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*番外編
存在(静蘭)
李絳攸と藍楸瑛という財布を利用した食事会が恒例となってから早半年。
夏には居候のコメツキバッタも加わっていたが、奴が茶州に戻ってからはまたいつもの面子に戻った。
 
しかし先日、食事会の前日になってから突然旦那様が言い出した。

「前に話した留学生の事なんだけど、今度の食事会に彼女も呼んでいいかな?」

――留学生。今の朝廷で一番の有名人であり、私のような下っ端の職場にまでその噂は流れてきている。噂では少年だという話だったが、旦那様が言うには実はお嬢様と同じ年の少女なのだとか。
 
食事会の件についてはお嬢様が即答で了承した。ならば私にはさして反対する理由もない。素性の知れない人間をこの家に入れるのに抵抗がない訳ではないが、その人物の人柄は旦那様のお墨付きを得ている。少なくとも物騒なことを考えるような人物ではないのだろう。
 
そして当日――案の定、お嬢様とその留学生はすぐに打ち解けた。

屋敷の近所にはお嬢様と同じ年頃の女の子は殆どいないから余程嬉しかったのだろう。まして憧れの外朝で政を学んでいるとなれば尚更だ。

食事会の間お嬢様はずっと彼女と話し込んでいて、私たち男性組は殆ど相槌を打つだけだった。それでも藍楸瑛などは積極的に会話に加わろうとしていたが、私は極力口を聞かず、ずっと彼女を観察していた。


* * *


珍しい客人を交えての食事会があった二日後。仕事が早く終わった私はお嬢様に頼まれていた買い物を済ませるべく市場に向かった。

夕餉用の食材と、必要な日用品を少々。最低価格で手に入れた戦利品を大きな布で包んで腕に下げ、夕日を背中に受けながら帰路につく。
 
家路を急ぐ人々が早足で行き交う通り、その流れを泳ぐようにして一人の若者がゆったりと徒歩を進めていた。

遠目でもよく分かる、血のような赤い髪。薄い茶色の簡素な衣を纏ったその人物は一見すると少年のようだったが、本当は女性であることを私は知っていた。

彼女は私の姿を認めると、数歩離れた位置で立ち止まった。

「ああ、邵可殿のところの――確か静蘭だったか」
 
気付かれなかったらそのまま通り過ぎようかと思っていたが、声を掛けられて仕方なく足を止める。――会ったのはつい二日前なのだから、気付かれるのは当然といえば当然だが。

「先日はありがとう。今帰りか?」

「ええ。そちらも?」
 
宮城はこちらではないはずだが、と思って問うと彼女は首を振った。

「いや、私はもう暫くここらを散歩するつもりだ」

「じきに日が暮れますよ」

「暗くなるまでには戻るよ」
 
途中まで一緒に歩いて良いかと彼女が言うので私たちは横に並んで邸へ続く道をたどった。

丈の長い上掛けに隠れてはいるが、彼女は腰に太刀を帯びているようだった。それは意外ではない。彼女の足運びや所作から武を嗜む人物だろうとは当たりをつけていた。
 
手のひらで包むように持っていたのは小さな布の袋。それには見覚えがある――子供たちに人気の菓子屋の袋だ。

少年のような彼女の外見にはそぐわないとは思ったが、やはり若い女の子らしく甘い菓子が好きなのか。

彼女は私の視線に気付いたのか、ああ、と小さく声を上げる。

「さっき買ったんだ。蜜菓子」
 
ひとつどうぞ、と私の手に一粒押し付け、もう一粒を自分の口に入れた。

私は一瞬躊躇った後、琥珀色の玉をつまんで口に含む。懐かしいような甘い味が舌の上で溶けて広がった。

「時々こうやって街に下りて、ちょっとした菓子なんかを買うのが好きなんだ。市場の様子も見られるし」
 
まるで普段は気軽に街には下りられない生活をしているかのような口ぶりだ。この若さで異国へ遊学に来るぐらいだ、余程過保護な家に育ったのかもしれない。

しかしそれにしては世慣れしすぎている。物を知らぬが故に瞳に宿る無垢な輝きも、彼女には微塵も見当たらない。

――不思議な娘だと思う。年若い少女であるはずなのにどこか老成したようでもあり――また時折、迷子の幼い子供のような揺らぎが瞳をよぎることもある。

旦那様や李絳攸、藍楸瑛、それに劉輝は彼女のことをどこまで知っているのだろうか。大体、慶などという名の国はどの書物でも目にしたことがない。風の噂も届かないような遠い国から留学生が来ることなど有り得るのか。

「自分が怪しい人物だってことは分かっているよ。――自分で言うのもなんだけど」

まるで思考を読まれたかのように呟かれ、隣に視線を流すと、翡翠の珠のような瞳に受け止められる。

「食事会の時、ずっと私を観察していただろう」

分かってはいたが、やはり気付かれていた。視線には敏感なんだ、と言って彼女は微笑う。

「……あなたは何者ですか」
 
つい、口を滑って出た言葉に自分が一番驚く。面と向かってこんな事を尋ねるなど愚行以外の何でもない。

しかし彼女は特に感情を乱すでもなく、淡々として言葉を返す。

「少なくとも……普通の人間だとは言えないのだろうな。だがそんなに警戒しなくても、この国の人たちに害になることなんて何もしないよ」

「そんなことは心配していません。旦那様が見込んだ人物なのですからね。……ただ、あなたは私が今までに見たどんな異国人とも違う」

貴陽は彩雲国の中心であるため、年に一度はどこかしらの国から商隊が訪れる。商人たちの見た目は様々で、肌の白い者や黒い者、体が極端に大きい者や小さい者もいる。
そういう面で言えば彼女は至って普通だ。真冬だというのに日焼けしたような肌がやや不自然にも見えるが、それだけだ。
 
けれど彼女は何かが異質だった。単なる異国人とは何かが違う。それが何か、とまでは分からないが。

「……私が何処から来たのか、劉輝殿や邵可殿には話してあるよ。側近の二人にも。――少々、事情が複雑なんだ」

ああ、また瞳が揺らいだ。まるで、決して手の届かないものを探しているかのような。

 

それからは暫く街のことなど他愛のない話をして、紅家の敷地を囲う塀が見えてきたところで私たちは別れた。

秀麗によろしく、と笑う彼女に、私も少し足を止めて傍目には分からない程度に微笑んだ。

「……また、いつでもいらしてください。――陽子さん」
 
お嬢様が喜ぶだろうから、と心の内で付け加える。
 
得体の知れないものは好きではない。それが人間ならば尚更で、彼女のような人間はその典型のようなものだ。

だが傍にいて嫌な人物ではない、と思った。それどころか好ましささえ感じる。

――初対面だというのにお嬢様があれほど懐いたのも、なんとなく分かる気がした。

私は踵を返して邸の傾きかけた門へと向かった。

お嬢様は今日は遅くなると仰っていたし、旦那様は泊まり込みだから邸には誰もいないだろう。お嬢様が帰ってくるまでに夕餉の下拵えまではしておきたい。

それから、明日になったら旦那様に彼女のことを尋ねてみよう。

ふと振り返ると、緋色の髪をした彼女は既にそこにはおらず――ただ、夕焼けが西の空を茜色に染めていた。




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あきゅろす。
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