雪夏塚〜セツゲツカ 姫崎綾華編_第四話 マリンブルーの絆(その1)
震えとは何も寒い時だけに起きるものではないということを、槙人はこの日初めて体感した。
期末試験が終わり、一学期の授業も修了した。そしてその最後に渡される成績表。そこに、衝撃の事実が記されていたのだ。
赤点。皆無。
「うおおおおおおおっ!?」
槙人は喜びと驚きが入り交じった叫び声を上げた。
ほとんどギリギリだったが、奇跡的にも補習を回避できたのだ。
三連休の集中勉強は、無駄ではなかったらしい。
(こりゃ、素直に綾華のおかげだな)
槙人は苦笑した。綾香があの時提案してくれなかったら、恐ろしいことになっていたかもしれない。
今度何かおごってやろう。槙人はそう思った。
「どうした姫崎よ。あまりの成績についに発狂したか?」
と、その時、市川がのしかかるようにして槙人に寄ってきた。
転校してから初めて口をきいた、記念にしたくないクラスメイトだが、どういうわけかクラスで一番一緒にいることが多い。はっきりいって「変なヤツ」だが、一般的にはこの男とは仲が良いのだろう。
「お前じゃあるまいし、成績くらいで発狂するか」
こうして軽口を叩き合うこともできるからだ。
「それに、赤点はなかったよ」
「なんだとお!?」
市川は何故か怒りの声をあげた。
「見せてみろっ!」
「あ・・・」
そして、槙人から成績表を奪い取る。まじまじとそれを見つめた後、目をこすってもう一度見直した。
「・・・姫崎」
暫くして、市川が口を開いた。
「何だよ」
「何だ?これは」
「俺の成績表だよ」
「そうじゃない!」
ばん、と市川は勢いよく槙人の成績表を机に叩きつけた。何すんだよ、と呟いて槙人はそれを取り戻した。
「何故赤点が一つもない!?」
「実力だ」
「お前の実力はそんなものか!?」
「・・・用法間違ってないか?」
「ええい!黙れ黙れ黙れぇ!!」
まるで発狂したかのように市川はぶんぶんと頭を振る。
「運も実力のうちという言葉がある・・・それは俺も認めよう」
「待て。運じゃねえよ」
自信ないが。しかし、市川は槙人の言葉など聞いていなかった。
「だが!しかし!お前が赤点を取らないでどうする!?」赤点を取ったお前が学生にとって最高の宝物の一つである夏休みを勉強なんぞに費やすために、このくそ暑い中汗と涙とその他色々なものをたれ流して学校にやってきて地獄のような補習を受けているのをカメラで撮って、エアコンの効いたお前の部屋で冷たいアイスを食いながら余裕の表情で見下すという俺の計画はどうなる!?」
凄まじい迫力で市川は槙人に掴みかかる。目は真剣そのものだが言っていることは無茶苦茶だった。普段から人をからかう事を生きがいにしているような男だが、どうもこれは本気でやろうとしていたらしい。
冗談も、ここまで熱心だと笑えない。
だが、血涙を流しかねない市川の悔しさっぷりが面白いので、槙人はさらに追い打ちをかけるように鼻で笑ってやった。
「ビンにでもつめて海に流したらどうだ?」
運が良けりゃハワイに着くかもしれないぞ。そうつけ加えて、槙人は席に戻った。
「大丈夫だった!?」
呪詛のようになにやらブツブツ言っている市川を見ていると、エレアがやって来た。
「ああ、何とかな」
「ヤバいヤバい言ってたケド」
「ヤバいことはヤバいけどな。結果オーライだ」
「そっか。良かったネ」
「ああ。サンキュ、エレア」
エレアも無事だったらしい。留学生だから、あまり関係ないのだが、日本語が達者な本人にとっては、なかなか重大なことだったようだ。エレアも安堵の表情を浮かべている
「姫崎クンは夏休みはどこかに行ったりスルノ?」
解放感に包まれた教室。槙人の前の椅子に座って、槙人よりも成績の良いエレアが尋ねた。
「ああ。綾華・・・妹達と海にな。他にはないんだけど」
「へえー」
「エレアは?」
「ワタシは両親のトコロに一旦帰るヨ」
「そうか。・・・あれ?待てよ、お前の実家ってどこだ?」
チリ生まれ、インド育ちのドイツ人であるエレア。国籍上も文化的にも何人だかさっぱり分からない。一体どこに帰るというのだろう。
「親は現在オーストラリア」
「南半球なのかよ・・・」
しかもしっかり下の句になっている。
「向こうは冬だろ。大変だな」
「屶瀬島だって冬じゃナイ」
「・・・はは。まあな」
「姫崎槙人ォー!!」
エレアの言葉に槙人が苦笑していると、突如教室に怒声が響き渡った。
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