79-1 ELSENA 第五話 決断の時(その1) 「ただいま……」 「お帰り!ディーン!」 地下の小部屋で知った真実に打ちひしがれたまま、ディーンは家に帰ってきた。そこに元気いっぱいのエルセナが出迎える。 「ああ……ただいま、エルセナ」 力なく笑って、ディーンは答える。エルセナは首を傾げた。 「どうしたの?元気ないよ?」 「ん……大丈夫。ちょっと、疲れてるだけだよ」 そう。疲れている。ディーンは荷物を置いて椅子に座った。そこで初めて、テーブルに 置かれている料理を目にした。 「あれ?なんだかいつもより豪華じゃない?」 「あっ分かる?分かる?」 ディーンの質問に、エルセナは明るい表情で答える。いつもエルセナが作っているものに、フライの乗った皿と、何か野菜を煮込んだらしいスープが加えられていた。 「実はねー、お料理の本買ったんだー。それで作れそうなのやってみたの。ちょっと冷めちゃったけど、おいしいよ」 にこにこしてエルセナは説明する。ディーンはスプーンを取り、スープを一口食べてみた。 「どう?」 「……おいしいよ」 2口、3口と立て続けに食べる。フライもかじってみた。中身は魚だった。 「上手になったね、エルセナ」 「ありがと」 ディーンはそれから黙って食べ続けた。顔を上げないようにして、ただ黙々と食べた。今の表情をエルセナに見られたくなかった。 きっと、情けないくらい泣きそうだっただろうから。 「あんなに…………」 「ん?」 ディーンの呟きに、エルセナは振り返る。しかし、はっきりとは聞き取れなかったようだ。 「何か言った?ディーン」 「……ううん。何でもないよ」 ごちそうさま、と言ってディーンは立ち上がった。流しに食器を持って行って水につけておく。後で洗うことにして、ディーンは再びダイニングに戻って椅子に座った。その向かいに、エルセナも腰掛ける。 「ねえ、ディーン。次いつお休みとれる?」 「え……うーん、どうかな。そう簡単には取れないだろうけど……どこか行きたいの?」 「うん!あのね、今度は海行きたい」 「海?」 「うん。だって、海って身体が浮くんでしょ?」 ウキウキした口調でエルセナは喋る。そういうことか、とディーンは笑った。 「まあ、真水と比べて比重が重いからね」 プールで全く泳げなかったのが今でも悔しいのだろう。 しかし、それでもエルセナが泳げるとは思えなかった。泳ぐには身体が浮くことが前提となるが、人の身体には脂肪があり、それが浮き袋の役割をするので水に浮くことができる。しかしエルセナは、脂肪があるどころか全身機械である。身体の感触はそうとは思えないものなのだが、ナノマシンは基本的に金属でできている。水銀のプールにでも入らない限りは、エルセナが泳ぐのは不可能ではないだろうか。 「そうだね。約束するよ。そのうち、海に行って泳ごう」 「うんっ」 だが、ディーンはそんなことは言わず、エルセナに約束しておいた。あんな物を見てしまったからか、なるべくエルセナの要望を聞いてあげたいと思っていた。 「じゃあもう疲れたし、寝ようかな」 「そう?じゃディーン、ベッド使っていいよ」 ディーンが腰を上げると、エルセナが寝室を指さして言った。 「疲れてるんでしょ?いつも私が使ってるし、今日は私が床で寝るよ」 「いや、そういう訳にはいかないよ。大丈夫」 「そーお?」 どうしてもディーンを休ませたいのか、エルセナは不満そうな顔をした。が、急に何か 思い立ったように人差し指を立てた。 「あ、じゃあ一緒に寝ようよ!それならいいでしょ?」 ちっとも良くなかった。エルセナのとんでもない提案に、ディーンは深く溜め息をついた。 「あのね……」 「ちょっと狭いけど、私は平気だよ?だって私、ディーンのこと好きだもん」 反論しようとした矢先の告白に、ディーンは硬直した。多分その時は、かなり間抜けな顔をしていたことだろう。 エルセナは自分の発言が爆弾じみているのが分かっているのだろうか。それ以前に、その言葉をどんな意味で使ったのだろうか。 (……分かってないんだろうな) ディーンは頬をゆるめた。多分今の言葉は、単にエルセナの純粋な気持ちから出たものだろう。変にとった自分がおかしく、気が抜けて、ディーンは笑ってしまった。 「分かったよ」 「ホント!?」 「うん。僕も、エルセナのことは好きだからね」 ディーンは微笑んでそう言った。 嘘ではない。たった1ヶ月しか過ごしていないが、ディーンはこの少女が好きだった。憐れみや同情からでなく、本心から。一人の女の子として、ディーンはエルセナを愛していた。 ドジで、どこか儚げで、あんな過去を持っていて、だけど元気いっぱいな少女を。 その笑顔に、どれだけ元気づけられたか分からなかった。 ディーンはエルセナと一緒に寝室に入った。『リゾートパーク』でのサネージャの言葉を思い出しながら。 真夜中日付が変わる頃、ディーンはひと月振りのベッドで考えていた。隣ではエルセナが静かに寝息をたてている。 (『エルセナ』はエルセナそのものなのか……) 計り知れない程の昔に造られ、眠り、時を超えて目覚め、そして機械として今を「生き」続けているエルセナ。脳だけとなり、ただその性能のみを求められ、この都市の中心に存在している。 エルセナの正体は『エルセナ』だったのだ。 しかし、それならば疑問が一つ残る。 『エルセナ』の中心にエルセナがいるならば、今ディーンの隣にいるエルセナは一体何者なのか。 『エルセナ』の身体も中枢部にあった。エルセナが何人もいるというなら話は分かるが、今までエルセナがどこかにいたという報告はない。誰かが匿うにしても届け出は出さなければならないし、浮浪者であればまず間違いなく保護される。『エルセナ』の外から来るには特別な許可証が必要になるのだが、エルセナは服以外には何も持っていなかった。恐らく、その仮説は間違っているだろう。 (でも何かあるんだろうな。人間じゃ不可能なものでも) 『エルセナ』の真実とエルセナの謎を全て結びつける何か。『ウラヌス』であれば、その何かを作り出せるだろう。例えば、人間はまだ夢見るだけで、実現していない考えや空想など。 (そうだな……もしあるとすれば……) あれこれ思いを巡らしながら、ディーンは寝返りをうった。 「うう…………」 その時、横で眠っていたエルセナが、わずかに呻いた。 「う…………あ……あ、あ、あうっ…………いた……いたい。いた!痛い!痛い!」 初めディーンは気にしなかったが、エルセナが叫び出したのを聞いて慌てて飛び起きた。 「エルセナ!?」 「あたま、いたい……!ううっ!い……ああうあ!!」 エルセナは頭を抱え込んで苦しんでいる。ディーンは急いでベッドから降り、部屋の電気を点けた。眩しさに目を細めながら、鎮痛剤を探す。 薬は棚の上にあった。ディーンはキッチンに走って行き、コップに水を入れ、寝室に戻ってきた。そして、袋の中から錠剤を取り出す。 ここ1週間でエルセナの頭痛の激しさは更にひどくなっている。ほとんど毎日起きるようになってきていた。昨日は15粒飲ませてようやく落ちついたのだ。ディーンはそれと同じ数を出し、エルセナに飲ませた。 「はあっはあっ!……痛い、痛い!…………あ……あ、ああああぁぁああ!!」 しかし、今回はそれでも治まらない。ディーンは更に5粒、念のためもう3粒飲ませた。 今度は幾分ましになったようだ。とどめとばかりに2粒を口の中に放り込む。 計25粒飲ませて、やっとエルセナの表情は元に戻った。 (……こんなに飲んだら、いくら何でも体に悪いよな) ディーンは棚の上に薬の袋を置くと、椅子に座った。規則正しい呼吸をするエルセナの髪を撫でる。 と、その時。突然部屋が暗くなった。驚いて上を見ると、ライトの光が弱まり、不規則に点滅している。 最近頻繁に起きている『滞電』だ。ブラックアウトの一歩手前なだけに、『エルセナ』内の人間は皆注意している。 (そういえば、エルセナが頭痛起こすと『滞電』するよな……) 消灯してベッドに入ろうとした時に、ディーンはふと思いついた。 エルセナの頭痛はこれで11回目だが、後ろ8回は全て『滞電』と同じ日、それもほぼ同じ時間に起きる。ただの偶然にしてはできすぎている。考えてみれば以前エルセナに検査を受けさせた時、エルセナの頭痛の原因は側頭部の過剰な負荷ということだった。そしてその部分は『エルセナ』において最も重要な、記憶と情報処理の部分である。 (じゃあやっぱり、エルセナは『エルセナ』とリンクしてるってことか?……あれ?待てよ?) 『エルセナ』とエルセナをつなぐ鍵。それは、人間が作り出せないものかもしれない。 ディーンはベッドの中で考え続けた。答えは、もう手の届くところにまで来ているのかもしれなかった。 「……教えろと言った以上仕方ないとは思うがな……仕事の最中に呼び出すんじゃない!」 翌日。昼休み前に中庭に連れてこられたサネージャは、ディーンに向けて言い放った。 昨日の『滞電』のせいで、またしても忙しかったらしい。だがそれはディーンも同じだった。 「分かってるよ。けど今回は話が長いんだ。昼休みで終わるとは思えない」 「……そうか。てことは、よっぽど重要なものを見たらしいな」 「ああ…………」 広々とした芝生の一角に座ると、ディーンは話し始めた。どこにもないパスワード。エルセナの正体。研究日誌の概要。もう一つの部屋にあった、中枢とエルセナの身体。全てを。 「……日誌の詳しい内容はコピーした。暇な時に見てくれ」 話し終えるとディーンは、ディスクをサネージャに渡した。サネージャは何も言わずにそれを受け取る。 「……エルが『ウラヌス』の造った機械で、『エルセナ』の中枢……」 呟くようにサネージャは言う。普段冷静なサネージャも、流石に驚きを隠せないようだ。 「酷いものだったよ。画像入ってるけどね、それ……だけど、中枢部に置いてあったあの身体は、もっと、壮絶だった……」 有無を言わさず切り刻まれ、死ぬ度に何度も生き返らせられ、1年間。その果てには、人として生きることも許されず、本当にただの機械として、100年以上も使役させられている。 辛いとか苦しいとか、そんな言葉ではくくれない。悲惨な時間(とき)。 「たった一人の女の子に負わせるような事じゃないよ」 「ああ…………」 サネージャは腕組みして、ディーンの感想に応じた。 「けど、一ついいか?エルが『エルセナ』の中枢を担っていることは分かった。なら、お前の家にいるエルは何なんだ?」 「ああ、それね…………」 ディーンも抱いた疑問。一晩中考えた結果、ディーンはある仮説に辿り着いていた。 「一応答えは出てる。憶測だけどね……サネージャは、思念実体化理論って知ってる?」 (第5話その2に続く) [*前へ][次へ#] |