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72-1 Zephyr 第三話 縛られた心(その1)
「うお…………?」

 結城が枕元の腕時計を取りあげて見てみると、時刻はまだ五時を過ぎたばかりだった。空は白んでいるが、まだ日は昇っていない。随分早く起きてしまったものだ。
 寝直そうと思って布団をかぶるが、何とも納得のいかないことに頭はすっきり冴えてしまった。しばらく横になっていたが、全く寝つけそうもないので、思い切って結城は起きあがった。
(昨日、10時に寝たからなあ……)
 普段の結城の睡眠時間は、長くてもせいぜい六時間。それに比べれば割合長いが、しかし早い。
(ま、早寝早起きは健康的だよな)
 結城は適当に着替えて身だしなみを整えると、部屋を出た。
 
「あら、早起きですね」

 足音に気付いたのか、廊下に香子さんが出てきた。
 
「ええ。ちょっと目が冴えちゃって。散歩してきます」
「そう、良かったら掃除手伝ってもらおうと思ってたんだけど……」

 香子さんはさらりととんでもないことを言う。旅館の掃除は客がやるものではないだろう。うっかり強制労働を課せられる前に、結城は「みよし」を脱出した。
 春とはいっても、夜明け前の空気はまだ冷たい。しかし、今はその風が心地良かった。
なんとなく軽くなった足取りで、結城は歩き出した。
 結城は天宮神社に向かった。どうせすることはないのだ。日の出を見るのも一興だろう。
 結城が三好に来て二週間。休暇も残り半分となった。それを「もう半分しかない」と考えるか、「まだ半分もある」と考えるかでその人の心理状態が分かるとか何とかいう話を結城は思い出した。
 結城は、どっちともとれなかった。三好は確かに居心地がいいが、故に長居すると元の多忙な生活に対応できなくなるかもしれない。そんな不安がどっちつかずの想いを作っていた。
 結城は、それを払い落とすように頭を振った。どちらにしても半分なのだ。泣いても笑っても減るものは減る。無駄な抵抗はしないで、残りを受け入れようと思った。
(ああ、それなら……)
 そこで結城は気付く。結局、自分はネガティブな方であることに。つまりそれは、自分
が三好町を気に入っていることに。

「あと、半分か……」

 その間に何ができるかを考えて、結城は首を振った。
 答えは、多分何もできない。三好は何もない町なのだから。
 
「あれ?川本さん?」

 薄暗い道を歩いていると、不意に結城は声をかけられた。
 
「あ、絣ちゃん」

 見ると、畑の中から絣が出てきていた。いかにも畑仕事をしてますといった出で立ちだった。

「やあ、おはよ」
「おはようございます。今日はまた随分と早起きですね」
「まあな。昨日相当眠ったみたいで。絣ちゃんは?何してたんだ?」

 その格好から察しはついているが、結城は一応聞いてみた。
 
「私ですか?えっと、最近狸が出るので、作物が荒らされてないか、網の見回りしてたんです」
「狸が出るのか?」
「はい。どこかで飼われてたのが逃げ出して、野生化したらしいんです」
「そっか。迷惑なことだな」

 結城は、そういった事件をいくつか見たことがある。その度に聞かされる苦情とその対処法はどこも同じで、たとえ無関係であってもうんざりする。ほんの少しの不注意で起きる被害。結城は溜め息をついた。

「ええ、そうですね。何もしなければ可愛いんですけど」
「……で、荒らされてなかったのか?」
「はい。大丈夫でした。あ、そのついでに苺も採ってきたんですよ」

そう言って絣は、手に提げた小さなプラスチックの籠を見せた。小粒だが、よく熟してそ
うな実が見える。

「へえ、自家栽培なのか」
「……というか、三好じゃ家が一番畑広いんです」

 この辺ほとんど家のです、と絣は後ろの広大な畑を示した。
 
「そうなのか!?滅茶苦茶広いじゃないか!」

 結城は思わず叫んだ。間違いなくヘクタール単位の面積だ。しかも二桁。山あいの町で個人の所有としては、あまりにも広い。

「絣ちゃん学生だろ?普段の仕事は……成羽がやってるのか?」

 絣はゆっくりと頷いた。
結城は以前成羽が、神社のバイトの他に内職と畑仕事をやっていると言っていたのを思い出した。しかし、それでもそれはこの二年間の話だ。絣の両親が亡くなったのが五年前というから、三年は一人でやってきたことになる。周囲の人間が手伝ってくれてはいただろうが、驚かずにはいられない。

「そっか……感心だな。ところで、その成羽は?」

 見たところ、成羽の姿はなかった。
 
「まだ寝てます。休みになると私が仕事するもんだから、すっかり怠けちゃって……」

困ったような笑顔で絣は言う。寝ぼすけな成羽の寝姿を想像して、結城は吹き出した。

「ははは。まあやっぱり、たまには休みがないとな」

 どことなく自分とかぶっている気がして、結城は苦笑した。
 
「……あの、ところで川本さんは何してたんですか?」

 一旦間をおいてから、絣は尋ねた。
 
「俺?散歩だよ。ま、食前の運動ってとこかな」
「はあ……あ、あの、川本さん。その、もし良かったら家で食べていきませんか?朝ご飯」
「は?」

 突然予想もしなかったことを言われ、結城は頭から聞き返した。呆けた顔で絣を見つめる。

「だ、だからその……朝ご飯、私が作りますから、家で食べていきませんか?」

 もう一度言うのが恥ずかしかったのか、絣は顔を赤くして俯いてしまった。しかし、今度はその言葉の意味はきちんと結城に伝わった。

「いいのか?」
「あ……はい」

 一応確認してから、結城はにっと笑った。
 
「そいつはありがたいな。春祭りの時に食べた絣ちゃんの弁当は、本当にうまかったからなあ」

 絣の意図はともかく、絣の料理が食べられるということで、結城は承諾した。「みよし」の食事がまずい訳ではないのだが、たまには他の所で食べてみたかった。

「……ありがとうございます」

 結城の言葉に、絣はますます真っ赤になって縮こまってしまった。しかし、最後にはにっこりと笑った。
 そこで二人は絣の家へと歩き出した。畑と畑の間を通る砂利道を踏みしめていく。絣の家はアスファルトの道路に面しているのだが、斜めに突っ切るように横たわる
この道を通った方が早かった。それでも結城は、目的地に辿り着くまでに3、400メートルは歩いたのではないかと思ってしまった。
 秋月家は、もはや屋敷といえるほどの大きさだった。板張りの塀の内側には松の木だか何だかが何本も植えられている。門から玄関までは結構な距離があり、結城は石畳に迎えられた。二人が歩いてきた先にもまだ二〇〇メートル程の距離があり、さらにそれとほぼ同等の距離で作られる所有地の面積に相応しく、武家屋敷を思わせるような巨大な家だった。

「……凄いとこに住んでたんだな、絣ちゃん」

 玄関の引き戸を開け、絣に導き入れられたところで、結城はようやく口を開いた。
 
「神社から見えてたと思いますけど?」
「いや、そうだけど、絣ちゃん達がここの住人だとは思わなかった」

 木の香りがする廊下を歩く。結城は、居間と思われる和室に通された。
 背の低いテーブルと二つの座布団。ソファー、テレビ、エアコン以外は大して物のない部屋だった。元々広そうな部屋が、むやみに広く感じる。

「えーと……まあ、適当に座っててください」

 所在なさげに立っている結城に絣は言った。言われて、結城は座布団の上に腰を下ろした。

「えーっと、お腹空いてますか?それならすぐ作りますけど」

 結城はいや、と手を振った。大して歩いてなかったので、空腹感はまだなかった。
 それなら、と絣は、恐らくキッチンであろう隣の部屋へと移った。しばらくして、お茶を持って戻ってきた。どうせ暇なので、話をしていようということだった。苺は洗って冷蔵庫にしまったらしい。

「成羽は起こさなくていいのか?」
「寝起き悪いので……それに起こしたところでまたすぐ寝ちゃいますから」

 絣はくすくすと笑う。結城もふっと頬をゆるませた。成羽のことでなく、そう笑う絣が可愛かったからだった。
 一時間強話して、絣は再びキッチンへと向かった。結城も手伝おうかと思ったが、招待客だし、料理は下手なので座っておいた。することもないので、テレビを点けて待つ。
 ほどなくして、魚か何かを焼く匂いが漂ってきた。それにつられて、結城はキッチンの戸を少し開け、中を覗いてみた。
 絣は何か刻んでいるようだった。背中を向けているので全体は見えないが、クリーム色のエプロンをしていた。刻むのが終わると、次に冷蔵庫を開け、何事か考え込む。その仕草と姿は、結城には妙に可愛く思えた。どことなく、旦那のために頑張る若奥さんのようだった。
 それがあまりに中年臭い考えだということに気付いて、結城は慌てて戸から離れた。そんなことでにやついてしまいそうな自分が嫌になる。げんなりして結城は視線をテレビに戻した。
 ピーッと音がして少ししてから、絣が戸を開けて現れた。
 
(第三話 その2へ続く)

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