Novel
【拍手ログ】恨み鮭
【うらみざけ】
「……」
「あ、こら哉太!」
「ぅぐッ!?」
「まったく、味付ける前に食べても美味しくないだろ?」
「もう、哉太ってば食い意地張りすぎ!
ねぇ錫也、いくらってどのくらいで味が付くの?」
「うぇー…丸呑みしちまった」
「ははっ、哉太は馬鹿だなぁ。
いくらは一晩漬ければいいんだよ」
「C'est vrai? やった!明日には食べられるんだね。僕いくら食べるの初めて!」
年末、錫也がいくらを漬けるというので興味津々な羊に連れられ錫也の実家に足を運んだ哉太だったが、その数日後からどうにも体調が優れなかった。熱っぽく、怠い。
「…くっそ」
また風邪かよ…。
ただの風邪で母は勿論幼なじみ達を気遣わせるのも心苦しく、哉太は「年末くらいダラダラさせろ」と部屋に閉じこもっていた。無論、母のまゆみにはすぐに気付かれてしまったのだが。
数日大人しくしていると、やはり風邪だったのか体調はよくなり熱も引いた。倦怠感もなく晴れやかな気分で星月学園に戻ると、帰省中に撮った写真に目を通し一人で笑っていた。羊の箸からいくらが逃げるように転がっていく時の写真など、彼の慌てた表情と相まって思わず笑いが込み上げる。
「くっ、あっはははは!」
醤油漬けは逃げるんだよなと言って苦笑する錫也や、その横で同じようにいくらと格闘する月子。いつも一緒にいても決して飽きない、それどころか日々その輝きは増しているようにも思える。
一通り写真に目を通し、そういえば…と課題の事を思い出した哉太は、机の上に放置したままだった課題のプリントを確認しようとベッドから腰を上げた。…ところが、
「う、わ…っ!?」
ぐらりと視界が揺れたかと思うと、サァーっと頭から血の気が引いていくのを感じ慌ててベッドに座り込んだ。
くそ、立ちくらみかよ…!
額に手を当て、唇を噛む。最近は身体の調子も良かったというのに、風邪を引いたり立ちくらみが起きたりなど、悔しくてならなかった。閉じていた目をうっすらと開け、左胸に目を遣る。発作が起きたわけではないようだが、わずかに動悸がする。
「………頭痛ぇ…」
それは病気の症状というよりも、貧血にでもなったような状態だった。
…なんでせーりもねぇのにいきなり貧血なんだよ。
おまけに、腹に何か違和感がある。哉太は課題を諦め(元々あまりやる気はなかったが)、写真を床に置きベッドに横になった。
「…はぁ」
「哉太……顔白いけど大丈夫…?」
羊が心配そうな面持ちでこう声を掛けてきたのは、新学期の始まる二日前だった。元々肌の白い哉太だが今は白というより青白く、羊は嫌な顔をされる事を承知で、屋上庭園でぼーっとしている哉太に声を掛けた。
「………ん。」
「ん、じゃなくて…。それに最近あまり食べられてないんじゃない?ご飯よく残してるでしょ」
「…食うと、吐きそうになるから。あんま食いたくない」
「………」
哉太…やけに素直過ぎない?なんでこんなに喋ってくれるの…?
てっきり、羊は哉太に突っぱねられてしまうだろうと踏んでいた為、まさか哉太自ら体調の不良を語るなど思っていなかった。その事に驚き思わず言葉を途切らせるが、それ程弱っているのだろうと思うと放ってはおけなかった。
「哉…」
「なあ、羊」
「何?」
「……………」
「…?」
「なんでもねぇ」
「…そう……」
羊は、どこか…否明らかに様子のおかしい哉太を促し、魚座寮の彼の部屋まで送って行った。哉太が腹を押さえていたのが気になるがこれ以上何か言っては気を損ねるだろうと思い、「具合悪くなったら僕達の誰でも、電話してよね」といつもの調子で笑った。
腹が張る。
腹の中の何かに胃が圧迫され、口にした物を吐き戻しそうになる。だがそれも羊に会った次の日には落ち着き、哉太はホッと溜息をついた。だが妙なのは、元より痩せており食も細くなっていた筈なのに、哉太の腹が幾分膨らんでいる事だ。服の上からではわからないが、触れると明らかに膨らみを感じる。哉太はベッドに横になり腹を押さえながら、目を閉じて静かに寝ていた。
ところが、しばらくうとうとしていると腰の辺りが濡れている感覚に気が付き、哉太は慌てて身体を起こした。布団を剥ぐと確かにシーツが濡れてしまっていたがそれは尿ではなく、どこか生臭さがある。動いた事でよりその液体は溢れ、どこから出ているのかと思うとそれは後孔から流れ出ているようだった。
「な…っ、なんだ…!?」
力を入れてもそれは止まらず、それどころか括約筋が上手く機能していない感覚すらある。
哉太は混乱した。これじゃまるで破水みたいじゃねぇか、と。
「…は、すい……って…」
自分の言葉に、はたと固まる。風邪のような症状、貧血、吐き気……保健の授業で齧った程度だが、ここしばらく哉太の身体に起きていた異常はまるで妊娠の経過を辿っているようだった。その始まりを辿ると思い起こされる出来事があり、哉太は「まさか」と目を見開いた。
「嘘、だろ……」
哉太が悪ふざけでつまみ食いしようとしたいくら。それを指摘されうっかり丸呑みしてしまった事を思い出し、そこから考えられる非現実的過ぎる予測に固唾を呑む。悍ましい予測を打ち消したくて哉太が頭を押さえると、それを嘲笑うように、腹の中の何かを押し出そうとするような激痛が起き思わず呻き声を上げた。
「ゔ!ぐ、ぁ……ッ」
腹を押さえると、中で何かが蠢いているのがわかる。
やめろ…っ、やめろ、やめろ!!!
痛い。痛くて堪らなかった。身体を起こしている事が出来ず、倒れるようにベッドに横になるといよいよ痛みの強さが増し、隣の部屋の生徒に聞かれるなどといった事を考えられる余裕もなく哉太は声を上げた。
「あ゙あ゙ぁ!!!あ、ぐっ、あ…!!」
何かが出てこようとしている。哉太は歯を食いしばりながら履いている下着とスラックスを脱ぐと、震える手で後孔に触れてみた。
「ひ…ッ!?」
固くぬるついた感触を感じ、それが明らかに魚の口先だと分かると、哉太は唇を戦慄かせ声も出せず硬直した。有り得ない、有り得なさ過ぎてこれが夢の中の出来事のように感じる。しかし間欠していた腹の痛みが再び襲い掛かると「かはっ」と空気を漏らし、哉太はシーツを手繰り寄せて力一杯に握り締めた。ぎちぎちと、後孔を目一杯開いて出てこようとする胎魚だが、後孔はまるで出産時の女の膣口のように柔らかく拡がっていた為、切れる事なく胎魚の頭までを産み出していた。だが押し出す痛みと無理矢理拡げられる痛みは哉太を限界まで追い詰め、痛みの余り視界すらぼやけていく。
「うああ゙あ゙ぁあーッ!!い゙っ、ぁ、あ……死ぬ、し、ぬ…ッ!」
シーツを握る手や噛んだ唇は白くなり、涙が止まらず枕は濡れる。悶絶しそうな苦痛の中、ひゅーひゅーと漏れる呼吸が遠くに聞こえた。
「あ゙…!、い、たい…痛い………うっ、ひく…ッ、うぅ゙ぅ……痛い…痛い痛い痛いいたいぃぃ…ッ!!!」
胎魚はどのくらい出たのか、自分では確かめられなかった。しかし一際強い痛みを何度か繰り返すうちに「ずるり」という感覚とともに嘘のように痛みがなくなり、哉太は自分の荒い呼吸を聞きながらプツリと気を失った。
昼時の食堂にも姿を見せずメールすらも返さない哉太が心配になり、羊は魚座寮を訪れた。鍵の掛かっていない不用心な扉を開け中に入ると、そこには有り得ない光景が広がっていたのだから驚いた。濡れたベッドには気絶している哉太と、5、60cmもの大きさの鮭がおり、その鮭がまた奇異だったのである。
「な…っ」
通常より大きな鰭を手のように使ってずりずりと哉太の顔まで這い寄り、愛おしげに顎や頬を優しく噛み「ママ、ママ」と人語を話しては濡れた身体を哉太に擦り寄せていた。
なんなの……"コレ"…!?
気持ち悪いとか不気味とか、そんな感情よりも真っ先に浮かんだのは疑問だった。
「ママ、スキ、スキスキスキスキ、ママ、ネェ、ボク、スキ、コ、ロス、スキ、コロス、コ、ロ、ス、コロスコロスコロス」
まるで状況が飲み込めずに固まる羊だったが、視線の先でその鮭が次の行動に移った時、反射的に身体が動いた。鮭は哉太の顔に愛を注いでいたように見えたが、ブツブツと恐ろしい事を口走りながらまるで威嚇するように哉太の喉に向かってその口を開けたのだ。小さな歯は徐々に黄色の液体を滴らし始め、シーツにぽたりと落ちたそれは小さく煙をあげながらシーツを溶かしていった。
まさか…毒!?
哉太が殺される、と感じた羊は咄嗟に机の上に置いてあった鋏を手に持ち、まさに哉太の喉元に噛み付こうとしていた鮭の背中に渾身の力で刃を突き刺した。
「ギャア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ーッ!!!」
「硬…ッ」
「オマエ、オマエ、ヨクモ、ヨクモヨクモヨクモォォォォォ!!」
鮭は身体をくねらせると、その黄色い歯で羊の腕に噛み付こうと攻撃してきた。羊は素早く鋏を引き抜き後ろに飛び退くと、鮭が哉太から離れ床に降りて来るのを待った。…だが産まれたばかりで生命力が弱かったのかその動きは見る見る弱まり、ベッドの縁から頭部をだらりと落としたまま、鮭は呆気なく動かなくなった。
「………」
なんだったの、本当に…。
羊は鋏を床に放り、哉太の周りを整えようとベッドに近付いた。恐らくこの鮭は哉太が産んだのだろうと推察し、彼の疲労に満ちた表情に心苦しくなる。
それにしても危なかった…。もう、なんなのこの鮭!!
とにかく鮭をどかそうと、羊は尾を掴み鮭の身体を持ち上げた。…その時である。
「ガブーッ!」
「うわああ!?」
息絶えたと思っていた鮭が突然身をよじらせたかと思うと、尾を掴んでいた羊の右手首に思い切り噛み付いたのだ。
「しまっ…!」
左手で慌てて鮭を引き剥がすが毒を注入するように力強く噛み付かれており、傷口は紫色の毒液に塗れていた。
紫…!?黄色じゃない…!!
「どうい、う……っ、ぁ、あっ…!?」
なに、これ……頭…ぼーっとして………からだが…あつ、い…。
「ひっ、ぁ……や、変…!ん、んん…っ」
羊は床に崩れ落ちると、突然襲い掛かってきた身体の熱に動揺し身もだえた。何もしなくともぞくぞくとした快感が身体を支配し、恐る恐る視線を下げると股間は既に張り詰めているのが布越しにもはっきり分かる。噛み付かれた右腕は自由が利かず、意思に反して勝手に股間を摩り始めた。
「嘘っ…!いやだっ、やめて…!やめてよ!!…ぁっ、や、だぁ………あぁ、んっ」
頭が痺れ、段々と何も考えられなくなっていく。右腕からじわじわと広まりだした痺れは直に脳にまで及び、羊は自分が何故此処にいるのか理解ができなくなっていった。ただ分かるのは気持ちいいという事と、"目の前の鮭を丸呑みにしなければならない"という事だけだった。
「あ、…あー………っ、あ…」
「キメタ。ボク、ママ、スキ、スキ、ダカラ」
「ん、あ……僕の…身体使って、……犯し、て…っ!っ、んぐ!ぐ、ゔえ゙…ッ」
鰭を使い歩み寄ってきた鮭を、紫色の毒に洗脳された羊は進んで丸呑みしていく。苦しい筈なのにそれすらも快感で、その吐き気に羊は更に溺れた。
目を覚ますと、哉太はきちんと整えられたベッドと服装で横になっていた。ハッとしてシーツに触れるが、さらりと心地好い感触しかしない。何より産み落とした筈の魚はおらず、哉太は狐に抓まれたような気分になった。
「あ、起きた?」
「羊!?…なんだよ、なんで俺の部屋に…」
「哉太ってば、メール返してくれないんだもん!心配で見に来たら普通に昼寝してるしさー」
「ばーか、そんくらいで来んじゃねぇっつーの!!ピンピンしてら」
哉太は起き上がると、羊に向かって顔をしかめた。だがすぐに笑顔になると、「もう吐き気もないから、晩飯一緒に食おうぜ」とはにかむ。
「うん。でもその前に」
「ん?」
羊はベッドに腰掛けると、にこりと微笑む。そして無警戒な哉太の肩を押しベッドに押し倒すと、驚いた表情をする彼に紫色に濡れた歯を見せ笑った。ビキリと割れた目元の肌からは鮭の皮膚と目玉が覗き、まるで人間のようににやりと目が歪む。
「ひ…っ!?」
哉太は「ゾッ」という音を聞いた気がした。気持ち悪い、まるでホラー映画のワンシーンのような光景だった。
「晩御飯の前ニ、哉太を食べチャってもイいかなァ…?ねぇ、ママ……?」
「―――――――ッ!!!!!!!」
哉太の絶叫は、羊の唇に塞がれた。
end
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