Adventure Library 〜顔無しの奇術師 ようこそ、紅魔館大図書室へ――。 ここには、絵本から魔道書まで、古今東西多種多様の本を取り揃えております。ありとあらゆる知識が豊富にございますゆえ、お気軽にご利用いただきたいのですが、それがために弾幕を張るような気難しい本もございます。 そう、中にはこんな本も――。 「!」 遠くで、強めの魔力が動いた。小悪魔はそれを感じ取ると、手にしていた本をとりあえずその場に置き、巨大な本棚の上に駆け上がった。そして方向を特定すると、背中の翼を広げて飛ぶ。この感覚はおそらく侵入者ではなく、魔道書の魔力が発現したものだ。ならば、それを静める役は司書である自分。小悪魔は逃げてきたメイドから場所を聞くと、そこへ急行した。 「あれね」 やがて、一冊の魔道書が暴れている場所に辿り着く。周囲の本や本棚が、それの魔弾で焼けてしまっていた。これを修復しなければならないのかと考えると、頭が痛くなる。小悪魔はため息をつくと、自分を見つけたらしい魔道書と相対した。頭痛の種は、前もってうさ晴らしをしておくことにしよう。 ――ヴウウン 攻撃対象を小悪魔にセットしたようだ。しかしそれがどうしたというのだろう。小悪魔は唸る魔道書に正面から攻撃を仕掛けた。大玉弾を発射し、敵の能力を探る。ワープ能力を持たないのか、のろのろと移動しながら魔道書も反撃しようとしていた。だが、遅い。そんな動きで小悪魔の攻撃を避けられるはずもなく、大玉弾の二発が魔道書に直撃した。魔道書は吹き飛び、さらに流れ弾の一発を喰う。 「……中の上、かな」 しかし、その程度で終わるほどやわではないようだ。敵は平然としている。 ――ヴワン 「え……?」 変わって、魔道書の攻撃。だが、「それ」に小悪魔は眉をひそめる。 本の周囲に発生した、四角い物体。いくつかのそれは、まるで衛星のように本の周りをくるくる回っている。 それだけならばいい。それだけならばいいのだが。 「ち、ちょっと……」 小悪魔はそれに見覚えがあった。 幻想郷の住人ならば誰でも知っている、「それ」。 ――時符「十六夜咲夜」 「ちょっとおぉぉ!!」 その名、「スペルカード」。 突如その中の一つが光を放った。そして魔道書が内なる力を現出させる。それは、一人の人間を生み出した。 小悪魔は慌てて距離を取った。しかし逃げるわけにはいかない。自分で張った障壁もあり、小悪魔が魔道書から離れるには限度があった。決して広くない立方体の中、小悪魔は目を見開いてそれを見つめる。 何度も見たことのある人間が、確かにそこに立っていた。 「本が……スペルカード?」 二つも三つも驚く点があった。混乱しながらも、小悪魔は高速でその点を列挙してみる。 一つ。魔道書がスペルカードを使用したこと。 二つ。それが今までに見たことのない形態であること。 三つ。現れたのが十六夜咲夜であること。 「以上っ! とりあえずそんだけ!」 あまりぼんやりと驚いている場合ではないのだ。簡潔に荒っぽくまとめ、小悪魔は叫ぶ。 それと、「十六夜咲夜」の動き出したのは同時だった。 「幻影……なんだろうけどっ!」 その「咲夜」は、驚くほど本物に酷似していた。軽やかに舞い、正確に銀のナイフを投擲してくる。本数こそ多くないが、ナイフの雨はまさに咲夜のそれそのもの。何より、初っ端からメイド秘技をかましてきたのだから、本物と間違えても無理はないかもしれなかった。 (えーとえーと……!) 逃げ惑いながら小悪魔は考える。こんなとき、パチュリーならばもう答えを出して撃破しているのだろうけど、生憎と小悪魔はそこまで冷静でいられる器量を持ち合わせていなかった。 とはいえ、紅魔館の幻視力ヒエラルキーにおいては比較的上位に位置している小悪魔。本棚の間を転がりながらも、着実にその思考を進めていた。 まず最初に辿り着いたのは、三番目の疑問。 「解答(ソリューション)! 咲夜様は無意味に私を攻撃したりしないし、現在超高確率においてこの図書館の外にいる!」 ナイフが霊壁をかすめる。目を細め、小悪魔は「咲夜」を睨んだ。 「結論(コンクルージョン)! したがってあれは偽者! 対象の作り出した複製幻影!! ものっすごく精巧だけど!」 それが、答えだった。 証拠こそないが、状況から鑑みるにそうだろう。ここにいる「咲夜」は、魔道書の放った「スペルカード」であり、本物ではないのだ。 そんなことは初めから分かっていたのだが、論理的思考から導き出され、確立されれば二つのものを得られる。 即ち、冷静さと対抗手段。 先ほどよりも冷静になったため、視界がクリアになっていた。飛んでくるナイフがちゃんと見えている。そしてそのナイフも、ある程度投げられれば先に投げた順に消えていくことも分かった。それは、「咲夜」が幻影であることの証拠。「それ」は、限界以上の魔力を有すことはできないのだから。 ならば対抗手段。叩きのめす。 魔方陣を展開、クナイ弾を撃たせる。自分は移動しながら大玉弾。「咲夜」を取り囲むようにして攻撃する。「咲夜」を中心に、小悪魔は円軌道を描いていた。 やがて、クナイと大玉、そしてナイフが狭いフィールドを埋め尽くす。 「つぅっ!」 ナイフがかするたび、ヂヂッと自身を薄く覆う霊壁がなる。小悪魔は顔をしかめ、ナイフの雨を交わしていく。対照的に「咲夜」は、まるで人形のように表情を変えずにいた。 そこは無機物である本の作り出した物だからなのだろうが、それ以外は実によくできた複製だと思う。何せこちらの攻撃が当たらない。魔道書自身からは独立して有機的に動いているのだろう、あまりにも幻視力が高かった。 このままでは自分が先にやられる。そんな考えが頭をよぎった。攻撃が咲夜そのものなのだから、小悪魔の能力ではいずれ当たる可能性があった。 しかし。 ――ドッ 「あっ」 先に当たったのは、「咲夜」の方だった。一発、クナイが命中したのだ。 そしてその瞬間、「咲夜」は爆音と共に消えてなくなってしまった。それはつまり、スペルカードを撃破したということになる。 「たったの、一発で?」 再び、謎が小悪魔を襲う。 普通、スペルカードを発動させた場合、術者をかなり攻撃しなければ撃破することはできない。この型はどちらかというとリバーサル系スペルカードに近いが、それであっても幻影を一発で撃破することなどありえないのだ。比較的地力の弱い魔道書の作り出したものだから、耐久力は低いのかもしれなかった。むしろ、それを低くすることで幻視力を上げている可能性もある。 ――ヴワン 小悪魔が考えていると、魔道書が再度力を発言させた。さらに「スペルカード」を一枚使用するらしい。 「……よし、今度は見極めてやるわ」 ――魔符「霧雨魔理沙」 そして、発動する。 「今度は魔理沙さん?」 図書館を通過した者ばかりだ。魔道書の知っている人物が反映されるのではないかと推測する。 「あ!!」 と、そこで小悪魔は、自分がとんでもなく呆けていたことに気づく。そして、「魔理沙」が動き出す直前に慌てて急上昇した。 もし、魔道書の知識を元にこのスペルカードが構築されているのならば、「魔理沙」がすることなど一つしかない。 足下を、巨大な光線が疾走していった。 マスタースパークだとすぐに分かる。魔理沙の代名詞のようなものだった。 巨大光線をやり過ごし、小悪魔は冷や汗を拭い取る。だが振り向けば、「魔理沙」は既に次を撃ち出そうとしていた。それは決してそんなに早く撃てるものではないというのに。 (マスタースパークの弱点……) タッ、と本棚の上に降り立ち、小悪魔は身を屈める。あのレーザーを引きつけ、避けるためだ。大仰な動きを注視し、撃ち出すその瞬間を見極め、脚のバネを最大限に使ってかわす。 「そうすれば……」 ――ゴッバアアアァァァァ 「次を撃つための長いタイムラグを得られる!!」 果たして――避けた。またしても足の下をマスタースパークが通過していった。すぐさま小悪魔は姿勢を整える。 (ここから、全力で接近!) 翼を広げ、空を疾駆(はし)る。マスタースパークの弱点は、出力が大きすぎること。一撃必殺ではあるが、それゆえにかわされてしまえば無防備そのものになってしまうのだ。だから、その間に近づけば必ず攻撃することができる。しかし近づけない可能性もあった。何しろ、その膨大な魔力は空間をも震動させ、その勢いある流れは、周囲のものまで流し去ってしまうからだった。 だから、全力で飛ぶ。 「!?」 魔理沙に、より速く近づくために。 その目論見は成された。予想以上に早く、小悪魔は魔理沙に辿り着いてしまった。まるで、逆風などなかったかのように。 「なる、ほど……」 それが、鍵となった。 小悪魔はその勢いで「魔理沙」の顔面を思い切り蹴り飛ばした。体重の乗った飛び膝蹴りが「魔理沙」の顔にめり込み、鮮やかに吹き飛ばす。乙女の顔を蹴るとは無礼千万だが、相手はただの幻影なので何も問題はない。 「そういうことだったのね」 着地。攻撃を受けた幻影はやはり消え去った。そして小悪魔は、もう一度魔道書と相対する。 ――紅符「レミリア・スカーレット」 「……解答(ソリューション)」 次に現れたのは紅魔館館主。しかし小悪魔にもう混乱はなかった。なぜなら、このからくりが解けたからだった。 「レミリア」が、神槍「スピア・ザ・グングニル」を構える。それに対し、小悪魔は体の前に手を出して障壁を張るだけだった。 だが、それこそが二番目の疑問の解答なのだ。 ――バチイィィン 小さな体躯が、巨大な槍をぶん投げる。目にも留まらぬスピードで、紅い槍が小悪魔を襲う。 しかし、それは小悪魔の障壁に弾かれてしまった。 「やっぱり、幻影ね……」 そのありえない事実に誰も驚かない中、小悪魔が語る。 「魔道書が使う術なのだから、術者以上の力を持つことは不可能。したがってこれらの幻影は見た目や動きこそ成功だけど、パワーだけはどうしようもないほど弱い」 それがこの形態だった。マスタースパークもスピア・ザ・グングニルも、全て光と音だけのこけおどし。膨らませるだけ膨らませた風船に過ぎないということなのだ。「レミリア」は今も果敢に槍を投げ込んでいるが、喋っている小悪魔の障壁に全て阻まれていた。小悪魔程度の障壁がびくともしないほど、その攻撃は弱かった。本人の使う力があまりに強大だったため、そのイメージに騙されていたのだ。 小悪魔がそれに気づいたのは、マスタースパークに自分が流されなかったからだった。莫大な魔力までは模倣できなかったためだ。だから、自分は相対的に速く飛んでしまう。「魔理沙」に早く到達したことがそのきっかけであった。 「所詮はコピー。それも、酷い劣化だわ。コピーはオリジナルを超えることはないというけど、これはないわよね」 はあ、と小悪魔はため息をついた。 「……また、魔力不足であれば当然スペルカードという高等技術を生み出すことは不可能!」 風船は、刺せば割れる。それはふわふわと軽やかに逃げるけれど、ならば対抗手段は一つ。 「結論(コンクルージョン)! 時符や魔符というのはあくまで名前だけ! これはスペルカードではなく、ただの魔術! ただの複製魔術の一種よ!」 攻撃を合わせる、カウンターのみ。 ぴっ、とクナイ弾を一発放り込む。「レミリア」の槍と、小悪魔のクナイが交錯する。 前者は弾かれ、後者は――貫いた。 「さあ、チェックメイトよ」 二番目の疑問の解答から、一番目の疑問は消滅していた。 タネが分かれば、手品など見る価値もない。奇をてらったよい技だったが、見破られればそこまでだった。 ――紅符「フランドール・スカーレット」 「奇術師」の前に、今度は「フランドール」が現れた。 「…… まだやるの?」 タネは明かされた。それでも同じ手品を続けるのは、それはもはや道化でしかない。 だが、思考を持たない魔道書は続ける。道化に堕ちたことにも気づかず続ける。「フランドール」に力のない「レーヴァテイン」を振るわせる。が、もちろんそれは小悪魔には通じなかった。障壁で防ぎ、霊壁でかすり、小悪魔はもはや遊んでいた。敵の技は見抜いた。もう、相手に勝ち目はないから。 だがしかし。小悪魔には一つ、足りないものがあった。それは結論の先、考察(コンスィダレーション)。 小悪魔は考えるべきだったのだ。相手の使っているのが「スペルカードではない」ことに潜む可能性を――。 外の障壁を駆け、小悪魔は大外から回り込む。幻影はパワーこそないが、回避能力その他は見事にコピーされ、オリジナルに匹敵するのだ。わざわざそんな面倒なものを相手にする必要はない。適当に避けて、本体を捕まえればいいことだ。 走り、飛び、かわし、防ぎ。 「とうっ!」 そして魔道書の前に飛び降り。 ――魔符「パチュリー・ノーレッジ」 「え」 着地した瞬間が、全てを決着させた。 スペルカードではない。それが判明した。 しかし、見た目は明らかにスペルカード。それが小悪魔の思考を阻んでしまっていた。小悪魔は考察までに至らなかった。 「スペルカードではない」ことが持つ可能性。 それは、二重発動だった。 本来スペルカードにはできない芸当だが、ただの魔術ならば不可能ではない。だが、みかけがそれを惑わせた。 突如目の前に現れた主が、小悪魔にありったけの魔力をぶつける。三度襲ってきた混乱は、小悪魔の四肢を麻痺させてしまっていた。 反射的に目をつむり、突然の光に目を焼かれないようにすることしかできなかった。 「…………う?」 「間に合ったわね」 時が過ぎても何の痛みも来ないので、小悪魔は恐る恐る目を開いた。 「あ……パチュリー様」 視界に入ったのは、二人の主だった。無論、小悪魔の前に手をかざして障壁を作っている方が本物だ。 「来てらしたのですか」 外側に障壁を張っていたはず、と見てみれば、隅に穴が空いていた。綺麗に丸く切り取られ、丁寧に消滅させられている。あんな障壁など、パチュリーには障害にもならないのだろう。 「そりゃね。マスタースパークの光が見えれば来てみたくもなるわ」 興味本位で来てみて、そしてたまたま急な劣勢だったのだろう。なんとも気の抜けた、しかし嬉しい偶然だった。 「さて……私や妹様をこき使うとは、無粋な本ね」 「あはは……全くです」 話は終了。パチュリーは二つの幻影を睨みつける。ここまで劣化した自分を見るのは厭なものだろう。 「私が片をつけるから、あなたは本体をやって」 「はい。かしこまりました」 パチュリーの言葉に、小悪魔は勢いよく立ち上がる。自分が本に後れを取る道理はない。では、二対一のパチュリーはどうか。自分自身の幻影と戦うパチュリーは。 考えるまでもない。 解答(ソリューション)――コピーはオリジナルに劣る。 結論(コンクルージョン)――したがって、パチュリーは負けない。 だから、勝負も一瞬だった。パチュリーが撃ち、小悪魔が走る。 本当に、刹那の間に戦いは終わったのだった。 小悪魔の手には、一冊の本が収められていた。 「サーフレクス下巻……あれ、下巻だけなんですね。普通こういうのって上下巻一緒になって動くものなのに」 小悪魔はきょろきょろと辺りを見回して片割れを探した。 一冊に始まり、十冊以上の本が一気に発動することも珍しくない。個々が連鎖的に発動したり、二十巻一セットがまとめて襲ってきたりもする。だからむしろ、一部だけが発動することは少なかった。 「ふうん。なるほど、だからあんな攻撃をしていたのね」 「へ?」 「いえ、下巻だけだったからこそできたのかもしれないわね」 「どういうことです?」 話が見えなかった。パチュリーは小悪魔などよりも遥かに頭の回転が速い。だからもう答えに辿り着いてしまったようだ。けれど少し待ってほしかったので、小悪魔は訊いてみる。自分も早くゴールに着くために。 「だって、可哀想じゃない。上巻も一緒でなければ、読まれることもない本なんて」 「…… あ、なるほど。そういうことですか」 紡ぎ出された二言。それが、小悪魔を解答へと導く。 即ち、それは一体では存在価値がないということ。 「そうですよね、あんまりです」 小悪魔は苦笑した。 つまり、下巻は上巻が一緒にあってこそ意味があるのだ。上巻から読まなければ下巻の内容など分からない。絶対に上巻がなければならず、そうでなければその本は誰も手に取らない。個体の持つ主体性を持てないというのは、可哀想といえばそうだった。 「じゃあ、この辺に上巻はないんでしょうね」 「そうね。ちゃんと見つけてあげなさい」 「はい。もちろんです」 サーフレクス下巻。その本が奇術にも似た魔術を用いたのは、そうした主体性のなさからきていたのかもしれなかった。主体を持つことができなかったがゆえに、自分自身の力ではなく、他人を用いていた。それは読んでほしいという自己の主張というよりは、自分を表現したものだったと思える。誰かの影でしかないような自分を表した戦い方だったのだろう。事実、本はずっと幻影の影に隠れていたのだから。 「顔無しの奇術師」。仮面さえもつけることのなかったこの本は、そんな呼び名がふさわしいと思った。 (主体性、か……) パチュリーと一緒に歩きながら、小悪魔は思う。もしかしたら、自分も主体性を持っていないのかもしれないと。 パチュリーに召喚され、パチュリーの魔力で校正された小悪魔だが、現在はそれから独立し、食事等によって自分で魔力を補給できる。だから、個体性がないとはいえない。 けれど、その性格。それは主体性がないといえるかもしれない。いや、他の色々な人にもきっとそれは当てはまる。自分を持たず、常に誰かの意見にくっついている。それは、主体性のない人のとる行動だった。 主のそばで、自分を欺き続ける自分。それもまた、顔無しの一種なのかもしれなかった。 (……けど、それでもいい) 一冊で存在できる本とは違うのだから。生き物は、男女のように常に対か数を成している。そうすることで互いを補い合っている存在なのだ。人は、初めから上下間で作られている。 ならば、結論(コンクルージョン)。 (私は、下巻でもいい) 自分と同じ存在を胸に抱き、小悪魔は上巻を想う。だが、その想いもまた本と同じく自分ひとりで添い遂げることは成されない。そも、上巻ですらないかもしれないのに。 それでも、想い続けるしかないのだけれど。 せめて、この本だけでもその想いと届けてあげようと、小悪魔はちくりと痛む胸を押さえて図書館を歩いていった。 [*前へ][次へ#] |