砂時計
06
 
「貴方が仕事をサボる時は、殆どが千歳様に関することですから。さ、本社に戻りますよ。仕事が山積みです」

「……たまには休んでも良いだろうが。ってか、俺の会社なんだがら多少は融通効かせろよ」

「無断で行方をくらましたのはどなたで? 貴方の勝手な考えで論じないで下さい。何度も申していますが、私たち以下の全社員を貴方が一身に引き受けているのですよ? 貴方は次期会長なんですから」

「……」

 安達の言葉に憐はぐうの音も出なかった。

 直属の部下として絶大な信頼が置かれている安達。側近の尤もな話は、ブスブスッと胸に突き刺さる。

 大企業の社長。資本主義社会において資本家側の立場で、労働者を雇用・使役する人物。膨大な裁決を行い、必要とあれば裁可をする。処理する案件は果てしないく多い。今すぐにでも帰社して執務机でしなくてはいけないのだが。

 憐ではなく配下の安達が逆に手綱捌きをするのは、それもこれも、すべては憐が犯したハプニングに起因する。昨年の出来事だが、安達にとっては大事件で、とんだ騒動が起きたことがある。

 年末総決算と会計監査が入る目前に仕事の膨大さに鬱になって仕事をほっぽり出し、丸一日雲隠れしたのだ。会計監査が入るから緊迫していたのに、そんな時に行方をくらまして。

 あの時は安達が千歳の元にやって来て泣きついたのだった。体に差し障るのを承知で自分らの仕事を手伝って欲しい、と。

 猫の手も借りたいくらいの多忙さで、千歳は何があったのか事情を聞けば憐が仕事をさぼって行方をくらましているということ。

 千歳には夢がある。もし健康体だったなら、公認会計士になりたかった。そのために大学も行きたかった。

 今はもう叶わない夢に等しい。

 叶わなくてもやりたいことはある。経済学や会計学、法律学などを独学で勉強することくらいは出来る。

 千歳自身は自覚ないが、趣味の範疇でやっている勉強は今や十分過ぎるほどの知識を齎した。頭良くないと本人は思っているものの実のところ誰よりも勤勉家で向学精神が強く、兄たちに負けないほどの知識教養を享受している。

 その能力を見越して、安達は千歳を頼ったのだ。

 千歳自身は役に立たないからと言って謙遜して断ろうとしたが、安達の必死な態度と様子に最終的に頷いてしまった。

 自他共に認めるほどにお人好しな性格はこんな時仇となる。

 憐とよく一緒にいる安達は、千歳の担当医とは知り合いになっていた。本来は外出はほぼ禁じられているが、必死に説得して特別に外出の許可を取った。

 夕方面会終了時間前ギリギリに千歳の部屋に来た憐。だが、個室の部屋は無人。千歳はいなかったから、さあ大変。

 病院内で憐は大騒ぎし、身内に慌てて連絡。

 事情を知っているのは安達と担当医、そして長兄の悠。担当医は憐の幼馴染みであるから、安達に事情を聞いた時特別に許可を出したのだ。また、丁度本社に赴いていた悠は千歳が本社社長室にいることをその時に知った。

 憐の行方、千歳の行方も分かったが、後は散々だった。担当医の桑原に千歳の行方を聞き社に戻れば、千歳が父親の仕事を代わりにしていて。憐は驚愕も相俟って長々と千歳を説教し、駆けつけた皐月・千矢・千里たちからも……以下同文。皆に強か怒られて気落ちしたのは言うまでもなかった。

 結局病院に戻ったあと無理が祟ったせいか熱を出した。

 安達は憐に向けていた姿勢をくるりと千歳へと向ける。

 仕事をサボるのは、憐自身が困るだけの問題では済まないのだ。それが家族の千歳にも及ぶということを。

 安達は遠回しに仕事を怠けることは、愛息子の千歳に迷惑をかけることになるのだと。

「千歳様。お久しぶりです」

「うん、久しぶりです安達さん。父さんが迷惑かけてると思うんですがすみません」

「何だ何だ、俺が問題児みたいな扱いじゃないか」

「あれ、自覚なさってるのですか?」

「……お前ほんと性格悪いよな」

「如何様にでも」

 引き攣り笑いをする憐と、さらりと流して柔らかな笑みで受け答える安達。こんな二人だけど、歴とした上下関係で結ばれているのだった。社長とそれを補佐する秘書の関係なのだ。

 そんな上下逆転しているような二人の関係を見て、皆さも可笑しげに苦笑した。

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