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Novel
01←07な時の【堕胎】番外編
堕胎
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堕胎番外編


 錫也にとって、羊は遠い存在だった。友人としての距離は近くとも、彼の心は幼馴染の月子にあり、自分に向けられる感情は“友情”以外の何物でもない。転校当初から月子以外の生徒を寄せ付けようとしなかった事を考えれば、“友人”というポジションにいられる事だけでも十分だと言える。最初はそれで満足だった。男子生徒に対してつっけんどんな態度ばかりとる羊が、自分には懐いてくれ、自分が得意とする料理を「美味しい」と言いながら食べてくれるのだ。好意を寄せる相手が、“自分には”特別な存在として接してくれる。嬉しかった。とても嬉しかった。……だが、どうにも人間には余計なモノが多い。錫也にとってのその一つは、欲望だった。別段、月子と羊との関係(と言っても一方的な面が多いが)を引き裂きたいわけではない。ただ、その“好意”を。友人としてではない“好意”が錫也は欲しかった。
 自分では深く考えた事はないだろうが、錫也は容姿・学力のみならず、女性なら思わず胸を高鳴らせるであろう性格に加え器用さを持っており、一般的な視点から見れば「神は二物をも……」と唸りたくなる様々な魅力を持っている。だがそれをデフォルト……特別なものと考えていない錫也は、凡人からすれば「高望みもいいところ」であるモノを手にしたがっていた。生まれて持った非凡さに加え、異性に心を寄せている同性の愛を得たいなど、流石の神もそこまでお優しいものではない。
 時が経つにつれ開かれる羊の心、打ち解けていくクラスメイト……。錫也はポーカーフェイスの裏で焦りを感じていた。
 言ってしまえば、正常な青春を送っていたとも言えたが、ある時、もどかしくも暖かいそんな日常に転機が訪れた。錫也の前に、悪魔が現れたのである。悪魔といっても、性格の悪い生徒だとか、実は昔恨みを買っていた旧人というわけでもない。黒い身体に尖った目や鼻や耳、尻尾。小さな翼、山羊のような角……漫画に出てきそうな如何にもといった外見。空想の世界からそのまま抜け出てきたような悪魔であった。


「欲張りな人間は嫌いじゃない。マ、そういう人間がいるから俺達もこうして存在し続けられてるわけだけど……」


 寮の自室に突然フワリと湧いて出てきた悪魔に当然、錫也は驚き目をパチクリとさせたが、しばらく経っても一向に消えそうにない。恐る恐る手を伸ばし悪魔に触れてみると、成る程感触まである。幻覚の類ではないと思い「驚いたな……」と言葉を零すと、相手は


「面白い奴だな。俺を見た奴は大抵、悲鳴を上げて卒倒するか聖書でぶっ叩こうとしてくるかなんだが…、まさか触ってくるなんてな」


とケタケタと笑い出した。


「……聖書なんて、普通常備してるものじゃないと思うんだけどな」


「あースマン。最近…いや人間からしたら何百…?とにかく人間界に来たのは久々でなぁ。
なんだ今の人間界は?でかい戦争もなけりゃ世界を掌握しようとしてる人間がいるわけでもない。退屈過ぎないか」


「紛争とか国際問題とか、“こっち”にしてみれば大分大きな問題だぞ」


「はー、はっは、お堅いお堅い。俺達は、言わばエンターテイナーなんだよ。人間の欲にちょこっとライトを当ててやるだけで大舞台……大戦争の始まりさ。
紛争なんてのは、今や若輩悪魔の仕事でなぁ……長年生きてる俺みないなのは暇で暇でしょ〜うがない日々ってワケさ」


体長15cm程の身体でフワリと浮きながら、やれやれと肩をすくめてみせる。錫也は(何を普通に会話してるんだ……)と自分の額に手を当て、反対の手で虫を払うような仕草をとった。


「お前が暇を持て余してるのは分かったよ。どうやら本物らしいって事も」


「ふむ」


 悪魔は空中であぐらをかくと、わざとらしく腕組みをして言葉の続きを促す。


「でも見た通り、ここは至って普通の高校だよ……。お前が望んでるような過激な事が起きるわけじゃないし、生憎俺は今の生活で満足してる。特に願いがあるわけでもないから、帰ってくれないか」


「随分とイラついてるな」


「ハハ……流石にこんな非現実的な事が起きたらな」


「ふっふ〜ん。
……でも本当は、揺れてるからだろう?」


 唯でさえ毎日羊の事で気持ちが落ち着かずにいるところに、幻覚ではなく本物の悪魔が出てきて暇潰しの相手をさせられている。これが学校の生徒であれば、人間関係の事が浮かび感情を自制できただろう。しかし今目の前にいるのは友人等ではないどころか人間ですらないのだ。つい八つ当たり気味になってしまうのも頷ける。
早く、このよく分からない者を追い払いたい……そう思っていた錫也であったが、悪魔が発した言葉にピク、と身体を硬直させた。


「……」


“悪魔”といえば、魂と引き替えに望みを叶える存在である。良かれ悪しかれ、大きかれ小さかれ全く望みのない生き物はいないだろう。肉食動物は安定的に餌が有る事を望むだろうし、主な餌である草食動物は食われたくないと願う。それが本能からくるものであったとしても、結果願望である事に変わりはない。そして錫也は知能と思考を複雑に兼ね備えた“人間”だ。本能からくるものだけではない“欲望”を当然持っている。
 無言でいる錫也に向かってニヤリと口角を上げると、悪魔は続けた。


「悪魔っつったって、別に人を苦しめる為にいるんじゃないぜ?まぁ戦争は結果的にそうなったし、エリザベスの嬢ちゃんにはふざけて嘘の若返りの方法教えたりしたけど…。…まっ、時には人助け、ってな。
お前、クラスメイトの赤毛の……羊って奴が好きなんだろ?」


「……ッ」


「俺が、お前と土萌羊とのハッピーエンドを描いてやるって言って…」


「断る」


 気持ちが揺れていたのは事実である。月子に向いている羊の感情が自分へと向き、両想いとなるというのは常日頃から欲していた未来であるし、それが叶うというのであれば心が揺らがない方がおかしいだろう。望めば、羊・月子・哉太との関係を崩さず通じ合う事も……。
 しかし錫也は、そんな気持ちを敢えて抑えつけるように、強い口調で悪魔の言葉を遮った。羊を自分のものにしたい気持ちを隠すつもりはない。だが悪魔の力に頼り、今の関係を捻じ曲げてまで心を手に入れるなどという事をしたくなかったのだ。同性同士という壁の高さも、それを自力で乗り越えきれない可能性の高さも重々承知の上だ。


「アッハッハッ やっぱり面白い奴だなぁ、即答なんて」


 対する悪魔は、以前として楽しげに笑っている。


「見たトコ、お前は馬鹿じゃねえ。悪魔なんかの力に頼ってまで友情曲げたくないとか思ってんだろ?」


「腹は立つけど、……察しがいいんだな。分かったなら本当にもう帰ってくれないか?哉太と羊が毎日のように喧嘩をしてくれるお陰で、気が長い自信が最近なくてね」


「わかったわかった!わかったからそのハサミ離せ……身体切られるのは痛いんだって」


 ギブアップとでも言いたげに悪魔が両手を上げると、錫也は手近にあった鋏を手から離し、じろりと相手を睨み付けた。いい加減に諦めたかという目線を受け、悪魔の方も唸ってしまう。久々に来た人間界で、偶然見付けた“楽しませてくれそうな人間”なのだ。別の人間を探してもいいのだが、断られるとその無理を通したくなる。


「そうだ!」


 あっ、と気付いたように悪魔は身を乗り出す。名案でも浮かんだのか、その目玉はこれまで以上にキラリと輝き、羽をパタつかせて錫也の目と鼻の先まで飛び付くように移動した。


「うわっ 今度はなんだよ」


「なあなあ!こんなのはどうだ?…あー……コレ気に入らなかったらマジで消えるから!」


 悪魔の尖った鼻が自身の鼻先を掠めたくすぐったさに顔をしかめ、彼の首根っこを摘んで猫の様に持つ。キィキィと喚く悪魔を顔から引き離し、錫也はぷらぷらと左右に手を振ってみる。その揺れに合わせるように「たーのーむーよー」などと駄々を捏ね始めたので、その子供っぽい仕草に、性分からつい発言を許した。それには当然、本日最大のため息が添えられていたが。


「はぁ……これで最後だからな」


 錫也は悪魔を放してやり、自分は机の椅子へと腰掛けた。続くように、悪魔は机の端に身を落ち着かせる。


「こういのはどうよ?所謂、パラレルワールド、ってやつ!」


「パラレルワールド……?」


 パラレルワールド……よく言う並行世界だ。【今この現実とは別の、もう一つの現実】、それが存在する世界。それがどうしたのかというように、錫也は眉間の皺を深めた。すると悪魔は、フフンと胸を張りながら熱弁を始めた。


「いいか?今ここの現実は、土萌羊がお前の幼馴染に恋してるっつー、フツーでなーんの面白みもない世界。そうだろ?」


 友人、そして幼馴染である二人の恋なら自分の気持ちを抑えてでも応援したい……しかしそれを中々許さない自分の独占欲と戦い続けてきた錫也の感情をあっさりと“ぶち壊す”言葉に気分を悪くしながらも、錫也は口をつぐむ。


「ならよォ、いっそ作っちまえば早いじゃんか!お前と羊がくっつく、別の現実!!俺くらいの悪魔なら別にそう難しい問題じゃねえよ。
全く新しい世界を創造するんじゃねえ、でも違う。今は今のまま残しておいて、“新しい”現実にお前を連れて行けばいいって話だ!」


「……は?」


「いいか?羊の意識がお前から逸れてる理由……それは、月子との思い出があるからだ。大事な大事〜〜な、なぁ?でもそれがなかったら?そもそも星月学園なんてなかったら?普通の高校生と、高校生同士だったら?なくもねぇ話じゃねえの〜?」


 段々と力強くなってくる悪魔の演説に嫌気がさしつつも、錫也はつい耳を傾けてしまう。


「今のこの世界には、まさしく“お前そのもの”を残して……新しい現実には今のお前を連れて行ってやる。そこで、なんの隔てもない中で羊を口説き落としてみろよ…。っくく、そしたら、魂はもらわないでやるよぉ楽しませてもらう側なんだからな!」


「魂……噂って、本当なんだな」


「そりゃ、願いを叶えたいなら報酬はもらう。でもお前の場合は特別サービスだ。面白いし、何より久々の人間界だからな…。
……だが、別の方法で報酬はもらう。魂まではもらわねぇ。ただ、別の方法で、だ…・」



























「っあ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああ!!!やめ、やめろおおおおお!!ひぐっぅぁ、あ、あああああああ!!!!」


 麻薬の切れた錫也の悲痛な叫びが院内を貫く。彼に一方的に麻薬を盛り、利益を持って消えた男の行方は不明。だが医療者の関心は消えた男には無い。目の前の患者にある。
 強い麻薬に犯され、身体中から血液を流し幻覚に苦しみ、そして例にない男性妊娠、歪な内臓、出産された奇怪な生物。完璧な手術による、完璧な出産。


「羊……よ……よ………う…、……俺…俺の子……あ、ぐ、あ、あああああああああああ!!!!!」


 その奇怪な子は、錫也の愛しい彼と同じ赤色だった。……それを血液の色と捉えられないまま、錫也は喜ぶ。


「あぁ……羊…いて……くれ…た…。……なぁ…俺達の子………っぐ、ぐふっ、おえ…あ…、ぁ………二ヶ月…耐えた…か、な……」


 赤色というだけで。それだけで。
 医療者の中には、安楽死を唱える者もいた。この世界では安楽死は違法ではない。だが長らえされる事を望む者もいた。しかし、あらゆる鎮痛剤は効かず、それはかえって錫也苦しめる皮肉な答えとなった。悪戯に麻薬を打った者もいた。その者は羊でないという単純な理由で、拘束を破るまでに迷走した錫也に殺された。その激痛に耐えてまで、錫也は羊からしか安楽を求めなかった。


「羊……」


 空は綺麗な色をしていた。麻薬が切れ、発狂するまでの一瞬の間に、錫也は悪魔の言葉を思い出す。


「魂はいらない。“さいご”を楽しませてくれればそれでいい」


 ただの暇つぶしである事はわかっていた。けれども……、彼は、それほどまでに羊を愛していた。





2016.9.9


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