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Zephyr 第二話 夜桜の舞姫(その1)
 三好滞在九日目。客である故に、本来ならば何もしなくていいはずの結城は、その日の夕方から「三好春祭り」の準備に駆り出されていた。
 とりあえず春祭りまでは三好にいるということにしたら、「みよし」の女将さんが宿泊料金を大幅に割引してくれたのだが、その代わりに春祭りの準備を手伝うことになったのだ。背に腹は代えられない、と結城はおとなしくそれを受け入れた。
 春祭りは、町役場の隣にある公園で行われる。公園といっても子供用の遊具はなく、どちらかというと外国の「パーク」に近かった。そこに植えられた何本もの桜の木は皆花が満開で、まさしく花見に相応しい状態だった。
 その木の根元に、いくつもシートが敷かれている。そしてシート一枚一枚には、名前の書かれた札が置いてある。どの家がどの場所を陣取るか、あらかじめ決められているらしい。もっとも、酒が回ればその区画はあっという間に取り払われてしまうが。
 基本的には全ての世帯がこの場に参加するらしい。町長という人に結城が聞いたところ、三好の人口は一〇〇人にも満たないそうだ。にも拘わらず三好「町」となっているのは、同区内で山を一つ越えた隣の塩原(しおばら)の人口が多いかららしい。それなのに全体が三好なのは、当時くじ引きで決めたらそうなったという、何ともいい加減な話だった。
 かくも過疎地な三好だが、故に人と人とのつながりは深い。全員が全員参加する祭りなど、結城は聞いたこともなかった。
 
(人口の少ない、田舎の特権だよな……)

 ずっと都会で過ごしていただけに、そんなことをしみじみと思う。
 そうこうしているうちに日も暮れ、人がちらほら現れ始めた。準備もだいぶ終わってしまったので、結城は公園の隅で一息ついた。
 三好の桜は、一番メジャーなソメイヨシノではなく、八重桜とエドヒガンが混在している。そのため、写真で見るようなものとは違った趣があった。
 こうして桜を眺めるのも、随分久しぶりに思える。
 三好に来てから、結城は、何か自分が変わったような気がしていた。
 時間というものを忘れかけている感覚があった。
 例えば学生時代の夏休みのように、今日が何曜日であるか分からなくなる。そんなものに似ていた。ただ都会にいる以上、いつどこで何が、というのは常にあった。しかし、三好にはそれすらもない。春祭りが終われば、それ以降は本当に何もないのだ。農業に従事している人は多少関係あるだろうが、あくせくした都会から来た結城には、全く何も感じられなかった。
 
 三好に流れる時間は、ゆったりとしすぎている。
 公共の施設で定刻通りに何かするのは、わずかな商店と、三好を通る電車だけだった。その商店も、経営しているのは三好の人間だし、電車は朝夕に一本ずつしか来ない。
 三好はほぼ完璧に閉鎖された、陸の孤島だった。時間は淀み、そこに悠久が作り出される。
 その世界に、自分が浸かっているような気分だった。時間に縛られない、穏やかな生活を送っていた。
 結城は、普段は絣や成羽と過ごし、二人を通して三好の人達と触れ合ってきた。
 都会において、自分から行動しない限り滅多なことでは感じられない他人の暖かさを、無条件で得られた。結城にとっての他人とのつながりは仕事上のもので、上下関係であって、そして希薄だった。
 全てがあるはずの街にないものが、何もないはずの町にある。
 それは、どこか懐かしい心の故郷(ノスタルジア)。
 一度だって見たことないくせに、何故か感じる不思議な既視感(デジャヴ)。
 水の中で浮いている時のような安らぎ。
 三好はそんな、本当は知らないけれど、だけど忘れていた気がするものを持った、穏やかな町だった。
 そんなことを考えて、結城はふと、自分はこんなにも詩的な人間だっただろうかと疑問に思い、失笑した。
 人は環境で変わると言うけれど、それにしても変わりすぎだった。
 三好が別天地であることは、結城自身がその証明に他ならないだろう。
(案外、こんな生活が合ってるのかもな、俺)
 それでも。

「あ、いたいた。川本さーん!」

 所詮この時間は休暇の一角。ほんの一時の憩いに過ぎない。長くとも、たったひと月のつき合いなのだ。そんなに感情移入する必要はない。
 しかし、だからこそ。
 結城はおうと返事をして、呼びかけられた方を向いた。
 絣と成羽が駆け寄ってくる。
 だからこそ、その短い時間を大切にしようと思うのだ。


「こんばんは。聞きましたよ川本さん。春祭りの準備、手伝ってくれたそうじゃないですか」
 結城のそばに来た成羽が、開口一番そう言った。やるね、と言わんばかりに肘でつついてくる。
「ああ。そうすれば宿泊料割安にしてくれるって言うから。ところで成羽、その格好……」
 結城は、成羽の着ている服を指さした。
 成羽は、どういうわけか巫女装束を着ていたのだ。

「あ、これですか?川本さん、聞いてません?今日の祭りで神楽踊るんですよ。その踊り手があたしなんです」

 そういえば、と結城は、公園の真ん中に木の舞台が用意されていたのを思い出した。しかし神楽なんて聞いていない。みんな知っているから、話題に上らなかったのだろうか。

「ふーん。そうなのか」
「成羽は天宮神社でバイトしてるんです。だから」
「ま、給料は現物支給だけどね」


 結城は、恐らくは日本一段数の多い神社を思い浮かべた。正確には一六二三段あるという天宮神社には老婆の神主がいるのだが、齢九〇を超えているため、とうの昔に踊るのはやめてしまったらしい。しかし二年前に成羽がやってきたことで、天宮の神楽は復活したとのことである。確かに、若くておまけに美人の成羽には適役だろう。

「だけど茶髪っていいのか?どっちかっていうと、絣ちゃんの方が似合う気がするんだが」

 首を傾げて結城は絣を見る。結城にしてみれば、絣の方が和風な雰囲気を持っているように思えるのだ。
 しかし、当の絣は慌ててそれを否定する。

「そ、そんな!私そんなじゃないですよ!運動神経も鈍いですし……!」
「そうか?神社の屋根から飛び降りなかったっけ?最初会ったとき」
「どっちにしろ絣はアガリ症ですから踊れっこないですよ。それに髪は鬘かぶるからいいんです」

笑いながら成羽が言うのを、結城はそれでいいのか?と再び首を傾げた。

「成羽は踊るのがすごく上手なんです。お正月でも、大好評だったもんね」

 まあね、と成羽ははにかんだ。
 一旦そこで会話を止め、三人は秋月と札のあるシートに向かった。三好の人間がほぼ全員集まったので、町長がそろそろ始めようとしていたのだ。
 町長が五秒で挨拶を終え、「三好春祭り」が始まった。
 しかし、一般的な祭りにはほど遠く、その実態は酒と弁当を持ち寄って、皆で花見をするというものだった。それでも、参加者全員が顔見知りであるため、一般的な花見とも違っていた。大規模な宴会といった感じだった。

「絣ちゃん、今日は浴衣なんだな」

 絣が作った弁当を食べながら、結城は絣の服も指摘した。絣が着ていたのは、萌黄色の浴衣にピンクの帯という、何とも春らしい色だった。

「あぅ……私は嫌だったんですけど、成羽と香子(こうこ)さんが無理矢理……」

 絣は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「だって一応お祭りですもん。ちょっと寒いけど浴衣くらいはさ。川本さんだってそのほうがいいでしょ?」
「いや、まあ……似合っちゃいるけどさ……」

 返答の困る問いかけに、結城は言葉を濁した。

「ほら絣、川本さんもいいって言ってるじゃない」
「……似合ってますか?」
「ああ。充分、綺麗だよ」

 そうですかね、と絣はまた俯く。どうも絣は褒め言葉に弱いようである。

「ところで、香子さんて誰だ?」

 褒めはしたが、絣が可哀相なので、結城は話を逸らした。

「何言ってんですか川本さん。宿の女将さんでしょうが」

 驚いた顔で成羽が答える。

「……そうだったのか。すまん、全然知らなかった」

 尋ねなかったのだから当然なのだが、結城は一応謝っておいた。そして、「みよし」の女将こと、香子さんの顔を思い出す。
 おっとりとした、人当たりの良い女性。和服の似合う美人で、成羽や絣とはまた違った美しさだった。「みよし」は彼女が一人で切り盛りしている。客が来ないので利益はさっぱりのようだが。
 その話題の本人は、神楽の舞台を挟んで、結城達とは反対側にいた。二、三の家族と酒を酌み交わしているのが見てとれた。

「そうだ。香子さんのとこからジュース貰ってきますね」

 成羽はそう言って立ち上がると、下駄であるにも拘わらず、音を立てずに走っていった。
 
(第二話 その2に続く)

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あきゅろす。
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