舌打ちをした本人…郁がマイクに口を近付けた。


『東月君。それ以上は黙っててもらおうかな?』


郁は忌々しげに吐き捨てると、マイクを切り素早く指示を出していく。


「白銀君はそのまま操作を続けて。神楽坂君は東月君を……、…いや、白銀君が行こうか。」


「…えっ?」


ただならぬ空気を感じて、壁に凭れていた身体を離し早速錫也の水槽に向かおうとした四季だったが…突然の桜士郎の指名に驚いた。何故EXEでもないのにハインダー・プラヴィックに挑もうというのか…。
…それよりも、なんで人間が行くの……?
四季は思わず首を傾げた。


「くひひっ 久しぶりに俺の出番だねぇ〜
麻痺?それとも殺す?」


コンピューターの画面から目を逸らさず、カタカタとキーボードに命令を打ち込みながら桜士郎が笑う。


「蟹のプラヴィックは貴重だからね…、呼吸はできるように麻痺させて。くれぐれも殺さないように。」


「りょうか〜い。…でも、蟹君が騒いでた方が計算の難易度が上がって俺は楽しいんだけどー…」


「蟹のプラヴィックに毒がどのくらい効くか、まだ試した事がなかったのを思い出してね。君が行けば一石二鳥だよ。
毒は持ってきてる?」


「勿論!いつも持ち歩いているよ。
んじゃ、"飲む"から…エジソン君バトンターッチ!」


「ぬいぬいさー!」


「くっひひひ!水嶋さんも貧乏性だねぇ」


桜士郎が白衣の内ポケットに手を突っ込みながら席を立つと、即座に代わりにキーボードを打ち計算を続けながら翼がコンピューターの前に座った。桜士郎は白衣から取り出した試験管の中身を、錫也の水槽に急ぎながら躊躇なく飲み込む。そして水槽の扉を開け試験管を適当に床に放ると、さっさと中に入って行ってしまった。四季は風のように通り過ぎて行った桜士郎をぽかん…として見つめていたが、彼が投げていった試験管に目を遣り、拾い上げてまじまじと見つめる。透明の雫が硝子を伝い、床にぽたりと垂れた。


「神楽坂君。」


「なに…?」


実験を円滑に進めたかった郁としては、最初に錫也を黙らせておかなかったのは愚かなミスである。だが桜士郎が対処に向かった事で安堵したのか、その表情は穏やかなものに戻っていた。そして水槽を眺めながら、試験管を持つ四季にほくそ笑む。


「…触らない方がいいよ。」


「…」


不思議そうに郁を見つめる四季に試験管を回収する為に職員が近付いてきたので、試験管を渡しながら「どういう事?」と聞いても「見ていればわかる」と答えは素っ気ない。取り敢えず、触るな、と言われたので床に垂れた液体は避ける事にする。監督である郁と四季以外は皆忙しそうに動き回っており、四季は諦めて郁の隣に立った。


「…えっ?」


そして様子を見ようとぼんやりと錫也の水槽に目を戻した四季だったが、ほんの一時目を離しただけだというのに様変わりしていた状況に、思わず声が漏れた。それは、EXEとして様々なハインダー・プラヴィックと闘った事のある四季としては、にわかには信じがたい状況だったのである。


「ねぇ、あの蟹って…そんなに弱いの?」


片目が見えない状態で自分に勝った直獅が、まだ万全だった時にやや手子摺った相手だと聞いた。そんな者が、何故こんな短時間で人間相手に地に伏せられているのか、四季には理解できなかったのだ。





















"出来損ない"
桜士郎は家族や仲間にそう呼ばれ続けてきた。仲間と同じ事ができず、馬鹿にされ、疎外され、結局仲間を…家族すらも全員殺してしまった。次に見付けた仲間の中では、ゴーグルで目を隠しわざと奇異に振る舞う事で、最初から円の外にいる事を選んだ。拾った本に熱中し、知識量を増やした。
ある時、桜士郎の仲間は全員いなくなってしまった。桜士郎が散歩に出掛けている間に、全員"この施設に連れていかれた"のである。


「久々の運動だから、鈍ってなければいいけどねぇ〜」


毒を飲み干し、錫也の水槽に入った桜士郎は、驚いたように自分を見つめる錫也に呑気に手を振った。声を掛けている間は哉太は一樹を殺さないだろうと感じたのか、錫也は桜士郎を警戒しながらも哉太に向かって声を張る。


「あー…、それ。それやられちゃうとうちの上司が怒っちゃうからさ〜…やめてくんない?」


「……首輪が無いから人間…だよな。
EXEも連れないで…死にに来たのか?」


桜士郎は白衣の袖を捲り、尖った形をした特徴的な爪をじぃ、と見つめる。そしてニヤァ、と口角を上げると、視界を妨げるゴーグルを外そうと両手をかけた。


「くっひひひ、確かに。俺は首輪はしてないけど…」


ゆっくりとゴーグルを外し砂地に放った桜士郎の目を見て、錫也はあまりの衝撃に息を呑み、思わず一歩後退った。


「…っ!、……な…、ぁ…」


ゴーグルを外した桜士郎の顔を見ると、人間の目がある部分に、なんと左右に五対、更にその中央にも一つ…合計十一個の小さく赤黒い目玉がずらりと並んでいたのである。真ん中の目玉はレンズに収まらないが鼻ベルトと長い前髪で隠していたようで、桜士郎を"人間だ"と思っていた錫也にとって、そのグロテスクな顔貌は二重に彼を震撼させ身体を硬直させる。


「ざーんねんでしたぁ〜
俺は人間じゃない。……蠍のプラヴィックさ、東月君。」


普段のふざけた口調ではない、ぞくりとするような低い声に、錫也は喉を鳴らす。
なんだコイツは…!人間でもない、EXEでもない、…なのになんで首輪をしていないんだ!?
だが錫也に、ゆっくりと考えを巡らせる時間などない。桜士郎が間違いなく、何らかの手段で早急に自分を黙らせる為に来たのだと分かっている。爪が凶器となりそうだが、甲羅のある錫也には通用しない。錫也は冷静に判断すると、乱れた心を落ち着かせ、左腕を構えた。


「くひひっ 片腕なのに頑張るねぇ〜
それじゃ、さっさと終わらせようか」


「…その爪…、折ってやる。」


「怖い怖〜い」


「っ、馬鹿にするな!!」


数メートルの間合いを一気に詰め、硝子を殴り続けても殆どのダメージを受けない強固な拳を顔面に叩き込もうと、錫也は腕を振るう。だが対する桜士郎はというと、なんと呑気に、食い込んでいたゴーグルのフェイスパッドの痕を指先でなぞって遊んでいるではないか。攻撃を避ける様子も応戦する様子も見られず錫也は内心舌打ちをするが、それは簡単に攻撃を食らわせる事ができるという事でもある。
舐めてるのか知らないけど…後悔させてやる…!
そして錫也の拳が桜士郎の顔に容赦なく叩き込まれ、桜士郎は地に伏せる…。…はずであった。


「…っ!」


だが実際は、そうはいかなかったのである。


「甘いなぁ東月君…。君の甘ぁい脳味噌みたいに甘いよ…?」


桜士郎は攻撃を避けなかった。錫也の拳を、避けずに右手で受け止めたのである。蠍の身体は見た目に反して柔らかいもので、錫也の硬い拳を受けた手の平からは青い血が滲んでいたが、これこそ桜士郎の作戦だった。錫也には右腕が無い為、左腕さえ一時的にでも動きを封じれば"首元"はがら空きとなる。以前、直獅が錫也と拳を交えた時のデータから、桜士郎は錫也の関節部だけは柔らかいという事を知っていた。蟹は脚の各関節が関節膜によって繋がっており幾分硬度がある。だが蟹のプラヴィックは人間の外見をしている為に本来の蟹と同じような関節を持つ事ができない事があり、甲羅(外骨格)に覆われた箇所と箇所とを(外観を人間と同じ様にする為に)関節膜なしに自由に動かせるようにしなければならない。故に、外骨格同士がぶつからぬように空間を作る必要があるため、錫也の関節部分は柔らかいのである。その分析データさえあれば、後は簡単である。桜士郎は空いた左手を素早く錫也の首に伸ばし、鋭い爪を躊躇なく突き刺した。


「ぅぐっ!!」


「……命中。」


声を弾ませながらも小さく呟くと、数秒おいてゆっくりと爪を引き抜いた。


「痛ぅ…っ、この!!!」


「おぉっと!ほんっとに威勢いいんだから〜
…でも、あんまり動かない方がいいよぉ?くひひっ」


「どういう……ッ、ぁ゙……ぐ…っ!?」


爪を抜かれた錫也は一瞬痛みに動きを止めるも、即座に右足で桜士郎の脇腹を蹴りつけようとした。殴っただけで血を滲ませる程皮膚が弱いのであれば、脇腹を攻撃すればかなりのダメージを与えられるであろうと考えたのだ。だが桜士郎が、錫也の手を掴んでいた右手を離しひょいと後ろに飛び退いた為攻撃は外れてしまう。もう一度攻撃をしかけようと、桜士郎の言葉に牙を向きかけた…その時である。桜士郎に刺された箇所にズキズキとした痛みが生じ、それほど動いていないというのに汗が額に滲み始めたのだ。


「くひひひ 俺がただ単に爪を刺したとでも思った…?」


痛みや発汗だけではない。直に身体中の筋肉が言うことを聞かなくなり、遂に錫也は砂に膝を着いてしまった。自分の身体に起きた、明らかに異常な事態に錫也は一つの可能性を口にした。


「ま…さか、……毒か…ッ!?」


「はぁーい、ご名答〜!」


ぱちぱち、と茶化すように拍手をすると、桜士郎は放り投げたゴーグルを拾い上げた。もう戦うつもりはないのかのんびりと伸びをして、再びゴーグルを装着する。


「はあ…っ、く……そ…!」


「呼吸苦しくなってきた?大丈夫、死なないように毒は俺が"調整"しといたからさ!くっひひ〜」


桜士郎は得意げに笑うと、水を払うように両手を振った。すると爪から透明の液体が飛び散り、砂に吸収されていく。
桜士郎は"出来損ない"に相応しい蠍であった。蠍のプラヴィックは本来の蠍のように尻尾と毒針を持っている個体が多いのだが、時折桜士郎のように尻尾を持たない個体が生まれる事がある。尻尾を持たない者は、場合によっては特別視されてしまう事もあるがそれだけでは出来損ないとは言わない。尻尾のない蠍のプラヴィックは、毒針の代わりに鋭く尖った爪を持ちそれを用いて攻撃する事ができる。桜士郎にも爪は備わっていたが…、災難な事に、彼は自力で毒を作り出す事ができない身体だったのである。その為、尻尾も毒針もなく、おまけに毒すら作れない桜士郎は"出来損ない"と蔑まれてきた。だがその代わり、桜士郎は生まれながらにずば抜けた知能を持っていた。まだ野生であった時、遊びで罠を作り小動物を捕まえたり、それらを解剖し構造を調べてみる等通常の蠍では行動し得ないような事をしていたのである。
ところがある日、その優れた知能は、仲間からの迫害に対して自ら死を選ぶ道を示してしまう。絶望した桜士郎は、なんと罠で捕らえた毒蛇の牙を自分に突き刺して死のうとしたのである。毒蛇に噛まれた仲間を見た事のある桜士郎としては、死ぬ確証のある一番良い方法であった。…しかし、いくら待っても症状らしい症状は現れない。牙が刺さった事によるちくりとした痛みこそあったが、それ以外は全く無症状だったのだ。違和感と言えば指先に何かが詰まっているような感覚があったが、一向に死ねそうにないので桜士郎はやれやれと肩をすくめ、諦めて仲間の元に帰ろうとした。そしてその帰途、自分が仕掛けていた罠のある場所に寄り捕まっていた兎を逃がしてやろうとその身体に手を伸ばした時、うっかり兎の身体に爪が刺さってしまった事から、桜士郎は自分の身体の奇妙な構造に気が付いていく事になるのだった。
桜士郎は自力で毒をつくる事はできない。その代わり彼の身体に入った毒はいかなるものも効かず、取り込んだ毒を、本来の尻尾のないプラヴィック同様に爪から相手に注入する事ができるようになるのだ。また施設に入ってからの研究により、身体の中で毒を弱めてから指先にある毒腺に貯める事もできると判明した。つまり今回錫也に刺したのは、大きな声を出せない程度に呼吸を抑制するよう弱められた蠍の毒だったのである。桜士郎は白衣の中に毒液を常時忍ばせており、人間からの指示があればすぐに対応できるようにしている。


「それじゃあ、しばらくしたら毒も消えると思うから…少しの間大人しくしててね〜」


「…はっ、ぁ…はぁ……ッ」


毒が回り砂地に伏せってしまった錫也を放置し、桜士郎は出口へと向かう。使いきらなかった毒は手を振るか絞り出すかして体外に出すしかなく、桜士郎はぶんぶんと呑気に手を振り、先程出し切れなかった毒を払いながら歩いて行った。


「畜生…っ、……ちくしょぉ…!」


錫也は悔しさに目に涙を浮かべながら歯を食い縛り、上手く動かない身体に鞭打ち、力を振り絞って哉太達を見る。
殺させたら駄目だ…!絶対に…ッ
荒い呼吸を繰り返しながらなんとかして首を動かすと…、予想外にも一樹の角を持つ手が震え、左手を額に当て苦悶の表情を浮かべている哉太が錫也の目に入った。目だけを動かして水槽の外を見ると、何やら人間達の焦りが窺える。


「哉、太……お前…」


もしかして、自分の声が届いたのだろうか?錫也は少し安堵すると、身体の力を抜き完全に倒れ込んだ。
そして錫也と反対に慌てている人間側は、哉太のマイクロチップから送られてくる情報に四苦八苦していた。水槽から出た桜士郎はただならぬ空気の色を感じ、急いで翼の下へと駆け寄る。


「どうしたのエジソン君…!?」


「ぬがが…っ、鳥の巣君からの反発が強くて……感情のコントロールができないのだ…!」


「チッ ……遅かったみたいだね…。」


「流す電流を強くしてみたけど、見ての通り鳥の巣君が痛がってる。…感情コントロールは限界だ…。」


「…イイところまでいってたから惜しいけど……、…仕方ないねぇ〜…。取り敢えず、感情コントロールの限界はなんとなくだけど把握できたし、良しとしよっか。
感情の方は俺がうまく切るから、エジソン君は操作盤の方頼むよ!ココロとカ・ラ・ダ、どっちがコントロールしやすいのか比較するいい機会かもね…くひひ!」


「成る程…確かにそうなのだ!了解了解〜っ………っていうか言い方気持ち悪いぞおーしろ…。」


桜士郎が翼と席を代わり、感情の急激な変化により哉太にショックを与えてしまわないよう、徐々に気持ちを落ち着かせる為情報を計算しコードを入力していく。翼はいつでも操作盤による身体コントロールが開始できるよう、コンピューターと水槽とを見比べてその時を待った。


「……っ…く…!」


「七海…?」


水槽の中で哉太に馬乗りにされ、哉太に殺されてしまうのを待つばかりかと目を閉じていた一樹は、先程から哉太に動きがないばかりか苦しげな声さえ聞かれるので、瞼をゆっくりと上げた。哉太は苦悶の表情で痛みに耐えているようであり、汗すら浮かんでいる事から、最早一樹を殺すどころではないと見て取れた。


「おい、どうした!?」


「痛ぅ…ッあ゙、……うぅぅ…!」


一樹は首を上げ、右手を哉太に伸ばす。もしかしたら感情をコントロールされる事に抗っているのかもしれない、と思うと同時に、痛みに耐える哉太の様子があまりにも痛切だった為手を伸ばさずにはいられなかったのだ。一樹の指先が哉太の左腕に触れると、びくっと細い身体が反応する。哉太は震える手を額から離すと、一樹を見つめ…遂に右手から角を取り落とした。


「!!」


驚きに目を見開く一樹の名を、絞り出すように哉太は呼ぶ。


「しら、ぬ…い……さ…っ ッ…、くう…!」


「七海!?気が付いたのか!?」


「はぁっ…は、…あ………っ…、」


申し訳なさげに短い眉を下げ頭を垂れると、哉太は力尽きたように砂地に腕をついた。がくりと折れた身体に手を伸ばし、一樹は労るように哉太の髪を撫でる。


「七海……よかった…」


「不知火…さん……、ッ、…すみませんっ…」


翼の指示による影響でまだ脳に痛みが残る中、哉太は一樹に対し泣きそうになりながら詫びを入れる。哉太は感情を操られていた為自分のとった行動の記憶は保持されており、一樹にしてしまった事が罪悪感の塊として哉太を襲った。思い込まされ、激しい感情により行動させられていたとはいえ、一樹を攻撃してしまった事実は見掛けによらず繊細な哉太には酷く堪える。
そういえば、錫也は……。
先程哉太は錫也の必死の声掛けにより一樹の首輪を見、一樹がEXEでないと気が付いた為コントロールに抗う事ができたのだ。ハッとして項垂れていた顔を上げると、哉太は錫也の方を見る。しかし錫也は桜士郎の毒により、死んでこそいないが荒い呼吸を繰り返しており、自分に声を掛ける口を塞ぐ為にやられたのだと悟ると哉太はぎりぎりと奥歯を噛んだ。


「くそ…!許さねぇ!!」


哉太は痛む脳に構わず頭に血を上らせると、人間達を思い切り睨み付けた。頭は痛むが、脱力してしまっていた身体に力を入れ、いつまでも馬乗りになってしまっていた事を一樹に詫びる。哉太は一樹から降りる為、身体をずらそうとした。


「……ん?」


ところが、身体が動かず哉太は思わず首を傾げる。


「どうした?」


「……いえ、身体が動か………、ッ!!まさか…!」


身体が動かない事を不思議に思った哉太だったが、感情をコントロールされる前に短時間であったが身体の自由を奪われてしまった事を思い出し、サーッと血の気が引いた。もう一度水槽の外を見て状況を確認しようとするも、首を動かす事すら叶わず硬直したままになってしまう。一樹もその事に気が付いたのか目を見開き息を呑むと、咄嗟に自分達の脇に落ちている己の角を弾き飛ばそうと左手を動かした。もしまた角を凶器にしようというのなら、自分達から遠ざける事でわずかばかりでも時間を稼げると考えたからである。


「っぐ!!」


「くそっ!やめろ!…やめろ!!」


だが一樹の咄嗟の判断も虚しく一樹の左手は哉太の右手により押さえ付けられ、弾く事はできなかった。遂に身体への操作が始まってしまい、後の無さに哉太は戦慄く。


「ふざけんな…っ、人間、なんかに…!」


だが言葉とは裏腹に哉太の手は一樹の角を持ち、再びその右腕を掲げた。腕を下ろし、角を離すよう無我夢中で力を込めるも、感情よりも身体のコントロールの方が作用しやすいらしくびくともしない。そして哉太の表情に不穏さを感じた一樹は、これまでか…、とため息をつくと、諦めたように彼に薄笑いを浮かべた。


「し、不知火…さん……!?」


「七海…、それ以上抗ってもお前が辛いだけだ。……俺はもう殺されるしかないと思う。だから、…」


「冗談は止めて下さいッ!!そんな事…っ、……そんな………!」


「七海。」


「…っ」


凛とした一樹の声に、哉太は言葉が詰まる。


「いいか、お前は強い。いつか、なんとしても此所を抜け出して…仲間に此所の事を伝えるんだ。」


「不知火さん…っ、嫌だ……不知火さん…!」


『おーい、別れの言葉は済んだか〜?』


その時、マイク越しの翼の声が聞こえ、一樹は苦笑する。さっさと殺そうと思えばできたものを、哉太の苦しむ姿を嘲笑う為か、それともせめてもの情けか…翼は一樹を殺さずに待っていたのである。


「終わった終わった。待っててくれてありがとよ。」


一樹が皮肉たっぷりに返すと、いよいよ哉太の腕に力が入る。なにがなんでも抗おうとする、苦しげな哉太の顔が最期というのも奇妙なものだが、今の哉太に笑えと言うのも野暮であろう。


「っ、やめろ…やめろってんだよ!!」


哉太の怒声を聞きながら、一樹は再び目を閉じる。その姿は肉食動物に食い殺されるのを待つ草食動物というより、まるで次代への希望を持ちながら死にゆく人間のように、どこか希望すら感じられた。


「嫌だ…っ、殺したくない……殺したくない!!!!ああ、あ…っ、うあぁぁあぁあーー!!!」


容赦なく降り下ろされた角は、狙いを違わずに一樹の首を貫く。
肉を突き破り、骨を砕く。その感触は小魚のみを餌にする哉太が今までに体感した事のないものであり、激しく不快で…余りにも痛烈であった。コントロールが解除され脱力した哉太は、一樹の返り血を呆然と眺め、溢れ出る鮮血を前に成す術もなく立ち尽くすしかない。


「不知火……さん………」


そしてこの人を殺したのは自分なのだというショックに哉太が打ちのめされる直前、哉太の身体は彼の心を守るように意識を奪った。
血の川に伏した銀髪と白い肌が見る見る赤く染まる。鮮やかな血液は止まる事を知らず、火のように哉太をその色で包んだ。


























次の日、桜士郎は郁の管理室に呼び出されていた。マイクロチップによる実験の報告の為である。
結論は、感情よりも身体コントロールの方が強力であり、感情コントロールはプラヴィックにより自力で打破される可能性が高いという事であった。更に感情コントロールの際に電気信号の強さを上げると脳を損傷する恐れもある為研究・改善を進める必要があるらしい。


「ちなみに、お魚君は一樹を殺しちゃったのが凄くショックだったみたいでね〜。気分の変動が物凄くって!」


「ふうん?」


「誰かが水槽に入ると、今までの比じゃないくらい暴れたり…かと思ったら、全く無反応だったり!…いやはや、水嶋さんが帰った後に一樹の死体を取りに入ったんだけどー…大変だったよ〜」


大体の報告を終え詳細が書かれた書類を郁の机に置くと、桜士郎は「それじゃあ〜」と軽く頭を下げ退室しようと踵を返した。…しかし、郁が引き出しから何かを取り出し机の上に置いた音が耳に入った桜士郎は、らしくもなくギョッとして慌てて振り向く。郁の机には一つの小さなリモコンが乗っており、それを見た桜士郎は引き攣った笑みを浮かべた。そして両手を挙げながら、郁に質問をする。


「あはは…俺、なんかマズい事しちゃった〜?」


「ううん、"まだ"してないよ。」


「まだ、って…………。…まさか水嶋さん、また?」


「そう。」


「そう、じゃないよ〜…!
かなり弱めてるし、依存性無くすように"調整"してるとはいえ、いい加減これ以上打ったらよくないって…!」


何か、単語を交わさずとも通じ会う事柄があるのか、郁の言葉に桜士郎は珍しく焦りの色を見せる。しかし郁がリモコンをちらつかせると、桜士郎は諦めたように肩を落とした。


「…わかった。……でも、俺は一応心配してるんだよ〜…?」


「気持ちだけは、ありがたく受け取るよ。」


桜士郎はため息をつくと、白衣の中から一つの試験管を取り出した。
桜士郎は蠍のプラヴィックであるが、EXEではない。彼は施設内で唯一、首輪をしていないプラヴィックなのである。また、秘匿しているわけではないが首輪をしていない事から彼をプラヴィックだと知っている者の数は多くはなく、大抵は人間だと思われている。施設に連れてこられた時、桜士郎が並外れた知能を持っていた事に加え、今まで仲間に受けた仕打ちから人間ではなくプラヴィックの方に敵意を抱いている事が分かり、郁が特別な判断を下したのだ。EXEとするには惜しい、故に、"心臓に小型の爆弾を埋め込む事を条件"に人間と同じ権利を与えてやる事としたのだ。それにより、桜士郎は好きなだけ本を読み好きなだけ研究ができる機会を与えられたのだ。だが万が一人間に逆らおうものなら、ボタン一つでいとも容易く殺されてしまうという恐怖とも背中合わせである。爆弾といっても、爆発の際に身体が木っ端微塵になる程強力なものではない。他の人間や機器に影響が及ばぬよう、桜士郎の心臓のみに損傷を与える程度の威力しかない実に小さな爆弾であった。そして先程郁が桜士郎に見せ付けたリモコンは、まさに爆発を引き起こす為のリモコンだったのである。0〜9の数字が並ぶリモコンに規定の番号を入力すると、桜士郎の心臓の爆弾が爆発するという仕掛けである。


「…"調整"するから、ちょっと待っててね。」


そして郁が桜士郎を脅してまでもさせようとしているのは、幻覚を見せる成分を自分に打ち込ませるという事であった。桜士郎は、幻覚や妄想を見せる作用のある毒キノコの毒を自分の身体に取り込み、短時間幻覚を見せるだけで依存性もなく安全になったものを郁に打つ。だが身体に害がないよう調整したとはいえ、故意に幻覚を見ようとする事は郁にとってよくない事であり何の解決にもならないと、桜士郎はよくわかっている。しかしまだ死ぬ気のない桜士郎としては、せめて安全な毒薬を提供し続けるしか術はなかった。


「……よし。」


「できた?」


「…やれやれ……本当に困った女王様だよねぇ〜」


「ふふっ なに、女王様って。」


「傲慢。」


「へぇー…?」


「ちょっとちょっと〜!軽い冗談じゃない!リモコンはや〜め〜て〜っ」


肘の内側の血管に爪を立て、ずぷりと刺し入れる。突き刺すと同時に血管内に毒が注入され、郁はそっと目を閉じた。

























ノック無しに管理室に入ってくるなと、何度言っても改めない。
身長は小さいくせに威勢も力も誰にも劣らず、しかし小さい事は気にしているのかからかうと牙を剥き出す。
片目が見えなくなっても変わらず、小さい身体を目一杯に動かし意気揚々と戦う。


「………」


水嶋!おーい、お前なんでそんなしけた面してんだよ?ははぁ…さては琥太郎センセに説教されたんだろ、…図星か!?あっはははっ


「…馬鹿ですねぇ、そんなわけないでしょ。陽日先輩じゃあるまいし。」


な、なんだとー!?


桜士郎が何か手を加えているのだろう。幻覚を見るとき、郁は決まって直獅を見る。郁は言葉には出さないが、それを感謝していた。
郁は直獅が殺された後、一切の感情も表に出さずに封じ込めてきた。"水嶋郁"が、ただの道具を失っただけで動じるなどあり得ない事だからである。…しかし四季から直獅の首輪を取り出し、首輪から直獅の情報をリセットしようとした時…郁は自分自身の"悲しみ"の感情に気付いてしまった。動揺の根底に悲痛な感情があった事に、郁は酷く困惑してしまったのだ。
あらゆる感情を抑圧し尽くしてきた郁にとって、悲しい、という感情の処理は、今までのどんな事柄よりも困難を尽くした。そして悩み抜いて辿り着いて"しまった"結果が…幻覚を見る事だった。郁は直獅が殺されて以来、彼の幻覚を見る為に桜士郎を呼び出し毒薬を調整させていたのである。


「陽日先輩…」


弱められた毒薬は、短時間しか直獅を呼び戻してはくれない。


「なんで陽日先輩はプラヴィックなの…?」


郁の脳内では、直獅からの返答でも返ってきているのだろうか。首を振り、虚空に向かって悲しげな声を出す。


「陽日先輩と人間の何が違うって言うんですか…っ、見た目こそ違うところもある、けど……悲しんだり、怒ったり………心は…人間じゃないですか!!」


机を殴り付け、郁は声を張り上げる。今までの郁自身を根底から覆すような言葉には、涙が滲んでいた。


「どういう定義で人間は人間なんですか…?……姿が異なったって…、………陽日先輩は僕なんかより…ずっと……っ…」


誰も聞いた事のない、郁の"感情"。しかしそれを聞いてやっているのは、皮肉にも死人なのであった…。
もう、何度咎めてもノックの一つもせず部屋に飛び込んでくる"馬鹿な先輩"はいないのだ。郁はいつまでもリセットできない首輪を握り締め、何度も何度も直獅の名を呼びながら嗚咽した。




















「………。」


EXEについての報告の為に管理室に赴いた梓だったが、部屋の中から聞こえてくる声に扉の前で動けなくなってしまった。
…そうか。
あの時感じていた違和感はこれか、と梓は扉の向こうの嗚咽を聞いてようやく気が付いた。郁が四季に手を上げた理由に、やっと気が付いたのだ。直獅の死が悲しかったから、という実に簡単な答えに、梓は安堵と驚愕が混ざったような心境であった。郁にも人間らしい部分があったのかと思うと同時に、それにすら周りが気付けない程に感情を抑圧していた郁に驚きを隠せなかった。人間である筈の郁に、"心などない"と感じてしまっていたのである。…だが"心がない郁"も、他者からみたら間違いなく"人間"であり、梓は静かに言葉を零した。


「……人間…か…。」


プラヴィックが人間になれないように、人間は人間でしかいられない。どう足掻こうと、プラヴィックも人間もそれぞれの"運命"からは逃れられないのだ。


「…………。」


人間らしく涙を流す郁の声を聞きながら、梓は冷たい天井を仰ぐ。

結局僕も……囚われているんだろうか…。

運命の鎖を噛み千切るように、梓は唇を噛んだ。悔しげに…、悲しげに。



















END

















〜プラヴィックU後書き&補足〜


うぉぉぉプラヴィックUが終わりました…どこに向かってるんだこれはwwwwwwプラヴィック書き始め当時(去年)は、郁による虐待的アッー!な展開…♂と俺自身wktk(^o^)していたのですが…。今となっては「うん?(えろの在処を探すような声で)」


ていうか下-2こそはえろをいれるぞー!と意気込んでいたのに!…結局文字数がぁぁぁぁ…←最大の悔やみ


…では、えろを入れられなかった自分自身に蹴りを入れつつ、補足?裏設定(というのでしょうか)?をつらつらと書いていきたいと思います!






・桜士郎補足
野生の時、桜士郎その他蠍のプラヴィックが複数(群れ)で行動していたのは、彼らが人間の世界の近くで生活していた為、広範囲を警戒し安全に生活する為でした。そのため桜士郎は本を拾ったりする事ができたのです。
桜士郎は仲間に、餌を集めてこさせられたり、集めた餌を貰えなかったり。人間が近付いてきた時に自分だけ囮にされたり…色々されてきました。


・桜士郎と一樹の関係
桜士郎はプラヴィックの事をお魚君とか蟹君とか呼びますが一樹だけは「一樹」と名前呼びだったのは、一樹が施設から脱出しようとした時に一度戦っていたという過去があったからでした。最初は「羊(ひつじ)君」呼びでしたが、戦ってみて一樹を少し気に入ったのかも…?


・一樹の最期
一樹の最期のシーンの最後の一文が「不知火」になって…ごほん←無駄な小細工
(不知(しらず)…漢文的な)


・郁の幻覚
モデルはマジックマッシュルーム。依存性無くすように調整してる、って…桜士郎お前…直獅に会いたいっていう気持ちも依存に繋がるからそこどうしようか?という猛烈な反省\(^o^)/←















2013.07.22

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