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■ W副長
◆ 『百蘭(びゃくらん)』<後編>

※多少の流血表現有り。



 監察方という名目だけの、実質飯炊き≠ニいう職務に付いてから一週間―――、
「こともあろうに真選組の副長がタイムセールの卵を買いに来るって、仕事のほーはどーなってんっすかっ? んなことしてていーんっすか!?」
 朝食の後片付けを終えた俺と坂田副長は、開店間もない大江戸スーパーに赴き、お一人様1パック限りの卵と無塩バターと生クリームとイチゴ、
 ―――つーか、これ、どう考えてもケーキの材料?
 という品々を買って屯所への道のりを二人並んでゆるゆると歩いていた。
 日々の食材は指定業者によって配達され、隊士のチェックを経て厨房に運び込まれることになっている。
 ―――では、これは……?

 風が吹き、ふわりと甘ったるい匂いがすぐ右隣より漂って来た。
 独特の微香。
 これが坂田副長から発せられるものだと出会った日の翌日、気が付いた。
「いーのいーの。こーやって羽伸ばしてられるのも今夜までだぜ? ゴリラ……じゃなかった。近藤は口煩えことなんも言わねーけどさぁ、京の都からアイツが帰って来たら、てーへんだよ? この一ヶ月……、まあ巷で大事も起こんなかったってえのもあるけど、嘘みたいに平穏だった屯所がガラリと変わっちまうぜ?」
「土方、副長……ですか?」
 観察方に配属された翌日、俺は定例会議に於いて近藤局長を筆頭に幹部隊士と顔合わせを行った。
 そこで唯一、俺が会えなかったのが『京都見廻組』との連携強化の任を受け、数人の隊士を連れ西に出張中のもう一人の副長―――敵味方関係なく鬼≠ニ恐れられる男―――土方十四郎。

「沖田さんが珍しく早朝から起き出して何やら不穏な動きを見せていましたが……?」
「あー、うん、その、ね。まあ沖田くんの仕掛けるトラップでは、まだ土方くん一度も死んでないから大丈夫じゃね? きっと今回も掠り傷何個か作るぐれーだと思うよ?」
「なんで一番隊隊長が任を終えて帰ってくる副長の暗殺を企ててるんっすかぁぁあ!?」

 色々あんのよ。と坂田副長が綺麗に微笑んだその時―――、

 突如、バンバンバンっという銃声のような音と、続いて何かが破裂したような音と共に、複数のキャーという耳を劈く女の悲鳴と、男の、これまた何人もの低い喚き声が左、川沿いの道路の方から聞こえて来た。と同時にバタバタとかなりの数の乱れた足音とどよめきが辺りに響き渡り、何かが起きた事件現場と思われる道へと続く間道から続々と脱兎の如く逃げ惑う人々が姿を見せる。

「ジミー!」
「はいっ、」
 真剣を持たず、スカーフもなくジャケットも羽織らず、着崩した隊服の腰に木刀だけを差して出て来ていた坂田副長が、自ら手にしていた卵が入ったスーパーの袋をポイと俺に投げ寄越した。そして、「割るんじゃねえぞ」と言った次の瞬間には、疾風のごとく駆け出していた。

 速い……、
 と思う間もなくその背がぐんぐんと遠ざかって行く。
 例えいくら手ぶらではないとは言えど、足の速さだけには自信があった。

 それなのに、

 ――― 一体何者なんだ、あの人は!?

 陽の光を反射し燦爛と輝く銀の髪を靡かせ、人ごみを逆行し掻き分けながら進む坂田副長は少しも速度を落とすことがない。見失わないよう、なんとか(幸いにも目立つ)後姿を追いかけるのがやっとだ。
 そして目の前が大きく開けた、と思ったその場所には―――、

 タイヤが銃弾らしきもので撃ち抜かれ、橋の欄干、親柱にフロント部分を突っ込んで中破して止まっている黒い覆面パトカーと、それに乗っていたと推察される真選組の隊服を着た隊士四名(一人は上級隊士の隊服を着用)、その周りをぐるりと取り囲むように立ちはだかる凶暴な面構えをした浪人、いや、攘夷浪士十名以上が皆々抜刀し、いつ誰が斬りかかってもおかしくはない体制で睨み合っていた。
 ピンっと緊張の糸が張り詰めた円がぐっと収縮し、浪士と隊士との距離が狭まる。

「土方くんじゃん……」
 肩で息をしつつ漸く追い付いた俺に、その集団から少し離れた外側で息も乱さずに立っていた坂田副長が言った。
「あの人、あの眉間に皺寄せて瞳孔かっ開いてる真ん中のあの黒い人。あれが土方くんね」
 真っ直ぐな黒髪に黒曜石のような艶光りのある切れ長の鋭い眼差し。男から見ても整った見惚れんばかりの顔立ちのその相手を指で指し示し、坂田副長がにこやかに笑う。
「俺ちょっと行って来るわ。おめえはここで待機な。一応、副長命令」
「あの、」
 と言いかけた時には既に俺の隣に坂田副長の姿はなかった。
 飄々と歩を進め、坂田副長は一番大きく開いていた浪士たちの隙間を気配を消し、しかし微塵の隙も見せず易々とすり抜け円の中へと滑り込むと、額を切ったらしく、流す血で片目が塞がれた隊士の前に庇うよう立っていた。

「銀時!」
 地を這うような低い、しかし親しげな感情の篭った柔らかい声が坂田副長の名を呼んだ。発したのは土方副長だった。
 ほぼ同時に他の隊士たちからも「旦那!」という緊迫した現場には似合わぬ明るい声が次々に上がる。

「き、きさまはっ、」
 一人の浪士が何とかそれだけを言った。その声に驚愕と恐れが滲む。
 ゆっくりと口角を持ち上げた坂田副長から凄まじい殺気が発せられた。紅い瞳が妖しく濡れた光を放つ。
 格が違った。剣を持ったことのない者であろうと、況してや一度でもそれを手にした事のある者ならば尚更のこと、それを認識出来ただろう。
 敵が怯む。

 息を呑んだ。目が離せない。

「おいおい、おめえら。帰りは今晩じゃなかったのかよ? 俺、まだおめえらの帰還祝いに出すメシの下準備、なんもしてねえぜ?」
 気だるげな物言いでそう言った坂田副長の白い右手には、いつの間にか腰にあった木刀が握られていた。
「んだよ、そりゃ?」
 土方副長が訊いた。
「食堂のおばちゃんが二人とも休みなんだよ。俺、ケーキも焼きてえんだけど、土方くん。つーことで、マジ時間ねえわ」
「そーかよ。帰還祝いがてめえの手料理たぁ楽しみじゃねえか。てめえの顔見たさに急いで帰ってきたかいがあらぁ。じゃあ、直ぐに片付けんぞ」
 と言いざま、土方副長が腰を落とし、剣先を下に向けたまま「並べてぶった斬ってやらぁ!」と絶叫すると、先陣を切って走り出した。

「か、掛かれぃぃぃい!」
 手に銃を持ち、構えていた一人の浪士が叫んだ(多分、この男が頭株なのだろう)―――刹那、仲間からの鯨波が上がる前にその浪士の身体はズルリ、と地面へと沈んだ。

 大股で突き進み、いや、地を蹴り空(くう)を舞い、そして横薙ぎに一太刀、
 坂田副長が男に浴びせたものだった。

 それは一瞬、というよりも、瞬きをするほどの時間もなかった。目で残像を追うのがやっとのこと。

 全身の肌が粟立つ。

 円陣が崩れた。
 そして相手の乱れを逆手に取り、土方副長の突きが一人の浪士の喉元に刺さる。すぐさま引き抜かれたそれは、背後から迫ってきた浪士へと向けられ頭上に振り上げられた直後、肉に食い込んだ。
 血飛沫が上がる。

 一方で倒れた者には目もくれず、坂田副長は着地したと同時に晴眼に構えた木刀で切っ先を変化させながら半月を描いた。
 鋼を木刀で弾き、影だけを残して滑るように移動し、振り下ろされた一刀の下で数人の浪士が次々と地に伏していく。

 見事だ……、としか言いようがなかった。
 凄まじい惨劇を目にしながらも、何故か胸が高鳴る。

 血を吐くような叫びを上げ、まだ身動きが出来る程度に傷を負った最後の浪士が呻きながら後退を始めた。
「逃がすかっ!」
 土方副長ががなる。
 そして白光が左から右へと流れ、男は腹から血煙を上げながら絶命した。



「んでィ、もう終わっちまったのかィ?」
 近づいてくるけたたましいサイレンの音に混じり耳元で聞こえた覚えのある声にハッとして振り返ると、そこには手に団子を一串持ちそれを美味そうに頬張る沖田さんが立っていた。
 そう言えばこの近くに旨い団子屋があるのだと、以前、坂田副長が話していたことはあったが、
「お、沖田さんっ!? 何時からここに!?」
 ―――つーか、なんで職務中にこの人団子食ってんのぉぉお!?

「ちょっと前(めえ)から居たんだが……、てめえ気付かなかったのかィ? 監察失格だぜィ」
「しっ、失格って、そんなことより、かっ、加勢しなくて良かったんですか!?」
 この童顔の上級隊士が真選組の中でも一、二を争う腕前だというのは周知の事実、屯所内で誰に聞くでもなく、ただじっとしていただけでも耳に入ってきたことだ。

「この程度の破落戸(ごろつき)相手じゃあ、旦那の片手、いや、指一本で十分だろィ。つーか、土方のヤロー、なんで怪我の一つもしてねぇんでィ」
 そう言ってから沖田さんは、さも憎憎しげに舌打ちを漏らすと、最後の一つ残っていた団子を口に入れ、用無しとなった串を俺のポケットに突っ込んだ。
「ちょっ、」
 何をするんですか!?と言いかけた俺の言葉は続かなかった。
 沖田さんの眦の吊り上がった大きな瞳の視線の先―――、
 土方副長の骨ばった手が坂田副長の前髪に触れ、そっとそれをかき上げる。
 その下で妖艶な、目が合うだけで腰が熱を持ちそうなほどの濡れた紅い瞳が土方副長を見詰めていた。

 その一角だけが対の絵画のように浮かび上がる。

 ああ、そうか。と、瞬時に納得している自分が居た。

 元々恋愛事には疎いほうだったかもしれない。当然、今まで好意を寄せる相手は何人か居たが、それが恋情と呼べるものかどうかと考えると疑わしい。
 だから分からなかった。
 甘い声が鼓膜を震わせたあの時から―――、

 自覚した途端、二度と日の目を見ることはないだろうと悟った感情と共に、喉まで出かかった溜め息を無理矢理飲み込むと酷く苦い味が口の中に広がったような気がした。

「下らねえっ。土方のヤロー、たったの一月会えなかったぐれぇで部下の目の前で締りのねえツラぁ晒しやがって」
 吐いて捨てるように言った沖田さんの言葉に俺は自分の勘が間違っていないことを確信した。そして俺の胸はジリジリと焦げたような感覚に襲われながらも、肩を並べこちらへと歩いてくる二人の副長から片時も目を離すことが出来なかった。

≪完≫

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