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東方十全歌 〜Lost World beyond the Border 第一話
 魂魄妖夢は剣を振るう。
 主、西行寺幽々子を護るために。
 二振りの太刀、楼観剣と白楼剣を使い、幽々子に仇なすものは全て切り伏せるつもりで
ある。
 それが人間であろうと、妖怪であろうと、はたまた火でも水でも空気でも。幽々子に害
が及ぶとなれば、それが何であろうとも妖夢は斬ってみせるつもりだった。
 しかし、世には自分の能力を超える人妖が存在し、また実体のない物を斬るのにも相当
の腕が必要となる。だから、妖夢は毎日剣を振るい、己を磨き上げているのである。たと
え相手が何であろうと、必ず斬り裂くために。今はまだ未熟でも、いつかその境地に達す
るために。
 幽々子は妖夢が未熟である点を指摘して、よく妖夢をからかう。妖夢はその度に少しは
反論したくなるのだが、自分が未熟であることは百も承知なので、結局仏頂面でまた修行
に励むのだった。

「妖夢」

 この日も、そんな主の言葉をいただくことになる。
 
「あなたに、空(くう)は斬れないわ」

 そして、それが発端となった。









 ――東方十全歌 〜Lost World beyond the Border









「え……」

 箒で庭の掃き掃除をしていた妖夢は、不意に縁側に現れた主からそう告げられた。掃く
手を止め、妖夢は後ろを振り返る。縁側に座り、幽々子は楽しげに妖夢を見ていた。
 
「幽々子様? それは、どういう……」

 突然言われたこととはいえ、妖夢は幽々子の言葉を聞き逃すほど呆けてはいない。言葉
のおおよその意味を飲み込むと、妖夢は幽々子に尋ねた。

「あなたに空は斬れない。聞こえなかったのかしら?」
「いえ、聞こえてましたが……」

 のほほんとした様子で幽々子は先ほどの言葉を繰り返す。
 
「この間何でもかんでも斬ろうとしてたからね、先に言っておこうと思って。もう一度言
うけど、あなたに空は斬れないわ」

 先日の宴会騒ぎのことを言っているのだろう。妖怪辻斬りだの半人半霊の通り魔だの、
不名誉な呼び名をつけられていた。妖夢としては事件解決のためにやっていたのだが、や
はりもう少し頭を使ったほうがよかったもしれなかった。とはいえ、妖夢は斬る以外に解
決の方法を知らないのだが。

「それはまあ、この二刀にも切れないものは少しありますが……」
「相変わらず物分かりが悪いわね。私は、あなたに斬ることはできない、と言ってるのよ」
「それは、私が未熟だからということでしょうか?」
「……うぅん。そうねえ、未熟ねえ」

 少し考える仕草をして、幽々子は笑う。その言葉に何か含みがあることは分かるが、幽
々子や紫の言葉は即座に理解するには難しすぎる。妖夢はうつむいて考え込んでしまった。

「まあ、そういうことよ。それだけが言いたかったから。じゃあ、お仕事頑張ってね」
「あ……」

 言いたいことを言って満足したのか、幽々子は立ち上がるとひらひら手を振って妖夢に
背を向けた。妖夢は追いかけようとしたが、追いついたところでどうにもならないだろう。
妖夢に難解な題を出してくるときは、それ以上のヒントなどくれないのだ。真意を知りた
ければ自分で考えろ、ということなのである。

「……むう」

 残された妖夢は、箒で地面をひと掃きすると、ため息をついた。
 単なる思いつきなのか、それとも何かを知っているのか。幽々子がどういう意図でそう
言ったのか分からなかった。意図が知れないのはいつものことだが、今回はとりわけ手が
かりがない。春雪異変や鬼退治のときはまだその目的は分かっていたけれど、今日は何か
しようという感じでもなかった。
 となると、本当にただの思いつきなのだろうか。あの事件の解決法が行過ぎていたこと
は認める。しかしそれに歯止めをかけるにしても、どこか方向性を欠いているように思え
た。「やめろ」と言われればやめるのに、なぜ「斬れない」なのだろう。

「……斬れないのかなあ」

 空、すなわち空間。確かに斬るのは容易ではないだろう。
 妖夢の目標は、ありとあらゆるものを斬ることである。幽々子に危害が加わるのならば、
たとえ空間であろうとも斬ってみせる。難しいし、成し遂げるのに何百年とかかることだ
ろう。それでも、斬れと言われたら斬るほどに腕を磨き上げるつもりだった。
 ところが、幽々子の言葉はそれを真っ向から否定するものである。妖夢に空間は斬れな
い、と。
 未熟だから斬れないのだろうか。寿命というものを考えず、永遠に存在できるとして、
それでも斬れないのだろうか。そうではないような気がする。どれだけ修行を積もうとも、
妖夢に空間は斬れない。幽々子はそう言おうとしていたのではないだろうか。

「空間……」

 箒を地面に置き、妖夢は楼観剣を腰に当てて抜刀の構えを取る。
 
「シッ!」

 瞬――。ヒュバッ、と空気を裂いて銀色が走る。五割も出さないスピードだが、物を切
るには十分である。もちろん、この程度では雨も空気も、ましてや空間を斬ることもでき
ない。十割の力を出したとしても、今の自分は空間を斬るには力不足だろう。
 しかし、幽々子の言葉を解釈するのなら、単純な力不足云々の話ではない。空間がそも
そも斬れないものなのか、それとも妖夢自身に何か至らない点があるのか。幽々子が妖夢
の未熟を肯定したことを考えれば、恐らくは後者。大雑把に考えれば、空間を斬る実力は
あるけれど、何かが足りていないということになる。

「足りてないもの……たくさんあるような」

 妖夢は頭を抱えた。そも、未熟なのだから色々足りていないに決まっている。何が足り
ていないのかは分からないが、きっと色々あるうちのどれかなのだろう。

「本当に斬れないのかな」

 箒で地面を掃きながら、妖夢は呟く。空間を斬る実力があり、足りない何かを手に入れ
たとして、それでも斬れないのだろうか。
 実力はいずれつく。努力もする。ならば、その足りない何かを見つければ、本当に斬れ
ないのかどうかが分かるのではないか。けれど、どうすればそれを見つけることができる
だろうか。幽々子に尋ねたところで答えが返ってくるはずもない。

「何か、ヒントがあればいいのだけど」

 分からなければ、斬る。斬れば分かる。しかし、空間は今の妖夢では斬れない。
 
「空間に近いものを斬れば、分かるかも……」

 或いはその可能性もある。とっかかりがあれば何かしら進展が望めるだろう。
 空間に近いものといえば――時間だ。というよりも、同質のものと考えていいだろう。
 そして、時間といえば――。
 
「……そうだ」

 ぴん、と思い浮かぶ。そばの半霊も一緒になって頭をもたげる。
 一人、最も解答に近そうな人間がいるではないか。
 彼女を斬れば、何か糸口がつかめるかもしれない。
 妖夢ははやる心を抑え、まずは掃き掃除を終わらせてしまうことにした。


 時間を操ることができるのなら、時間に最も近い立場にいると考えられる。
 十六夜咲夜。彼女を斬ろう。








 午後。幽々子に暇をもらい、妖夢は紅魔館へ赴くことにした。冥界からは距離があるが、
一直線に目指せばそれほど長い時間はかからない。山や森を越え、妖夢は湖を視界に収め
るまでに至った。
 紅魔館の訪問は色々と面倒である。まず、湖に着いたら周辺をパトロールしているメイ
ドに声をかけて用件を伝えなければならない。これを怠ると侵入者と認識され、紅魔館警
備隊が颯爽と迎撃に向かってくるのである。次に、メイド長に用がある場合は門番に話を
つけなければならない。メイド長に用があるというただそれだけで敵意を持っていないか
どうか確認されるのだ。これを怠ると門番と館内のメイドたちが襲いかかってくる。礼儀
正しく順を踏まなければ、余計に面倒なことになるのだ。
 面識のある者ならばここまでを省略できるのだが、生憎妖夢はメイドたちに顔を覚えら
れるほど紅魔館を訪れてはいない。門のところまで案内されれば、門番紅美鈴が知り合い
なのでひと息つくことはできるが。

「久しぶりね、妖夢」

 館外警備隊に案内され、妖夢は紅魔館の門まで辿り着いた。美鈴が出迎える。
 
「どうも。お久しぶりです、美鈴さん」

 妖夢はぺこりとお辞儀をした。
 
「咲夜さんに会いにきたんだって? 一応呼んでおいたけど、何の用?」
「ええと……ちょっと、お願いがありまして」

 流石に斬りに来ましたとは言えず、妖夢は言いよどむ。
 
「そう? ま、物騒な用件じゃないだろうからいいわ。もし敵を招き入れたりしたら、私
も敵さんと同じくらいのお仕置き受けるからね」

 しかしそれ以上は詮索されなかった。知り合いだから用件まで明確に述べる必要はなか
ったらしい。正直なところ助かった。

「あはは……そうですか」

 物騒な用件ど真ん中である。妖夢の良心はずきずき傷んでいた。しかし、ご愁傷様とし
か言えない。口には出せないけれど。

「珍しいわね、あなたが来るなんて」

 美鈴と立ち話をしていると、咲夜が現れた。いつものメイド服で、いつものエレガント
な雰囲気をたたえている。その大人びた佇まいが妖夢には羨ましい。思わず自分のちんち
くりんさ加減を恨む。
 しかし用件は自分の幼児体型ではない。美鈴に席を外してもらうと、妖夢は改めて咲夜
に礼をした。

「まあここじゃなんだし、入りなさい」
「いえ、ここで結構です」

 館内で戦うのは面倒だ。やるなら外が一番いい。姿勢を正し、妖夢は咲夜に向き直る。
 
「西行寺家二代目庭師魂魄妖夢。十六夜咲夜に戦いを挑みに来ました」

 す、と咲夜の目が細くなる。ナイフのような気が、妖夢に向けられていた。目を背けず、
妖夢は刀に手をやる。
 しばし張り詰めた空気の中で二人は向かい合っていた。と、少しして咲夜が目を閉じ、
はあとため息をついた。

「何かと思えば……また通り魔ごっこ?」

 どうやら、あのときの続きのようなものに思っているらしい。妖夢は首を横に振った。
 
「今回はあなただけを斬りに来ました。必ず、斬ります」
「……美鈴は後でお仕置きね」


 ――キン


「……!」

 一瞬緩んだ空気が、一気に張る。音こそしないが、肌がぴりぴりとそれを感じ取ってい
た。妖夢はずらりと楼観剣を鞘から抜く。次いで白楼剣を静かに抜き、二刀を構えた。腰
を落とし、脚に力をためる。咲夜は特に構えるでもないが、それが彼女特有の戦い方なの
は妖夢も知っていた。
 対照的な二人が、対照的に構える。
 
「……いざっ!!」

 機を見て、妖夢はその力を一気に解放した。鈍い音を立てて地面が揺れ、視界の咲夜が
大きくなる。
 横一閃に楼観剣を振るう。しかし斬りつけたそこに咲夜はいない。音もなく消え、刀は
ばらばらと空を舞うトランプを捕らえるだけにとどまった。それは咲夜の防御であると同
時に攻撃である。時を止め相手の攻撃をかわし、ナイフを投げつけるのだ。妖夢は咲夜を
探して止まるようなことはせず、そのまま地面を蹴って空に飛んだ。慣性に従って体が斜
め上に昇る。直後、妖夢のいた位置に数本のナイフが飛んできて地面に刺さった。その方
向に咲夜がいると見て、妖夢はぐるりと体の向きを変える。一瞬だけ紺色が目に入ると、
それが何なのか確認もせずに妖夢はそこへ突っ込んでいった。
 その目に、銀が映る。ナイフと認識する前に、それの纏う殺気が妖夢の体を動かした。
飛び込む軌道を咄嗟に変え、妖夢はさらに上昇する。上から見れば、咲夜がどこにいるの
かが正確に分かった。

「はあっ!」

 そこへ二発、衝撃波を放り込む。剣の纏った妖気が解放され、弾幕となって咲夜へ向か
う。
 それを見て、ふっ――と咲夜の体から力が抜けるのを、妖夢は見逃さなかった。弾にス
ピードがないゆえに、咲夜は時を止めずにかわすことを選択した。その一瞬を狙ったのだ。
妖夢は素早く白楼剣を鞘に収め、楼観剣を両手に握り締める。
 何もない空中を蹴り、弾が咲夜に届くより速く、妖夢は咲夜に吶喊した。
 
「く!?」

 ギィン、と金属がぶつかり合う。振り下ろした楼観剣はナイフが受け流そうとしたが、
完全には成功しなかった。咲夜の腕は弾かれ、体ごと地面に打ち落とされる。辛うじて着
地することはできたが、妖夢は逃がさない。今一度柄を握り、体勢の整わない咲夜に襲い
かかる。地面に手をつき、咲夜は表情を歪めながら後ろへ跳んだ。

「六道怪奇!」

 しかし動きは見切っている。妖夢は落下しながら半霊に指示を出した。近くを飛んでい
た半霊は身を震わせ、弾幕を張り始める。威力など期待していない。ほんの少しでも咲夜
の動きを制限できればいい。時を止める暇を与えられなければそれでいいのだ。
 地面に片足を乗せ、そのまま蹴った。逃げ道を探す時間すら与えず、妖夢は袈裟に咲夜
を斬りつける。咲夜は猫のように体を捻ってそのひと振りをかわした。時を止める時間は
ないようだ。ならば、追撃あるのみ。咲夜をリズムに乗せず、ひたすら自分の有利になる
ようにことを運べばいい。妖夢は六道怪奇を発射させたまま今度は白楼剣も引き抜いた。
咲夜のナイフを白楼剣でいなし、楼観剣でその隙を突く。しかし、当たらない。咲夜は舞
ともいえるような華麗な体術で、三方向からの攻撃をかわしていた。とはいえ、決して余
裕があるわけではない。普段の涼しい顔も戦いのときの凛とした表情もない。妖夢の連撃
に、ただ防戦一方になっているだけなのだ。それでも服を切り裂かれる程度に抑えている
のは賞賛に値する。まだ、どちらも血を見ていないのだ。
(なら……!)
 六道怪奇を止める。自分自身の攻撃に全てを集中する。速く――さらに速く太刀を振る
う。ひょうひょうと耳元で鳴っていた空気が、ひゅっと音を変える。空気の裂ける音がさ
らに鋭くなったのが分かった。
(速く……もっと速く!)
 楼観剣を防御に用いてフェイントをかけ、白楼剣で咲夜のナイフを無理矢理弾き飛ばす。
(いけ!)
 好機。咲夜の武器がなくなったのを見るや、妖夢は体を捻って防御に使った楼観剣を振
るった。銀の太刀が咲夜の胴を狙う。腰と肩と腕の筋肉を最大限に使い、風のように斬撃
が走る。


 ――ヂイィンッ


「なっ!」

 だが。だがそれは、どこに持っていたのか咲夜のナイフによって軌道を変えられてしま
った。咲夜は深く沈みこみ、妖夢に足をかける。

「うわっ!」

 全力で刀を振り回したため、妖夢はバランスを崩して無様に転んでしまった。すぐそば
にあった咲夜の気配が消える。時間が空いたために時を止めて逃げたのだ。

「こっの……!」

 刹那の隙に期待して大振りしたことが敗因だった。己の未熟さを恥じるが、戦いの最中
に後悔している場合ではない。背中から地面に叩きつけられたが、体を回転させて妖夢は
すぐさま起き上がる。
 そこへ襲い来るナイフの群れ。軌道をカクカクと変えながら、アンビシャスジャックが
切っ先を妖夢へ向けていた。
 これくらいならば対応できる。妖夢はすうと息を吸い込み、かけ声一閃楼観剣を大上段
から振り下ろし、その剣圧でナイフを全て吹き飛ばした。その向こうにいた咲夜に、何本
かが翻って行く。妖夢はそのままもう一度咲夜に突進した。これは好機だ。敵の攻撃を返
し、さらに――斬る。
 しかし、咲夜の反射神経もまた常識を超えていた。あろうことか、咲夜は飛んできたナ
イフの一本に自ら向かうと、それを捕らえて妖夢に投げ返してきたのだ。またしても軌道
が変わり、正確に妖夢の目を狙ったナイフに、今度はブレーキをかけざるを得なかった。
妖夢は急停止し、楼観剣の鍔でナイフを受け止めた。キンとナイフがぶつかって地面に落
ちる。

「幻世『ザ・ワールド』!!」
「しまっ……た!」

 その一瞬の躊躇が、咲夜に機会を与えてしまった。咲夜はスペルカード宣言をし、炎と
魔弾を放つ。
 それが、瞬きをしたときにはナイフの嵐になっていた。
 
「くぅ!」

 リズムを抑え込むどころか、咲夜のペースにはまってしまっている。二度目の未熟を呪
いながら、妖夢は舞い踊るナイフを見据えた。
 いちいち避けていてはこちらが攻撃できない。ダメージ覚悟で、正面から行くしかなか
った。幸いナイフに変わるのは炎が発射されてからだ。接近戦ならば、奇術が発動する前
に潰せる。
 妖夢は突きの構えを取り、自分に飛んできたナイフを剣圧で吹き飛ばした。ナイフの壁
に穴が空く。六道怪奇で咲夜を牽制しつつ、妖夢はその穴に飛び込んだ。再び繰り出され
る炎と魔弾。妖夢はかまわずそこにも飛び込む。

「チッ」

 咲夜の舌打ちが聞こえる。瞬時に目の前に大量のナイフが現れる。だが、勢いはない。
元よりダメージ覚悟だ。妖夢は刃の雨に体を放る。体を覆う霊壁がナイフにかすり、ヂリ
ヂリと音を立てた。何本かは妖夢の腕や脚をかすめる。が、それらは全て直撃しなかった。
 弾幕を抜け、妖夢は再び咲夜に接近する。
 一度目のような失態は犯さない。より速く、より鋭く刀を振り抜く。
 
「シィッ!」

 楼観剣が咲夜を襲う。ひと振りで十の幽霊を薙ぎ倒せる楼観剣。勢いのついた妖刀をま
ともに受ければ腕がもげる。それを知っている咲夜は、先ほどのようにナイフで刀の軌道
を逸らそうと試みた。しかし、楼観剣はフェイクだ。手や足、どこでもいい、妖夢は咲夜
の身体が前に出てくることを望んでいた。手が出てくるのならば、その手を狙う。
 身体の捻れを無理矢理引きとめ、妖夢は残った左手に握られた白楼剣の柄を、咲夜の手
の甲に思い切りぶつけた。

「つっ!?」

 予期せぬ位置からの攻撃に、咲夜が驚く。さらに止まりきれなかった身体の捻れを利用
し、右肘を叩き込んだ。そして右足、回転して楼観剣。止められる。弱い回転ゆえに勢い
がない、だが咲夜の体勢は崩れている。

「天界法輪斬!」

 体が止まれば、別方向からの回転を生み出せるのだ。妖夢は弾かれて墜ちた楼観剣で、
下から一気に斬り上げた。回転をつけ、二回、斬りつける。咲夜の身体が飛ぶ。ようやく
手応えがあった。しかしこれで「斬った」とはいえない。妖夢はバックステップで距離を
取った咲夜を追いかける。

「ザ・ワールド!」

 咲夜が叫ぶ。姿が消える。あの厄介な動きを捉えるには、こちらはもっと速く動かなけ
ればならない。
 そう、時を止めるより早く、時の流れより速く、二百由旬を零にするがごとく疾く。
 飛び込め。早く、速く、疾く――。
 
「人符『現世斬』!」

 妖夢はスペルカードを発動させた。そしてすぐさま、より速く疾走するための一枚で咲
夜に狙いをつける。魔弾、炎、ナイフが荒れ狂っているが、このスピードを捉えきること
など不可能だ。

「喰ら……えぇっ!」

 己の五感をこの一太刀に預け、踏み込む。一瞬が間延びする感覚が妖夢を包む。迫る銀
と赤。ガラス窓を割るかのようにそれを押し破り、妖夢は咲夜に迫る。時を止めるより早
く、時の流れより速く、二百由旬を零にするがごとく疾く、神速の一刀を繰り出す。


 瞬――


 確かな手応えと共に、妖夢は咲夜のそばを駆け抜けた。
 ザウ、と妖夢の後方で咲夜が地面に膝をついた。
(斬った――!)
 刀から、感触が伝わる。剣は確かに斬ったと応えた。
 しかし。
 
「そんなんじゃ……」
「!?」
「そんな太刀じゃ、私のゲンセは斬れないわよ……!」

 しかし、声があった。
 そして、殺気。
 妖夢は振り向いた。
 
「あ……」

 咲夜は、確かに地面に膝をついていた。手で押さえている横腹からは、血が滴っている。
 だがその斬撃を受けてなお、咲夜は攻撃の手を緩めていなかった。
 
「……ザ・ワールド」

 咲夜に笑みが浮かぶ。


 ――トン


 そして、今度は何かが妖夢の足を掴む。
 目をやると、ふくらはぎにナイフが刺さっていた。
 咲夜のナイフ。それは、投げた後でも軌道を変える不可思議な奇術。
 投げ尽くしたはずのナイフが、いつの間にか全て妖夢に狙いを定めていた。まるで天蓋
のごとく、空を銀色で埋め尽くしていた。
 斬りつけた後の停止と、気の緩み。妖夢がスペルカードを宣言したときから、それの発
生を狙っていたのか。肉を切らせて骨を断つ。瀟洒とはいえないが、咲夜の底力がその気
概から見てとれた。

「く……ああぁぁあああああ!!」

 しかし、ここで諦めるわけにはいかない。まだ、目的を成しえてはいなかった。妖夢は
雄叫びをあげ、全てのナイフを払い落とさんとする。二刀を思い切り振り回した。がちゃ
がちゃと耳障りな音がうるさい。それでも妖夢は歯を食いしばり、向かってくるナイフ一
本一本を羽虫のように叩き落とした。

「はあぁっ!」


 ――がちん


 五本までは数えられた。恐らくは二桁のナイフが自身に傷を作ったことだろう。しかし
ながらダメージらしいダメージは脚に刺さった最初の一本だけで、あとの刃はかすめる程
度。妖夢はほとんどのナイフを打ち落とすことに成功していた。

「はぁ……はぁ……」

 なれば、続きだ。咲夜を斬る。
 
「…………っ」

 だが妖夢は動けなかった。疲れているからではない。脚に傷を負ったからでもない。
 最後の一本を打ち落とした瞬間に、咲夜が喉元にナイフを突き立ててきたからだった。
 
「チェックメイト、でいいかしら?」

 ナイフを叩き落としている最中、妖夢は完全な無防備だった。咲夜なら、その隙を突い
ていくらでも攻撃できたことだろう。それもなく、且つ今こうして命をつかまれているの
では、完全に妖夢の負けである。妖夢はだらりと両腕を下げた。

「…………はい」

 まだ、未熟だな。首筋に当てられた殺気が消えると、妖夢は肩を落としてため息をつい
た。
 そして、脚に刺さったナイフを引き抜く。
 
「私の、負けです……」

 それを傍らに置くと、妖夢は地面に正座をし、咲夜に頭を下げた。
 悔しい。斬ることができないどころか、負けるとは。やはり咲夜は強かった。
 しばらくの間土下座をしてから頭を上げると、妖夢はもう一度ため息をついた。そして
立ち上がり、膝の土を払う。

「それじゃ、私はこれで……」

 肩を落とし、妖夢は咲夜に背中を向けた。負けてしまってはヒントも何もあったもので
はない。いずれにしろ現在の妖夢は空間どころか咲夜を斬ることもままならないのだから、
まずは腕を上げることが先だろう。腕を上げ、咲夜を斬れるようになってから、自分がな
ぜ空間を斬ることができないのか考えた方がいい。先は長そうだった。

「待ちなさい」
「はい?」

 去ろうとする妖夢に、咲夜が声をかけた。声色が少し怒っているようである。疲れてい
た妖夢は、そこに気づかず振り向いた。

「いきなり来て通り魔じみたことをしてさようなら? いくらなんでもそれは失礼だと思
わない?」

 ああ、そうか。言われてみて妖夢は気がつく。自分の目的ばかり考えていて、相手がど
う考えているかまで頭が回らなかった。確かに、こちらから押しかけて負けたのだ。何か
しら罰を受けてしかるべきだろう。

「そうですね、失礼しました。では、どうしましょう? 何か罰でも?」

 荒らしまわった門周辺の掃除でもさせられるのだろうか。勝手だが、早めに帰っておか
ないと夕食の準備が間に合わないので、あまり時間の取られない罰にしてほしかった。

「そうね……」

 咲夜は考え込む。ふと見ると、刀で切ったわき腹には既に包帯が巻いてあった。周到な
ことである。こちらは一応持ってきていた手ぬぐいで止血しただけだというのに。
 咲夜は長い時間考えていた。地面と妖夢の間で視線を往復させ、時たま妖夢の方でじっ
と止まる。

「……やっぱり、あなたなら」

 そしてぽつり、とそう呟き、咲夜は腕組みを解いた。
 
「罰というより、頼みがあるわ」
「頼み?」

 もう咲夜の声に怒りはない。しかしすがるという感じもなかった。かなり考えた末に、
咲夜は頼みという意外な言葉を発した。


「あなたに、一つの事件を解決してもらいたいの」

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