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≫カモフラージュ
ふざけている。ふざけ過ぎている。
最初、聞いた時はあまりの驚きに何も言う事が出来なかった。
「本気で言ってんの?」
呆れた。ここまで阿呆だなんて思わなかった。
「だってさ、男同士付き合ってるのなんて、バレたら色々とヤバいだろ。面倒くさいのはごめんだしよ」
じゃあ、別れるか。とは言えなかった。
「女と遊ぶのはカモフラージュだって」
それでも、寝る必要はないだろう。
「っつーワケだから。いちいち浮気とか言ってんなよ」
じゃあ、何だ。
カモフラージュ。
嫌だとは言えなかった。
行きつけの飲み屋で見かけた瞬間、一目惚れ。同じ大学にいると知った俺は、ノンケの彼を口説き落とし、やっと恋人の地位を手に入れたのだ。
嫌だと言ったところで簡単に切り捨てられてしまうのは、目にみえてる。
頷くより他になかった。
だが、それもそろそろ限界に近い。隠す必要はないと思ったのか、ヤツはおおっぴらに女をはべらせ、喰い散らかす。
ヤツの部屋に遊びに行き、事の最中に出くわした時は死ねると思った。
マジで。息がとまるかと。心臓は氷の刃でメッタ刺しにされた。
でも、涙は出なかった。いっそ泣けたら楽だったのに。
女のデカ乳に顔をうずめるヤツを見て、本気で改造を考えた。
男と付き合ってるのと、ニューハーフと付き合ってるの。どっちにしても、現状は変わらないという結論に行き着いて泣きたくなったけど、やっぱり涙は出なかった。
胸に刺さる棘は抜けない。
「もう……ダメかも」
なんという偶然。愚痴りたいと友人を呼び出したカフェの窓から見えるのは、アイツと派手な美人。友人も俺の目線の先にいる仲睦まじい二人の姿に気付き、ピク、と眉を跳ね上げた。
「おー、別れろ別れろ」
「……ははっ、マジだ」
「マジだ」
微笑み王子の異名を持つ友人の顔は、いつになく真剣だ。
別れろ、か。
今ならまだ引き返せるかもしれない。半年付き合って、キス一回。友達同士の戯れの域を出ない付き合いだ。性的な触れ合いを故意に避けているアイツ。女の子大好きなアイツ。
曖昧に笑ってエスプレッソを口に運び、もう一度窓外に目をやる。
そこに、二人はもういなかった。
「しょうもな……」
「お前も遊べば?」
「ばっか、俺だと相手が男ンなるからカモフラって言い返せねーって」
ガチなの。そう冗談めかして口元にこぶしをあてる。
ヤツは浮気でも気にしないだろうけど。
ああ、痛い。
引き返せるのはアイツだけで、俺はとっくに後戻り出来なくなってる。カモフラージュに頷いた時にはもう、そうだった。
「でもさ、向こうは男と……要はお前と付き合ってんのがバレないようにしてるワケだろ。立て前としては」
涼しい顔で痛いところを突くね、キミは。
「だったら、お前が誰かと遊んでもさー。アイツのお手伝いになるんじゃね?」
それは――付き合ってる意味ないんじゃないか?
でも、そう言ってやったらアイツはどんな顔をするんだろう。見てみたい。かもしれない。そのままサヨナラになる確率が高いけど。
「実際、溜まってんじゃないのー? アイツとセックスしてないんだろ?」
午後の日差しも麗らかなカフェで際どいセリフを口にしてストローを咥える友人に、返す言葉もなくうなだれた。
「つか、お前の痛みを思い知れって感じ」
痛まないよ。ヤツは。
「ホイホイ相手見つかんねーよ」
「お前がネコすんなら、俺が相手してやるけど?」
「あら、やだ。俺相手に勃つのかしら」
「そこは気合いだろ」
「気合いかよ」
ケラケラ笑い合う。
それは、いつもの冗談だった。
「気合い入れろよ」
濡れた髪からポタポタ落ちる雫が、湯上がりの火照った肌を冷やす。
「了解。っつか、お前はいいのかよ。後悔しねーの?」
微笑み王子は俯きがちな俺を覗き込んだ。その異名の通り、柔らかな笑みを浮かべて。
「抱け」といきなり押し掛けた俺にうろたえた風も困った風もなく、ごく自然に家に招き入れてくれた。
シャワー浴びて、ベッドに並んで腰掛けて。華奢とは程遠い俺の剥き出しになった肩を抱く。
「いいのか?」
甘く囁く。
まるで恋人にするみたいに。ノンケのくせに無理をする。リベラルで柔軟的な考えをするコイツは、同性愛に理解はある。だけれども、我が身の事となれば話は違うだろうに。
「ごめん」
「……後悔しそうか?」
「や、違くて……ああ、どうだろ……後悔」
違う。もうアイツとは終わりだ。限界も限界。俺が壊れる。“カモフラージュ”という言い訳に縋っていたと、痛感させられた。
「何かあったんだろ? 話したくない? 話したい?」
「あのバカ、男とヤってた」
マジ泣きたい。泣けない。死ね。バカ。ヤリチン。
相手は小柄で色白。パッと見、しかも横顔だったけど、キレイな男だったと思う。いっそ清々しいほど見事に俺と正反対。
今までも、女だからって許せてたワケじゃない。
立て前だって分かってた。いつだって痛かった。
でも、このやるせなさは。
それを友人にぶつけようとしてる俺は最悪だ。
「結局、俺は……俺とはセックスしたくないって事だったんだろうな」
「抱きたかった?」
「どっちでも。アイツが求めてくれるなら、どっちでも」
求めてくれなかった。
俺だけが求めてた。
「そか」
「そそ。けど……もういーわ。痛過ぎ。げんか、い……っ」
最後は声にならなくて、堰を切ったように涙が溢れた。張り詰めていた糸がプツリと切れた。
やっと泣けた。
棘は抜けない。風化していくものなのか。
待つしかないのか。
トントン、と背中でリズムを刻む指。撫でるように濡れた髪を梳く手。友達同士にしては、甘ったるい慰め。
「なあ、ちょっといいか」
優しい王子様は、俺をベッドに押し倒した。
驚いている間に頭の下にバスタオルを敷かれ、脇腹をスーッと撫で上げられる。
エロい手つき。のしかかる重みに息を飲んだ。
「……気合いはいらないっぽいな」
至近距離で見つめ合う。吐息が唇に触れて肩が跳ねた。
「いらねーのかよ」
「おうよ」
「慰めの一環? セックス込み込みコース?」
「いや、俺は……」
眦を伝う涙を掬ってくれたチャレンジャーは口ごもる。
「無理すんなよ」
バァン――玄関の方から聞こえた派手な音が俺の笑い声に被さった。
ドカドカと乱暴な足音に続き、怒声とともに寝室のドアが開く。
「てめえ! 何してんだよ!?」
お前にだけは言われたくない。
汗だくで息を切らし、怒りに眉を吊り上げているのは、俺の恋人だった。
「風呂入ってる時、電話しちゃった。カモフラージュのお手伝いしてあげますって」
「はは……安い挑発だな、おい。つか、それに乗っちゃったワケ? だっさ」
嘲笑と同時に頬に激痛が走る。見れば、挑発者は突き飛ばされたらしく、尻餅をついていた。
「浮気してんじゃねえよ!」
「お前が言うなっての。もう限界なんだよ。カモフラージュって男抱いても言えんの? それとも“俺と”付き合ってんのがバレたくねーの? どっちにしろ終わりだ」
「……っ、ヤってねえ! 俺はホモじゃねえんだよ!」
何を今更。
ああ、ね。あの美少年君とは出来なかったのね。
「ンなの、分かってる。女が好きなんだろ。分かってるって。しつこくして悪かった。バイバイ」
「……嫌だ」
ガキかよ。ホモじゃないなんて、最初から知ってる。俺がしつこく言い寄ったのは認める。でも、付き合うと決めたのはお前自身じゃないのか?
「もう、いい」
痛いのは嫌なんだよ。辛いんだ。泣けないくらい。
「良くねえよ! 巻き込んだのはてめえだろ!」
「だから、ごめんて」
「俺は別れねーから」
この男は何を言ってんだ?
さっさと引き返せばいいだろ。カモフラージュなんて理由付けて浮気すんの、どう考えても面倒くさいだろ。
呆れと困惑に黙り込む。重たい沈黙に耐えれなかったらしい恋人は、舌打ちを寄越して帰っていった。「ソイツと寝たら殺す」そんな物騒な捨てゼリフを残して。
「理解不可能」
「そうか?」
とばっちりを食っても笑顔の友人に濡れたタオルを手渡され、ズキズキ痛む頬にあてる。
何で俺が殴られなきゃいけないのか、全く分からない。
「勝手して悪かったな」
「いや……ありがと」
別れない、だってさ。電話を受けて、俺を探したんだろな。アイツ。息切らして汗だくで。土足で不法侵入。犯罪者じゃないか。
「なあ」
「んー?」
「殴られた頬の痛みに愛を感じる俺って阿呆か?」
「阿呆でもいーんじゃね?」
否定しないのかよ。少しくらいはフォローしやがれ。
「阿呆さぶっちぎりの二人でお似合いよ?」
「そりゃどーも」
嬉しくて泣けそうヨ?
俺はロイヤルなスマイルを浮かべた優男のデコを指で弾いた。
end
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