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■ W副長
◆ 『紊れ(みだれ)』〜序章〜<後編>


 どうやって部屋まで戻ったのか覚えていない。プツリと記憶が途切れ、スッポリと抜け落ちている。
 思い出そうとすると頭の奥に激痛が走った。あの後、水の中に沈んでいくような感覚に襲われ、息が苦しくなり、気付くと自室の布団の上に座り込んでいた。
 瞼を閉じると暗闇で蠢く白い肢体が浮かぶ。俺は早々に横になるのを諦めた。

 どのぐらいそうしていただろう。

 襖の向こうで小さな衣擦れの音がした。

「起きてますぜ……」
 完全に気配なんて消せるはずの男が、それがわざわざここに居ると知らしめるように廊下に立つ。

「……」
「遠慮なんていりやせん。入ったらどうですかぃ?」
 ゆっくりと襖が開いた。
「……沖田、君……」
 白い浴衣姿の銀時が立っていた。
 姉上が残した物だ。箪笥の肥やしにしておくのも勿体無いからと仕立てられていなかった反物全てを銀時に渡し、それを本人が器用に縫い上げて寝衣の代わりに使っている。
 大きな赤い花が裾で咲いていた。

「どうぞ」
 蚊帳を捲って中に入るよう促すと、戸惑いを見せながらも体重を感じさせないほど軽い身熟しで銀時は布団の横に座った。風が流れ、フワリと甘い匂いが鼻を擽る。
 手を伸ばし、柔らかな髪に触れた。
「風呂、使ったんですかぃ?」
 返答はない。
「残り湯はもうすっかり冷えてたでしょう? まあ外がこの暑さだと丁度良かったかもしれやせんが」
 毛先から雫が滴り落ち、肩を濡らしていた。

「沖田君……」
「なんですかぃ?」
「ごめん……」

 アンタがいつも暇さえあれば峠を見上げていたのを知っている。

「もう迎えを待たねぇでいいんですねぃ?」

「沖、田君……?」

 初めて会ったとき―――、

 アンタが探してた侍が、いつかこの村に現れてアンタを攫ってっちまうんじゃないかと、常に怯えていた。

「八つ裂きにしても物足りねぇ。一番苦しむ方法でぶっ殺してやりてぇぐれぇのアイツですが……」

 もし、アンタがアイツに惹かれ、あんなヤローのためであろうと俺を置いてここから姿を消すことがないのであれば―――、

「アンタ、土方に惚れてんですかぃ?」






 屯所の渡り廊下を歩きながら裏門に目を向けると庭の角に植えられた桜の蕾が綻びかけていた。

 江戸で新しい警察組織を作るのに人手が足りず腕の立つ若い剣客を探している、と近藤さんの父親が古い同門の友より相談を受け、俺たちが武州の田舎を出てこっちに来てからもう何度目の春になるのだろう。

「沖田さーーんっ!」
 バタバタと床板を軋ませながら駆けてくるのは半年ほど前に入隊したばかりの隊士、監察の山崎だ。
「すいません、坂田副長、知りませんか?」
「旦那になんか用かい?」

 武装警察真選組―――その組織に属して以来、俺は銀時を旦那と呼ぶようになった。

「これ、見てくださいよ!」
 目の前に差し出された幾枚もの領収証には街で名立たる甘味屋の店名がずらりと記載されていた。
「こんなもん経費で落ちませんって旦那には何度も言ってんのに全くあのお人はぁ!」

 隊士の序列は近藤勳局長を天辺としてその下に坂田、土方両副長が続く。その副長という呼び名だけなら一体どちらを指し示すのか分からない。またいくら俺たちが兄弟のように共に暮らしていたとはいえ、隊士の前で名前やアンタ呼ばわりも出来やしない。坂田副長、銀時副長は今更堅苦しく面倒だ。
 その結果を踏まえ、物事を適当に誤魔化すのが得意な俺なりの呼び方だったのだが……、

 それは意外に抵抗なくあっさりと隊内に広まり、今では多くの隊士が坂田銀時副長を「旦那」と呼び、そして慕う。

「自室には居ねぇーのかぃ?」
「蛻の殻です」
「外には出てねぇんだろ?」
「玄関と縁側の両方に靴がありました」
「じゃー、……あそこしかねぇだろうなぁ?」
「あそこ、ですかぁ……」
「確実だろうねぃ」
「はぁ……」
「随分嫌そうな顔するじゃねーか、山崎ぃ?」
「そりゃあ、相手は鬼の土方副長ですし、しかも……」

 旦那にぞっこんの土方なら一緒に居ることが出来る二人っきりの貴重な時間を邪魔したとあっちゃあ、下らないことで来るんじゃねぇと言って頭ごなしに怒鳴るだろう。
 特にここ最近は攘夷志士を騙る与太者どもが彼方此方で小事を起こし、昼夜問わず俺たちは駆り出され忙殺されていた。副長の片方が働いていれば片方が休む。すれ違いの連続だ。
 その上、近藤さんは旦那直轄の部下で平隊士の志村とか言う通称メガネの姉に惚れてその女が働くキャバクラに入り浸り、結果局長の仕事は旦那がするわけもなく全て土方が熟していた。

 まともに会話する時間も儘ならなかった―――、となれば、

「最中かもしれねぇなぁ〜」
「なっ、なな、なんの最中なんですかぁぁあ!?」
 耳まで真っ赤になった山崎が叫ぶ。
「聞くかぃ、それを? ま、流石にそりゃーねぇだろーが、今行ったら斬られるんじゃねーの、山崎ぃ」
「……沖田さん」
「仕方ねぇなぁ」
 俺は山崎の手からその紙切れを掠め取ると、
「山崎ぃ、今すぐテメェの金でやきそばパンと缶コーヒー、あと海苔弁とカップ麺買って俺の部屋に置いておけや。あ、熱湯入ったポットもな。その代わりにコレ、届けておいてやるから」
「ちょっ、沖田さんっ」
「テメェはこのまま土方んとこに行くのと、俺の昼飯を買いにコンビニまで走るのとどっちがいいんでぃ?」
「昼飯なら食堂で食えばいいじゃないですか」
「やきそばパンは置いてねえんだよ」
 不服そうに顔を顰めた山崎だったが、決断は早かった。


 ブツブツと文句を言いながらも廊下を走り去って行く山崎を見届け、俺は土方の部屋に向かった。
「入りやすぜぃ」
 返事を待たずして襖を開け、敷居を跨ぐ。
「何だ、総悟?」
 江戸に来て直ぐに髪を髻(たぶさ)から切り落とし、今では短髪となった土方がこちらを見ることもなく座卓の上に置かれた山ほどの書類を処理しながら火の付いた煙草を銜え、無愛想な声で言った。
 いつもなら咽返るほど煙が充満しているはずの部屋がそれほど気にならない。微かに窓が開けられている。この男なりに煙草を吸わない旦那への配慮なのだろう、と思うと気分が悪くなった。
「やっぱりここでしたかぃ」
「ああ?」
 いけ好かないヤローの背後―――、黒の隊服のまま畳にゴロリと寝転んで土方の腰に腕を回し熟睡中の旦那を見て俺は聞こえよがしに大きく舌打ちを漏らした。
 人の気配に敏感な銀時がピクリともせず寝入っている。余程このヤローの傍が安心出来るのか。
「んだ、コイツに用か?」
 旦那の上半身には土方が脱いだ上着が被せられていた。
「暫く起きねぇぞ」
 漸く土方が俺を見た。
「じゃあこれ、起きたら渡しといてくだせぇ。こんなん経費じゃ落ちねぇって山崎が困ってやしたぜ」
「なんだ?」
 書類の上に俺がぽいと放った紙を手に取り土方がまじまじと眺める。
「ったく。どんだけ甘いもんばっか食ってやがんだ、コイツぁ」
「そのお陰で体臭どころか身体の隅々まで甘めぇんでしょーに?」
「んだと……」
 男の眉間に皺が増えた。
 面白れぇ。
 俺はここぞとばかり、笑みを作る。
「ま、いずれ俺がアンタを抹殺して味合わせて貰うつもりですがねぃ。今のところ美味しい思いしてんのはアンタだ。代わりに払ってやりゃあいーんじゃねぇんですかぃ?」
「総悟、てめっ」
「おっと、動くと銀時が起きやすぜィ」
 わざと聞こえよがしにその名を口にする。と、言った途端、一旦座卓に手を置き立ち上がりかけた男の動きが止まった。そして腰にある腕を見下ろし、チッと小さな舌打ちを漏らすと土方はそのまま静かに腰を下ろした。

「おい、用が済んだんなら仕事に戻れ」
「へいへい。あ、そうだ土方さん」
「んだ、まだ用か?」
「アンタのお陰で今日のやきそばパンはタダになりやした。礼を言っときやす」
 は? という顔で、なんのことだ? と聞き返してくる土方を無視して俺は背を向けた。
 そして、そのまま足早に廊下に出ると、後ろ手にそっと襖を閉じた。




 今年、俺は出会ったときの土方の年を超える。

≪完≫

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あきゅろす。
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