砂時計
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 私立紫堂(しどう)学園。

 創立は明治時代。

 設立当初は専門学校として創設され、明治期の教学大旨による修身教育や学校令による小学校の義務教育化、専門学校令による統一的教育などの明治・大正・昭和と近代激動期を経て、今日こんにち名門学園及びに進学校として全国的に名が知られている。

 戦後は学校制度の改革により根本的な経営形態は変わったがその長き伝統はブランド化し、また学園自治の自由な校風が有名となっている。

 伝統というブランドは、建前と体裁を取り繕う良家の人間には特に受けが良い。

 現在は名門進学校も相俟ってブルジョア校として小中高大学の一貫した英才教育を行う教育機関としても広範に名が知れ渡っている。

 つまり、学費が馬鹿に高い。

 学費も高い上に、OBによる寄付金も洒落にならないレベルで、高い学費と寄付金で学園は成り立っている。

 OBには、代議士や地方議員、どこぞの旧家の出、日本の政治経済を担うを大企業の社長とか、言い出したら切りがないほど著名人が多い。

 デメリットと言えば、大学を除く小学校から高校まで一貫して男子校。辺鄙な地に、小中高校と一括りにして設置されていることだ。

 少子化並びに高齢社会のこの時代。子どもが少なくなっていることもあってどこの私立学校も生徒や学生の確保に躍起となっている。

 大学で数年前に定員割れを発生したことが契機となって学園改革案を齎した。

 公立小学校や中学校のように無償性の公教育を施すことは出来ない。私学にとって、学校経営は生徒や学生の学費の徴収そのものが、第一に経営へと成り立つ。

 そこで経営方針転換の一策として学園全体のクオリティの改善。

 今以上の教育の質の向上、施設の充実。金持ちだけに的を絞るのでなく、広範囲に目を向けた。

 伝統ばかり重んじる保守的経営方法から、柔軟な経営方針へと切り換えたのだ。

 硬性から軟性へ。

 保守から革新へ。

 近年新理事長の就任により柔軟な対処、抜本的な改革は、新たな紫堂学園として革新した。

 規律ある自由。

 文武両道。

 設立当初から変わらない建学の精神を基軸にして、古き因習を打破した学園側が求める生徒像をモットーに掲げている。

 一芸に秀でた者に授業料等学費免除の特待生制度や、奨学金制度の枠を設けたことから、全国各地から入学希望者が殺到。

 また、在学中に各分野で成績を修める生徒に対しての評価を行うシステムも導入した。

 元より魅力的で、紫堂学園に行きたいと男なら誰もが憧れる。金銭的問題で行きたくても断念せざるを得なかった人々が数多くいた。

 そこにこの制度だ。

 優秀な学生が次々と集まり、今では金持ち学校であると共に学力・各種活動面にて全国的にトップクラスの地位に立っている。

 とにかく、無駄に広く豪華。

 東京郊外の辺鄙な場所にあるが、学園全体が都市と形容してもおかしくないくらいにとてつもなく広い学園。

 一日に通るバスは三本。最寄りの駅は、車で一時間以上。学園の外は、山に緑、田畑に昔ながらの日本家屋。

 都会の喧騒から離れた、自然溢れる地。

 学園だけがそんな田舎の地からぽっかりと独立し、高い塀で囲まれ切り離された一種の隔離されている空間だった。

 各学校のエリアの他に、共用エリアでは各種様々な店や銀行、病院、公共機関なども充実している。

 大型チェーン店のレストランもあれば、ちょっとしたショッピングが出来るくらいには、不自由なく生活することが出来る。

 特に中学・高校は全寮制のため学生と職員関係者用の寄宿舎までもが完備。金持ちの子息が多いが故に、保護者が求める生活面の質を最高水準まで引き上げたために、学園案内のパンフレットの写真は凄かった。

 寮は何処の高級ホテルかと突っ込まれてもおかしくないくらい贅を極めている。まだ実物を見ていない状態でありながら、写真を見ただけで唖然として言葉を失ったのであった。

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