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ファーストインパクト(弁護士+検事)
「いやー、今日も楽勝でしたねぇ」


法廷の帰り。隣で車を運転しながら呑気に声を上げる山崎を横目の煙草に火を着ける。



法廷で検察席に座る度に俺は内心怖くて仕方がねぇ。
数十メートル先の銀髪。その銀朱色の目が俺を捉える度に、怖くて怖くて堪らねぇ。



―――俺の中の「何か」呼び覚まされそうで―――



***



今日の法廷での勝利を収めた検察官、土方十四郎は自身が席を置く検察庁へと戻る車の中で昔のことを思い出していた。
そう遠くない過去。
弁護士、坂田との法廷を終えた後はいつもこうだ。


坂田という弁護士の存在を知ったのは1年ほど前だったと彼は記憶している。
その当時の坂田はと言えば、実は界隈ではそこそこ名の通った弁護士だった。


≪敏腕、とまではいかないが腕は悪くない弁護士≫


その程度ならこの法律の世界には掃いて捨てるほどいる。
だが、坂田という男が土方の興味を惹いたのは彼の通り名だった。


≪口先から生まれた男≫



口ではなく口先から生まれた、というのは些か語弊があるのではないだろうか。そう思ったが、土方自身がそれを思い知ることになったのはもっと後になってからだった。




「坂田が口を開けば、例え子供の屁理屈程度の言葉だったとしても通ってしまう」



坂田の話を聞いたときに誰かが言った言葉。
その言葉と、聞いた井出達に一瞬冗談かと思ったのだが、実際坂田の法廷を傍聴しに行ったときの衝撃を土方は、幾度となく法廷で言い争った今でも忘れることができないでいた。



「面白い奴がいるんでさァ、ちょいと見ていきやせんか?」



その日、珍しく土方を誘ったのは同じく検察庁勤務の沖田だった。
犬猿、とまではいかないがそれほど仲がいいわけではなく、そのくせ土方の助手役としてよく土方と事件を抱えることが多い彼は、土方を目の敵にしている。
理由は様々だが、土方を罠に陥れることを日常の糧としている節があるので、彼の行動には注意が必要だが、沖田の口から出た名前に土方は別の警戒を覚えた。


「坂田ってんですがね?これがなかなか面白い旦那なんでさァ」



≪坂田≫


どこにでもありそうな名前だ。
自分の土方や、沖田のほうが少ない名前だろう。だが、そうと解っていてもこの坂田が以前話に聞いた「坂田」である可能性が顔を覗かせてしまえば抑えることはできなかった。


気がついたときには沖田に連れられ、今まさに始まろうとしている法廷の傍聴席にいた。
見慣れた空間を見渡すが、検察官の姿は見えても肝心の弁護士の姿が見えない。


「あーあ、また遅刻ですかィ、旦那は」


その言葉につられるように土方はスーツの袖から見える自分の腕時計に目をやった。
開始時間まであと10分。
沖田の口ぶりから坂田という男は遅刻が茶飯事らしい。


「チッ…法廷をなんだと思っていやがんだ」


土方という男は検察庁の中でも生真面目で有名だった。
名の知れたブランドの黒いスーツ、白いシャツにシックな色のネクタイ。黒を好んで纏い身なりの整ったその姿に、検察官としての腕、そして犯罪者を許さない正義感と、己に、また周囲にも厳しい彼は検察の中でも「鬼」と呼ばれ恐れられている存在である。
その彼にしてみれば、開廷10分前に法廷に姿を現さない弁護士など言語道断と言わんばかりに、元々愛想のいいものではない表情が険しくなる。


「おい、総悟。本当に来るんだろうな?まさかばっくれたとか…」


「いやぁ〜、すんませーん。遅れましたー」


苛立った土方の言葉に被せるように法廷内に響いた声に静かだった空間が一瞬ざわつく。
それもそうだろう。厳正である種神聖な審判の場で聞くにはあまりに不似合いで気の抜けた口調だったのだから。
そんな気の抜けたような声すらも土方の機嫌を逆撫でし、表情はさらに険しくなった。


(…碌な奴じゃねぇな…)


この坂田という男は法廷を舐めているとしか思えない。こんな男が弁護士であっていいわけがない。
ふつふつと腹の底から湧き出る怒りに土方は沖田から視線を法廷へと移す。
見てやろうと思ったのだ。自分が興味を惹かれた≪坂田≫という弁護士と同じ名前の不届きものを。
こんな礼儀知らずが話題に上るほどの腕であるはずがない。遅刻してきたのもわざと相手の検察官の苛立ちを誘うためだ。姑息な手を使うのは悪徳弁護士によくあることだ。


そう心の中で悪態をつきながら視線を動かした彼の視界に≪坂田≫が映った瞬間、それまでの思考が一気に停止した。
否、停止というよりは切断という行為に近いかもしれないと、後から彼は思う。
土方の目に飛び込んできたのは、厳粛な法廷には不似合いで、それでいて何よりも高潔に見える白銀。
秘密を守るために閉め切られた法廷の中で、蛍光灯の作り物の光でも反射してキラキラと煌めく跳ねた銀糸とは対照的に、眼鏡越しに見える銀朱色の瞳は死んだ魚のようにやる気がない。
少しばかり使用感が見えるスーツに趣味のよくないネクタイ。
一見して受ける印象は「胡散臭い」
弁護士バッジを着け、この法廷内で弁護人席に座っているから辛うじて弁護士に見えるというのが正直な感想だろう。
だが、その見るからに胡散臭そうな彼、坂田に土方は強く興味を惹かれた。


先ほどの遅刻もまるで気にしていないように裁判資料を広げ、裁判官の開廷の言葉を待つ姿は、悠々、といった体で坂田はまっすぐに検察官へと目を向ける。
その眼はやはり死んだ魚のような目だったが、土方はそれに違和感を覚えていた。
初めて見るはずの人間にどうして違和感など覚えるのだろうか。
先刻切断された思考はゆるゆると坂田への興味と疑問に動き出す。
だが…


「土方さん?」


「…っ!」


不思議そうに呼んだ沖田の声に土方の思考が途切れ意識が惹き戻される。
それまで縫いとめられたように坂田へと向かっていた視線を隣の沖田へと戻すと、声同様に不思議そうに自分を伺い見ている。
それに軽く首を横に振り、椅子に座りなおすと改めて土方は法廷内へと視線を向けた。


その視線の先にはやはり坂田という弁護士の姿。


相変わらず悠々と座るその姿は余程自信があるのか、それとも演技なのか。


(どちらにしても、お手並み拝見といかせてもらうか…)


目の前の坂田が件の坂田でない、と先刻同様に思ってはいるのだが、単純な関係で「敵」となる弁護士の腕は見ておくにこしたことはない。
いつ自分と彼が対峙することになるかもしれないのだ。
そう、尤もらしい言い訳を自分自身に言い聞かせながら、土方は別のところで溢れそうになる興味を必死に抑えていた。
その興味がどこからくるのか、自分自身もそれを解明できないまま視線は坂田から離すことができない。


坂田が法廷に現れてからほどなくして、裁判官によって開廷の声がかかる。
土方の感じる違和感が消えたのはその時だった。


「っ…」


すい、と僅かに細められた坂田の瞳がまっすぐに相手の検察官へと向けられる。
その瞬間、眼鏡の奥の銀朱が鈍く光ったような気がした。
見るからにして目つきが変わる、という人間はよくいるのだろう。だが、この男は違う。
目つき、否、瞳の力が変わる。そう表現するのがしっくりくる。そんな変化だった。
よく例えられる言葉だが「獲物を狩る獣」という印象を受けるそれに、土方は知らずに膝の上で拳を握り締めていた。


「異議ありっ。検察官の主張にはなんら根拠が見られません。そもそも…」


淡々と進む審議の中、検察に異議を唱える坂田弁護士。
その口から紡がれる言葉に、土方は圧倒された。
確かに、坂田が突いてきた主張は他の証拠に比べ照明能力が低い。だが、根拠がないというほどのものではない。一般的な法廷であれば十分に証拠として提示できるものだ。
だが、坂田はそれに屁理屈をこね始めたのだ。それも、子供が指摘するような上げ足を取って。



≪坂田が口を開けば、例え子供の屁理屈程度の言葉だったとしても通ってしまう≫



件の坂田の話をしたとき、誰かがそう言った。
確かに。確かに子供の屁理屈だった。だが、それを恰も間違いであるように言いくるめてしまったのだ、この坂田という男は。
小さな綻びにもならない、一見何もないところからあっという間に検察側の主張を崩し去ってしまった。
次々と彼の口から滑るように流れる言葉に、土方は自分の喉がごくりと音を立てていることすら気付けなかった。そのくらい、坂田の弁論は巧みだったのだ。
結果、弁護側の勝利。つまり勝訴で法廷は幕を閉じた。



(…なんて、めちゃくちゃな…)


「ね?面白いでしょう?」


呆気に取られた。
まさにそんな様子の土方に隣で沖田は嬉しそうに声をかける。
同業者である検察側が惜敗したというのに楽しげな沖田を不謹慎だと叱る余裕すら今の土方にはなかった。
まるで、初めて法廷に立った時のような緊張感。傍聴席にいるというのにこれほどまでに感じる追いつめられる感覚。
坂田は物証を提示しなかった。口だけで、この法廷を勝利してしまったのだ。



≪口先から生まれた男≫



その言葉は大げさな例えでも、間違いでもなんでもなかった。
もし、この男と対峙して自分はあの銀朱に怯まないだろうか?
もし、彼と戦うことになって自分の証拠は、あの口に崩されることはないだろうか?


自分は、彼に勝つことができるだろうか?



「………」


そこまで考えて土方は、自分の考えを鼻で笑った。




この俺が負ける?
そんなことあり得るわけがねぇ。あんな口だけの野郎に負ける道理がねぇ。



閉廷した傍聴席から立ち上がり、偶然にも同じタイミングで法廷を後にする坂田の背中をちらりと視界の端に捉え背を向ける。



「…そのでっかい自信を堕としいてやるさ、この俺がな…」



そう呟いた土方の唇は、ゆるく孤を描き瞳は獲物を見つけた獣のような底光りを帯びていた。
まるで、先刻の坂田のように…



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