砂時計
06
まさか明日から担任となる男の口から、家など一身上の諸々の事情を言われるとは予想だにしていなかった。
死に際は、一人で静かに逝きたいと思っていたから。
誰にも言えない、言うつもりもない、決意。
大好きな家族との最期は絶対に辛いものになると思っていたから、辛い思いをするくらいなら一人で良いと最期の時の理想像を描いていた。
それに、神水葱という姓であるのに十河と名乗っているのも然るべき理由がある。
十河は、亡き母の旧姓。公には、神水葱千歳という人物は経財政界では殆ど知られていない。“神水葱”という姓はあまりに有名で、名前だけが独り歩きしてもおかしくないにも関わらずにだ。
千歳は三つ子の兄弟の一番下。当然同い年で、同じ母親の腹の中、同じ日に生を受けた三人であるから凄く兄弟仲が良い。だけど、健康体どころか健康優良児の兄二人と比べれば歴然としているのは事実である。千歳のことを知る親戚一同に陰口を叩かれ、神水葱一族または本家の一人としての役目を全う出来ない出来損ないだと罵られる。一族の失格者として扱われて来た。
どんなに家族が千歳を大切にしていても、それはごく僅かの少数意見なのだ。大半の親戚には、疎ましく思われていた。本家一族の役目を果たせない存在であるから、神水葱の姓を名乗ることを許してもらえなかった。
一族の長であり、神水葱ホールディングスの会長でもある祖父の神水葱眞太郎が千歳の存在を認めないのだから、世間に神水葱の一人として公表出来るわけがない。もし祖父の意に反して行うものなら、一族の長に逆らったとして千歳本人だけでなく父や兄たちまで追及されるはめになるのだ。
それ故に、肩身が狭い立場だった。
水城総合病院も神水葱グループ(ホールディングス)直下で、日本の医療界の最先端技術を備えているから千歳の治療と療養には適した場所であった。しかし千歳に言っていないが、事実千歳の存在が公に露見しないよう神水葱一族全体から監視されているのだと理解していた。
名目上では静養という、遠回しで言えば軟禁。
そして――今も、だ。
紫堂学園に編入の許可がされたのも、恐らく学園内に神水葱が提携している病院があるから。否提携というよりは、紫堂学園……つまり紫堂学園の経営元である御錫野グループと神水葱ホールディングスが提携を組んでいるだけで、病院自体は神水葱が経営している病院であるということ。
だからこそ、学校に通えることはなっても、一族に見張られていると自覚していた。自分一人だけの問題に、飛び火して他者を巻き込むわけにはいかない、それが千歳なりの答え。
それなのに――、
「すまんな警戒しなくて良い。俺は憐の友人だ。だからお前んちの事情を前々から聞いてたんだよ」
「え、父さんの?」
「ああ。じゃあ行くぞ。迷うなよ――――人様んちの事情を他人に言うような人間じゃねえよ、俺は」
四月朔日の言葉に千歳は安心して「はい」と返事をしてから小走りで後ろを付いて行った。
外見に反して面倒見良さげな面から、千歳の中で四月朔日への負の第一印象はすぐに『恐い人』から『良い人』へと訂正された。
「俺は一応学年主任だし担任だから分かんねーことは遠慮なく聞いて良いからな。あと理事長は今不在だ。日を改めて理事長の下に挨拶に行く必要がある」
「はい」
「お前、2人の兄とは全然違うなぁ」
「……は?」
「いや、あいつらと性格が全然違うから。それにここの建物見て物珍しそうな反応をする奴も少ないしな。大半は金持ちの坊ちゃんだから金銭感覚が違うんだよ」
有り余った金の象徴ともいえる豪勢な校舎の中、四月朔日に学校見学がてらに案内されながらそう言われた。
学校のイメージからは遠く掛け離れた建物の中はやはりブルジョア校らしい設備。いくら千歳自身も超が付くほどの高所得一家の子息であったとしても、長い入院生活で質素な生活を送っていた。
家族の中で1番庶民的な千歳には到底理解出来ないレベルの次元で、ここは世界が違うと否応なしに実感させられた。
時刻は12時45分。昼休みを告げるチャイムが廊下中に鳴り響く。同時にガタガタと音がして多くの生徒が次々に廊下へと出て来た。
「昼か……お前昼食いに行くぞ。残りの案内は寮だけだしな」
「あっ、はい!」
先程までの静けさと打って変わって賑やかな声に活気溢れる廊下。急いでいるのか廊下を走り、すれ違う教師に注意される生徒もいる。
何もかもが新鮮で物珍しく、見るものすべてに興味引かれた。
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