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Zephyr プロローグ&第一話(その3)
翌日。
 1500段近い階段の昇降は、結城の脚に遠慮なく影響を与えた。既に昨日の夕食頃から予兆はあったが、朝になってその痛みは濁流のように押し寄せてきていた。

「……ぐおおお…………!」

 なんとか起きあがって部屋の中を歩いてみたが、骨ではなく筋肉から音がする。不吉な響きと痛みに、結城は顔をしかめた。
 朝食はとったが、動けないのですることがない。しかし頭はクリアーなもので、限りある時間をこのまま浪費するなと叱咤する。

「……けど別に、こうやってダラダラするのもいいよな」

 そう呟いて結城は、布団の上にごろんと横になった。
 事実、無駄に時間を過ごすということは、ここ数年やっていなかった気がする。大学を中退して新聞社に勤めたものの、平日休日昼夜問わず常に最前線で働いてきた。毎日せかせか動き回っていたせいで、のんびり過ごすことを忘れていたのかもしれない。ほんの三年前は、まだ高校生だったというのに。
 鳥の鳴き声と木々の葉ずれの音。それ以外は何も聞こえない、静寂の世界。青空に白い
雲が浮かぶ、のどかな風景。ここが自然に囲まれた田舎であることを、結城は実感した。
心が波立たぬ水面になるようだった。
 ふと、昨日会った少女のことが思い出される。夕陽に照らされ、儚げに見えた少女、秋月絣。赤光の中で見た笑顔は印象的だった。
(……また、会いたいな)
そう思った時には、結城は既に立ち上がっていた。脚が警告音を発するが、構わず歩き出す。
 だが、「みよし」を出たところで、絣がどこにいるのか分からないことに結城は気付いた。思いつきだけで行動した自分を後悔する。しかし、悪戯に脚を痛めるのも面白くないので、結城は、とりあえず神社に行こうと決めた。またあの階段を登るのかと思うとうんざりするが、少しずつ登ればリハビリになるかもしれないと思った。それに、もう一度街全体を見てみたかった。
 脚になるべく負担をかけないよう、ゆっくりと歩く。亀の歩みでも端まで行ける三好町だ。いくら時間をかけたところで辿り着くことは可能だった。
 30分ほどかけて石段が見える所まで来たとき、結城はそこに人が二人いるのを見つけ
た。石段に腰掛けている二人は、どうも女性のようである。
 その片方が、結城を指さしてもう一人に何か言っている。と、立ち上がってこちらに駆け寄ってきた。もう一人もそれに続く。
 近くまで来た所で、結城は後から来るのが絣であることに気付いた。長い黒髪を揺らした少女なので、すぐに分かったのだ。もう片方は、茶髪の髪を両サイドでアップにしてツインテールにした、絣と同い年くらいの少女だった。

「絣、この人でしょ?」

 ツインテールの少女は結城のそばに来ると、追ってきた絣に話しかけた。
 
「う、うん……」

 絣は少し気まずそうに答える。少女はそれを聞くと、満足そうに結城の方を振り返った。
 
「じゃいいや。川本結城さんですね?」
「え、そうだけど……」
「どもども初めまして。私(わたくし)、絣の親友の近山(ちかやま)成羽(なるは)と申します」

 成羽は小気味よい口調で自己紹介をする。結城はどう答えて良いか分からず、はあ、そうですか、と間抜けな返事をしてしまった。

「ふーん……」

 成羽は一歩近づいて、結城をまじまじと見つめた。猫のような目が特徴的な成羽は、どう見ても美少女の類に入るだろう。何をしているのかと思い、結城は少したじろぐ。

「……何か?」
「……ん?いえ、普通の人だと思いまして」

 またしても返答に困る言葉を、成羽は口にする。後ろで絣が不安そうな顔をしていた。
 
「いえね、昨日夕飯食べてる時に、神社に知らない人が来たって絣が言ったんですよ。若い男の人。どんな物好きかと思って。ほら、こんなバカみたいに長い階段登る人、そうはいないでしょう?」

 成羽は、確実に四桁はある石段を指さす。結城は頷いた。
 
「まあな。けど、初対面の人間を物好き呼ばわりするのは、結構失礼だぞ?」
「ありゃ、これは失礼。けどまあ、三好に外から人が来るなんて珍しいですからねえ。絣が興味持つのも当然かな?」
「興味?」
「な、成羽!」

 絣が成羽を咎める。しかし成羽は、絣の声など聞こえないかのように話を続ける。
 
「そうですよ。絣って、他人の事なんて滅多な事じゃ話しませんから。……でもこうしてみると、やっぱ普通の人だよなー……」

 腕組みをして、成羽は首を傾げる。
 
「成羽ってば!」
「ありゃ?いたの?絣」
「もう。どうしてそう誤解されるような言い方するの?すいません川本さん。成羽っていつもこうで……」

 絣が成羽を押し退けて前に出た。そしてぺこりと頭を下げる。それに対して成羽が声をあげた。

「あ!いつもって、ヒドいぞ絣!それって偏見!」
「偏見って……そうじゃない」
「違う!」
「そうだよ!」
「まあまあ。とにかく、絣ちゃんが俺のこと話したから、君が見に来たって事だろ?」

 二人が口喧嘩を始めたので、結城はその間に割って入った。
 
「んー、ま、そうですね」

絣を睨みながら成羽は言う。その絣は、視線を下に落とした。

「あの、川本さん……」
「ん?」

 絣は上目遣いで結城を見た。心なしか頬が赤い。
 
「その……絣ちゃんは、ちょっと……」

 ぼそぼそ絣は呟く。赤い頬が一層紅くなった。
 
「あーそれそれ。初対面でちゃん付けされたって、絣困ってましたよ」

 絣の言葉に、成羽が付け加える。
 
「別にいいだろ?可愛いじゃないか」
「そ、そんな……!私、別に……!」
 絣は再び俯いてもごもごと何か言ってい
 る。どうも、ちゃん付けは恥ずかしいらしい。
 
「まあ確かに、いきなりちゃん付けは、少なくとも絣には刺激が強いですよ。あたしみた
いに、本当に可愛いなら別だけど!」

 成羽は自信たっぷりにポーズを決めた。しかし二人に反応はない。
(確かにそうだけどさ、自分で言うと白けるだろ……)
 結城がそう目を逸らしたのが気に入らなかったのか、成羽は少しむくれた顔をした。
 
「時に川本さん」
「何だ?」
「何でまた三好に?観光って訳じゃないでしょ?」

 成羽は首を傾げて尋ねる。結城はああ、と声をあげた。
 
「なんでだろうな。強いて言えばなんとなくなんだけど。一昨日急に部長から一ヶ月仕事休んでいいなんて言われちまって。どうしようか迷ったまま電車乗って、それでここで降りたんだ。」

 結城はこれまでの単純すぎるあらましを説明した。
 
「はあ、社会人なんですね。何のお仕事ですか?」
「新聞記者。主に民事を追っかけてる。」
「新聞、記者……?」

 瞬間、成羽の顔が曇った。どこか警戒しているような表情だった。
 
「どうした?」
「どうしたの?成羽」

(その4に続く)

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