59.陰謀(三国志ファンに100のお題より、周瑜×孫権)腐向け ピクシブに上げた話の前半部分。 瑜権少なすぎて飢え死にしそうなので北方三国志をベースにして書いてみましたが他の人が書いたいろんな瑜権が読みたいです。 兄孫策の死後も江南、江東は表面上は平穏だった。 兄の盟友であった、周瑜が一万の兵を率いて駆けつけ、率先して孫権を殿と呼んで臣下の礼をとってみせたことが大きかった。 しかし、水面下では陰謀が進行していた。 曹操が、揚州に兵五万を送り、孫権の叔父の一人である孫輔を揚州の主に立てようという陰謀である。 孫権は兄の義兄弟であった周瑜と、孫輔の兄弟でもう一人の叔父である孫ホンにだけ孫輔の造反について話し、父孫堅なら、兄孫策ならどうしたと思うか意見を聞いたが、二人とも、孫堅には孫堅の、孫策には孫策のやり方があったと言い、既に揚州の主である孫権は自分のやり方でやるよう説いた。 「決めた」 「孫ホン殿に会いに行かれたそうですね」 情報の重要性を知る周瑜はさすがに耳が早かった。 「叔父上も同じことを言われた、周瑜と」 若い孫権は父なら、兄ならどうしたかと思わずにいられないが、周瑜に言わせれば、孫権には孫権のやり方があってしかるべきなのだ。 「決めたのなら、その通りにされることです」 周瑜の言葉は温かく響いた。 決めるのは孫権だが、その結果をともにしようとしてくれているように孫権には思えた。 「孫輔は、南の端に流す。表向きはだ。他の者は処断」 「表向きは」 周瑜は孫権が口に出さなかった真意に気づいた。 表向きは流刑だが、実際は処断するつもりなのだ、父の死後、幼かった孫権を育ててくれた恩人である叔父を。 「これは、毒だ。根から断たねばならん」 「わかりました。ひそかにと言われるのなら、私ひとりが付き合いましょう」 周瑜はつらい決断をした孫権を支える決心をして会議で話すべきことを孫権と打ち合わせた。 周瑜の他にもう一人事情を知っている孫ホンは引退した身であり、会議には出席しないため孫権と周瑜が話を進めるしかない。 孫権は会議を招集し、その場で孫輔を捕らえた。 孫輔が必死の形相で弁解し始めたが、孫権は聞かなかった。 「さて、叔父上ですが、南の辺境へ行って働いていただきます。南野では守兵500を指揮されるとよい」 「南の端ではないか、南野は」 「父を亡くした後、父のようにかわいがり、育ててくだされた。それで、南野を差し上げるのです。曹操の軍を引き入れるとは、本来なら打ち首でしょう」 「私は、寛大すぎると思う」 周瑜が、立ち上がって言った。 「造反の計画だけならともかく、曹操の軍を引き入れるとは、揚州を売る行為です。ここは、私情はお捨て下さい」 会議は、水を打ったように静かになった。 率先して臣下の礼を取って以来、公の場で孫権の決定に異を唱えたことのない周瑜の厳しい発言にみな声も出ない。 「一度だけだ、周瑜。私の父のような人なのだ。生きる道だけは、残して差し上げたい」 孫権が穏健な処分を言い、周瑜が強硬な意見を具申することは打ち合わせ通りだった。 「ならば、放逐されよ。南野を与えられるなど、もってのほかと心得ます」 周瑜が孫権を睨みつけている。 普段温厚な周瑜の言うことだからこそ重みがあるのだが、憎まれ役を押しつけてすまないと思いながら孫権は言った。 「頼む、周瑜」 孫権が頭を下げ、周瑜が息を吐いた。 「人の道をとられるか、国の主の道をとられるか。わが君は、人の道をとると言われるのですね」 表向きは、だ。 そうでなければ、人はついて来ない。 「一度だけ。私の我が儘と思ってくれてよい」 周瑜がうつむいた。 会議には、ほっとした空気が流れた。 重臣の周瑜は強硬な意見を言っているが、孫権には人の情がある、孫輔は助命されるだろうと思われたからだ。 「巴丘まで水路を使われるとよい、孫輔殿」 周瑜が言って、腰を降ろした。 自分の厳しさは、豪族たちの身にしみただろう、と孫権は思った。 孫輔に同心した豪族の一族や孫輔の家臣の主な者たち、全体で200名を超える処断である。 処断はすぐに実行され、豪族の首は、建業の城門に晒された。 孫権は周瑜の軍船に乗り、牛渚で停泊し、そこから小船に乗りかえて移動し、周瑜と二人きりで孫輔が乗った船を待った。 周囲の者を欺いてまで孫権は軍船にいると思わせたのは、孫輔を流刑地に行かせないためだ。 「叔父上」 孫輔に、孫権は呼びかけた。 たとえ今回生きる道を残して南野に押し込めようと、この叔父は不満を持つだろう。 誰かがそこにつけこむ。 孫輔を担ぐ名分を与えることになる。 叔父がこの世にいる限り、それは避けようのないことだ。 「私を殺せるのか、権。子のいない私は、おまえを実の子のようにかわいがってきたのに」 「殺せます」 孫権は言い、剣を抜いた。 孫輔も、震える手で、剣を抜いて構えた。 孫権は孫輔を斬ったが、どこか浅かったのだろう、孫輔は肩から血を噴いたが、まだ立っていた。 不意に、周瑜が跳躍し、孫輔の胸に剣を突き立てた。 そのまま川まで押し、剣を抜くと孫輔の身体を川に落とした。 「周瑜」 「お見事でした、殿」 周瑜は孫権を誉めたが、孫権は自責の念にかられた。 本来、これは自分だけでけりをつけるべきことなのに周瑜の手をわずらわせた。 「済まなかった。周瑜にまで、手を汚させてしまった」 剣を鞘に収め、周瑜は言った。 「手は、これからも汚れます。殿と私で、天下を取るのですから。きれいな手のまま掴めるほど、天下は甘くない。…それは孫策殿の死で、私も学んだことです」 運命共同体という言葉が孫権の頭の中をよぎった。 兄の遺言、周瑜と二人で一人になれとはこういう意味だったのであろうか。 「泣いてもいいかな。兄上が亡くなられてから、私は自分に泣くことを禁じてきた」 孫輔の死体は、下流へ流れていく。 「もう、立派な揚州の主です。好きなだけ泣かれるとよい。私も、涙を禁じていました。ともに、声を放って泣きましょうか」 周瑜が言った。 孫権は頷いたが、涙は出てこなかった。 それは周瑜も同じらしい。 「天下か」 「因果なものにとりつかれたのだと思います。殿も私も」 長江の流れに、孫権は眼をむけた。 「人としての思いなど、この川に流せばいい」 孫権はつぶやいた。 人の道でなく、国の主としての道を取ると決めたのだから――。 「仲謀殿……」 周瑜が背後から孫権を抱き締めた。 孫権が周瑜に抱き締められたのは、過去にたった一度だけ。 孫策の死を知り、周瑜が一万の軍を率いて巴丘から建業に駆けつけてきたあの時だけだった。 「すまない、公瑾…。お前に嫌な役割を押しつけた」 会議で憎まれ役を押しつけ、自分の手で差すべきとどめも周瑜にささせた。 「一門の不祥事ともなると意見出来る者は限られる。私が言うべきことだったのだ、仲謀殿が気にする必要はない」 周りに誰もいない時にだけ、周瑜は孫策が生きていた頃のように上から目線の物言いで話すことがある。 目上の親族を亡くしたばかりの孫権には、そのことがとても嬉しい。 父親代わりだった叔父を処断した今、兄代わりの周瑜は孫権にとって数少ない甘えられる相手だ。 「公瑾……」 孫権はこの時、兄の非業の死の日以来、初めて涙を流した。 [*前へ][次へ#] |