02
深夜二時。
この仕事では盛り上がりやすい定番ソングみたいなアップテンポの良い曲をラスソン(ラストソング)としてカラオケで唄い終わった後、閉店の曲が流れる。最近じゃ専ら、 月 ――瑞希の源氏名だ――のテーマソングと化している。今日はナンバーを担うメンバーが月を含めて二人しかいなかった為、締めのラスソンは必然と月たち二人の役回りだった。
地声より大幅に上げた作った声で唄うのは、かなり喉がやられる。こういう機会でしか絶対に唄いたくないと、瑞希はそう思った。
この仕事をし初めてから、のどスプレーとハーブのど飴は常備品と化している。周りのホステスたちからはのど飴が臭いと不評であるが、慣れたら甘さ控え目で美味い。客に許可貰っていたので、のど飴を先程から口の中でコロコロと転がす。
瑞希の声は、女にしては低い。酒やけ声とからかわれやすく、客から逆に喉を労るためにのど飴を食べて良いよという有り難い言葉を頂いている、何とも残念美少女なキャラで通っていた。
最後の客を全員で見送り、礼儀として「ありがとうございました」というのは接客では当たり前の決まり文句だ。最後まで客について接客していたホステスが主になって「また遊び来てね」というのは、流石にこの仕事ならではかもしれない。
オーラス(オープンからラスト)までいたことあって疲労で身体が重い。閉店後皆がぞろぞろと更衣室に向かう中、瑞希だけいつものようにヘアメイク室に行く。
「ふわぁあ、つっかれたぁー。お疲れ様でーす」
先程までの可愛らしく振る舞っていた姿とは変わって、欠伸しつつ部屋に入ってドア閉めた瞬間バサッと乱暴に《髪》を取った。途端に顕れるは同色の栗色の髪なのだが――少し短い。レイヤーを入れたミディアムの肩より少し長い髪。
声も今までは意識して高くしていたが、今は仕事中の時より幾分か声量が低い。
接客の時はいつも緊張していて肩の力が抜けない。
ひと時も、気を抜いてはいけないのだ。
今日も仕事が終わったと意識すると、一気に疲れが押し寄せた。
「おつかれーって、ちょっと! 月ちゃん、そんな乱暴に取らないの!」
ヘアメイク室には、ボーイと同じウェイター姿の女性が瑞希の粗野な態度を窘める。
彼女は、川浪南――川ちゃんという愛称で呼ばれている、ホール担当の女性スタッフだ。
この職業で、女性のホール担当は珍しい。要は、ウェイトレスだ。元は瑞希と同じフロアのキャストであったが、現役引退した今はホールの仕事を務めている。調理師免許を所持していたことから、主にキッチン作業を担当している。
「えーめんどくさい」
「面倒とかじゃなくて! そのウィッグだって高いの! 仕事道具なんだから大切に扱わなきゃダメ! 何度云ってると思ってんの」
「はーい」
確かにこれは 月 にとって立派な商売道具であり、必須のアイテム。
仕事用ドレスを脱いで細身の黒スキニージーンズを履き、黒のフード付きロンTというラフな格好になる。目にも鮮やかな青紫色のハイカットスニーカーという出で立ちは、どう見ても女の子っぽくない。または、物凄くボーイッシュな女子か。
何故こんな馬鹿なことやっているんだ、と。自問自答しても瑞希が選んだ手段であるから仕様がないことは分かっているのだが、それでもだ。
女っぽくない、のではない。正真正銘の男、 朝霧瑞希 。女ではなく男という言葉が、そのまま当て嵌まるのだ。
女っぽい名前にも聞こえなくもないが、紛れも無く生物学上に男だった。
女装という悪ふざけな悪趣味は、生憎ながら瑞希は持ち合わせていない。
女装やオカマのようなに真似をすることに対して偏見を持っている訳じゃない。ただ、瑞希の趣味ではないということだ。
女っぽくなくて結構。女じゃなくて俺は男だ! といつも瑞希の正体を知る者に対して主張している。
不本意だった。仕事中、女の姿に扮装するのは。瑞希が生きてきた二十年の人生中で、最大の黒歴史。
客に『月ちゃん可愛いね』とか『綺麗』とか云われても、女が云われて嬉しい台詞は、微塵も嬉しくなかった。
(――不名誉だよ、ったく)
ささっと着替えを済ませて瑞希が店内に戻る頃には、ラストまで残ったメンバーが揃っていた。
「はい、月ちゃん。今日は本指(本指名)あったから日払い一万ね。印鑑」
予め日払い申請をしていたため出金伝票に本名を記入して印鑑を押す。一万円札を受け取り、財布の中に仕舞う。
ラストまで残ったのは瑞希よりも古株である人たちだけだった。だからこそ、安心して私服に着替えることが出来るのだ。
帰りは店が自宅まで車で送り届けてくれる。車一台で送るには定員オーバーの為、各方面行きに三つのグループに分けて、三台の車を動かすことで効率を図っていた。
店から車で約三十分程走った所に瑞希の自宅がある。車に乗り込んで暫くの間、同乗した先輩格のホステスと雑談に耽った。
「相変わらず凄い化けようだよねぇ、月ちゃんって」
「ここでその名前云わないで下さいよー。仕事は終わったんですし」
「それもそうよねぇ。今日はラストまで残ったのが、皆月ちゃんの正体を知っている人たちだけだから、気が楽でしょう?」
「そうですね。仕事じゃなけりゃ絶対あんな格好したくないですよ」
「あははっ。女が男装趣味とかいうのはあるけど、男が女装すれば普通は白い目で見られかねないからねぇ」
「本当差別だと思いますよ。ったく母さんたちの悪巧みにはほとほと困りますよ」
「似合っているから良いじゃない。そこらへんの子より断然可愛いわよー?」
「お言葉嬉しいですが俺男ですから。男に可愛いって結構屈辱ですよ……この仕事するくらいならホストやりたかった……」
「んーホストやったら今の成績じゃいられないと思うけど。普通の顔じゃない」
「まあそうですが……」
ぐさっと来た。
昨今の日本人では中々お目にかかれない射干玉(ぬばたま)色の髪を持つ大和美人の彼女の名は美咲。店では桜という名前で知られている、瑞希より古株のキャストだ。
本名は知っているが源氏名で慣れ親しんでいるせいで、本名呼びは違和感がある。そのため、いつも桜さんと呼んでいた。
店では何でも相談出来る頼れる姐さんキャラだ。そして、《月》が入店した頃丁寧に接客の仕方を指導してくれた一番の先輩であり、売上ナンバーツーのホステス。のんびりゆったりした口調に似合わず歯に衣着せぬ物言いをする人だ。
仕事のために化粧をがっつりしているが、元々瑞希は男だ。化粧落とせば全然姿が変わる。瑞希と月が同一人物だとは月の正体を知る者でなければ、間違いなく気付きやしないだろう。
今の姿は、化粧で化けていると云って過言ではなかった。
「どうせ平凡顔ですよーだ」
瑞希自身が認めているのもなんだが、平凡な顔立ちだ。補足するとしたら母親似の女顔っていうところだろうか。
但し、齢を重ねても一向に加齢の兆しが殆ど見えない美しき顔(かんばせ)を持った、外見年齢三十路手前しか見えない母親から生まれたとは瑞希自身もあまり信じたくはない。
実際の年齢は――今年で四十一歳。
ババアとか化け物とか呼んだ瞬間、母の端麗な顔立ちは悪鬼と化して、瑞希に容赦なく鉄拳制裁を喰らわす。
片親である母は、朝霧家に於いて一国一城の主だ。
父は瑞希が物心つく前には離婚していて、自宅には母が一枚しか写真を残していなかった。写真越しでしか、父の姿は見たことない。それでも父は美青年で、二つ上の瑞希の姉は母と父の美貌の良いとこ取りしたような容姿。
片や弟である瑞希は美形の両親を持ちながら平凡といった、本当にDNAが同じなのかと疑いたくもなる。母の面立ちと似ているので、正真正銘血が繋がっているのは間違いないが。
やるならホストの方が良かったとは云ったが、重々瑞希は自身の平凡な容姿について理解していた。
化粧でこんなにも化けるなんて、まさか当初思いもしなかった。
月の正体知るものは『詐欺だ』と皆口揃えて云う。
世間の女性は――特に社会人――殆どが化粧して外に出ているのだから、化粧している男の瑞希からしてみると詐欺か仮面じゃないかと思い込んでしまう。
化粧は女の戦装束――瑞希の母や姉が度々口にする台詞だが、言い得て妙だと思う。己をより女らしく魅せて稼ぐ仕事柄、化粧はまさに戦装束という言葉が相応しいと瑞希もそう思った。
他人のこと、云えた筋ではないが。
美咲みたいに元からパーツが揃った美人なら良い。美人が化粧をしても、もっと美形度が上がるだけだ。
平凡って自覚していても空しくなるのは、きっと恨めしくて、羨ましいのだ。
男なら男らしい精悍な顔つきの方が嬉しいに決まってる。
「あ、そういえば明日給料日だよね。売り上げポイントどう?」
「先月昼のバイトが忙しくてこっちの仕事のシフトを減らしていたので、そんな良い成績ではないですよ」
「あら謙遜しちゃってぇ。どうせちゃっかり成績は良いんじゃないのー? 先月お客さんがあまり入らなかったから瑞希ちゃんいて助かったとかこの前云っていたしねぇ」
「そうだったんですか? 店長から営業しろよーって云われていたんで、シフト減らしていたからその分仕事しろって催促されていたんだと思っていたんですが。それにママも俺にプレッシャーかけて来やがるし」
「もう、あの馬鹿は。瑞希ちゃんのことこき使い過ぎよ。それに私たちの ママ も瑞希ちゃんへの愛情表現が雑だからねぇ」
馬鹿呼ばわりする理由は、店長と美咲が幼馴染であるからだ。仕事中は公私をつけて店長と呼んでいるが、こうして話をする時は馬鹿呼ばわりすることが多い。
「この仕事で営業しなきゃ駄目なのは当然ですから仕方ないですよ。仕事する気ないならこの世界から足を洗えって話ですし。まぁ、ママの場合二割真面目、八割方は俺のことおちょくって(からかって)ますからねー」
「そうだけどねぇ。でも夜一本でやってる私と違って瑞希ちゃんは学生だし、昼も大学とバイトしているんだから負担だってあるでしょう。ママのことは否めないけど」
「負担と云えばきついんでしょうけど、家んち職業柄昼とは遠くかけ離れている生活なんで、これが負担なのか分からないです」
自分のお家事情を考えると、苦笑しか出てこなかった。
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