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Zephyr プロローグ&第一話(その2)
「え…………」

 本殿の屋根に、人が一人立っていたのだ。見上げる形なのでよく分からないが、髪が長いので女性と判断した。
 その女性は、屋根の上に立っているだけで、別段何もしていなかった。しかし、どうも夕陽を見ているらしい。背中まである黒髪が風に揺れ、朱い光を反射している。

「ち、ちょっと……!一体何を……!」
「え?」

 結城は本殿に近づくと、下から声をかけた。
 しかし、それがいけなかった。
 
「あ……きゃあっ!」

 突如女性はバランスを崩し、屋根の上を滑ってしまったのだ。危うく落ちそうになるところを、縁の部分でぶら下がることで回避した。
 結城は慌ててその下まで走ると、腕を広げた。
 
「危ない!ほら、飛び降りて!」

 しかし、抱きとめるという意味のその声は虚しく、彼女はそのまま屋根の上に登ってしまった。懸垂力はしっかりあるようだ。
 どうするのかと結城が見ていると、彼女は顔を出して、結城のいる位置を確認した。そして次の瞬間、タンという音と共に、屋根から飛び降りた。

「うわっ!」

 しかし全く危なげなく、彼女は華麗に着地して立ち上がった。それから一度髪を整えると、結城を見つめる。
 結城はそこで初めて、その女性が、恐らくは高校生くらいの少女であることに気付いた。
 夕陽に照らされて茶色に見える黒髪。その毛先にはゆったりとしたウエーブがかかっている。飾り気のない緑のセーターとジーンズは、どこか寂しげな瞳を持つ少女の雰囲気には、あまり合っていない気がした。

「あの……」
「あ、ごめん、驚かせちゃって。何してたのかなって、思ってさ」

 ぎこちない笑顔で、結城は少女に話しかける。
 
「……夕焼け、見てたんです……」

 少女は、太陽の方を指さす。結城も改めて、その燃える空を見てみた。
 
「うん、綺麗だよなあ」
「はい」

 少女はそう言うと、鳥居の方へ歩いて行った。そして、そこにもたれかかる。結城もついて行った。
 西日は、真っ直ぐに神社を照らしていた。今は朱色の恒星が、もうすぐ山の間に隠れようとしている。美しい、それでいてどこか懐かしい風景。結城は、ほうと溜め息をついた。

「そういえば、ここって街が一望できるんだな」

夕陽から視線を落としてみて、初めて結城は気付いた。畑と、わずかな数の建物。細い道路と、廃線寸前の線路。
 三好町の全てが見えた。
 そうして改めて結城は、そこには本当に何も見る物がないことを実感した。特殊な建物と言えば、今自分がいるこの神社くらいのものだった。

「……そうですね」

 少女は、小さな声で頷く。
 
「あー……俺、川本結城っていうんだけど、君は?」

 どうにも間が保たず息苦しいので、結城はとりあえず名乗ってみた。特別意味はないが、名前くらいはと思ったのだ。

「……私は、秋月(あきづき)絣(かすり)です」

 しかし、絣と名乗った少女は、名前を言っただけで、またすぐに会話を切って黙ってしまった。仕方なく、結城は話を戻すことにした。

「夕焼けか……。ここでも充分見えるけど、その、屋根の上の方が、やっぱりよく見えるのか?」
「ええ。見晴らしの良いところでは、あそこが一番なんです」
「そっか。でも、どうやって登ったんだ?」
「……秘密です」

 絣は、ほんの少し微笑んで、口に人差し指を当てた。その仕草が可愛かったのと、話をつなぐことに成功したのとで、結城は安心した。

「ふーん。ま、いいか。それにしても、神社の屋根に登るなんて、結構バチ当たりだな」

 にっと笑う結城に、絣も小さな笑顔で答える。
 
「まあ……そうですね。でも、今のところバチが当たったことはないですよ」
「じゃあきっとその時、神様はうっかり瞬きしてたんだな」
「瞬きは、うっかりとは言わないと思いますけど……」
「瞬きは瞬きでも、長い瞬きなんだよ。思わず見逃してしまうくらいな」
「……それは瞬きじゃないでしょう」

 絣は、くすくす笑っていた。
 
 そんなことを話している内に、太陽はほとんど沈んでしまっていた。朱い空が、だんだんと闇に染まっていく。

「もうこんなに陽が……帰った方がいいかな、なあ」
「そうですね。でも、私はまだいます」
「え、大丈夫なのか?街灯無いだろ?」
「慣れてますから」

 驚いて聞き返す結城に、絣は平然と答える。結城は一瞬目眩がした。これほどの石段を、暗闇でも平気なくらい歩き慣れている人間は、たとえ地元でもいる訳がないと思っていたのだ。

「……そういうことなら、俺は退散するよ。じゃあな、絣ちゃん」

 結城は絣に手を振って、石段を降り始めた。
 
「……絣ちゃん?」

 その、呼び止めるような絣の声に、結城は振り返る。
 
「あれ?違ったっけ?秋月……」
「……絣です」
「ならいいじゃん」
「いえその……ちゃん付けは……」

 可愛いだろ、と言って結城は階段を降りだした。夕闇はもうそこまで迫っている。足元に気をつけながら、結城は「みよし」へと戻って行った。

「あ……しまった」

その途中、結城ははたと気がついた。

「結局、お参りしてねえじゃん、俺……」

 (その3に続く)

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