06ー修正中ー


 かちんと、音がする。ポットのお湯が沸騰して、スイッチが切れた合図だ。
 最近ディスカウントショップで良く見かける、簡易ポット。ちょっとしたお茶などに使うには役立つ賢いやつで、沸騰させる機能しかない電気ケトルは、保温機能がない代わりに値段も手頃で安い。昼間研究室で籠もる時しか用途がない電気ケトルは、逆に便利が良い。
 高道は立ち上がり、マグカップを二つ手に持ち、手ずからペーパードリップでコーヒーを煎れる。
「ほい。砂糖要るか?」
 自分の前に置かれたマグカップは、湯気と共に独特の芳香が漂う。この香りが好きなのだ。
「あ、はい」
 シュガーポットからひとつ角砂糖を摘んで、マグカップに入れる。熱く黒い液の中でカランと混ぜる音が、殊更響いた。
 コーヒーを片手に、煙草を喫(の)みながら暫し至福のひと時満喫する。ふう、と吐き出した煙はすぐに空へと溶けて消える。後に残るのは、咥内に仄かに残るメンソール感と、煙草の臭いだけだ。
 吸い終わった煙草を灰皿に押し付けて、火を消した。ちゃんと消えたか確認し、またコーヒーを啜った。うっかりしているのか、時々煙草の火が完全に消えておらず、煙が上がっていることがあるために、確認が必要だった。
 高道が煎れるコーヒーは美味い。それは、高道が珈琲通で、豆に拘っているからだ。時間があれば、豆を手で挽くくらい好きらしい。
 角砂糖をひとつ入れたそれは、甘すぎでなく苦味の中にほんのり甘みが広がる。この味が好きで、これの飲みたさに瑞希は研究室に用事もないのにちょくちょく遊びに行っていた。
「お前時間大丈夫か?」
「あ、今日はもう授業ないんで。今からバイトです」
「おいおい、働き詰め過ぎだろう。そんなんだから、授業中に居眠りなんかすんだよ。これで成績悪かったら、どうなるか俺は知らねえからな」
「ちょっと、先生ー。どっかの誰かと似たようなこと云わないで下さいよー」
「そいつは誰だよ」
「うちのオカン」
「……ぶはぁっ! 俺は、母さんかよ!」
「ちょっと、コーヒー飲んでる途中に笑わんで! うわあ、もう臭いっ!」
 コーヒーを飲んでる途中に噴出されると、堪ったものじゃない。人の口に入ったコーヒーが、わざわざ自分の顔面に当たって欲しいとは誰も思わないはずだ。
 況してや、高道はヘビースモーカで、常時煙草臭い。
 軽い煙草しか吸わない瑞希だが、それでも喫煙者。他人のことを云えたものではないが、それでも、苦手なものがある。
 煙草とコーヒーの匂いが混じると……とんでもない悪臭がする。自己中心的な理由であると分かっていても、そんな高道からコーヒーを吹きかけられる被害だけは、マジで御免被り願いたかった。



 大学生という身分は、気楽なようでいて結構忙しい。アルバイトをしない学生は少ない。親の金だけで生活出来るほど、皆余裕がないって云うのが理由だ。
 大学から実家まで、バイク――なんてカッコいいこと云うが原付だ――で二十分。その道程の中に、瑞希が高校一年の頃から勤めているバイト先がある。
 《あなたのココロにいつでも笑顔を》がキャッチフレーズの店、コンビニエンスストア《スマイル》。全国展開のフランチャイズのコンビニである《スマイル》は、どこの街でも必ずと云っていいほど店を構えている。
 ライダースーツなんて大層な物は使っていないが、自分の身の安全のために厚手のジャケットを着用している。フルフェイスのヘルメットを被った瑞希は、現在バイト先までアクセルを全開に回して、運転していた。まさか、この青年がキャバ嬢をやっているとは、只今公道を走っている者たちは、誰しも思わないだろう。
「あーもー最悪!」
 十四時からバイトだからと余裕持って大学から出たはずなのに、道すがら運悪く事故処理現場に出くわし、交通規制の渋滞に嵌ってしまったのだ。迂回する道がなく、やむなく規制の誘導に従って待っていれば、シフト開始の時間に迫っていたのだ。
 なんとか渋滞から抜け出した時には、残り十分。バイト先まで問題なく辿り着けば……五分。幹線道路沿いにある店に着くまでに、信号がいくつかある。遅刻したくない一心で原付の法定速度なんかまるっきり無視してぶっ飛ばした結果、店に二分前に到着した。
 店内に駆け込んで、挨拶もそこそこに取り合えず制服をロッカーから引っ掴む。名札の従業員バーコードを店のメインPCでスキャンして、勤退登録を済ませる。その時間一分。
「はあはぁ……間に合った……」
 ひと先ず安心し、荷物をロッカーに仕舞う。シフトに入る前に接客用語を読み上げるのが、この店でのルールだ。読み終えた後、先程までの必死の形相を切り替えて、仕事用の顔で店内に出る。
「いらっしゃいませー」
 接客スマイルで、元気良く声を出す。これだけで、お客さんからは《元気の良い店員》という評価が得られている。
 高校一年の頃からこの店でお世話になっていると、今年で通算勤続五年。すでに古株のメンバーで、学生でありながら一応シフト内での時間帯責任者なんて役割を務めている。
 心労が絶えない。
「佐々木さん、おはようございまーす」
「あ、瑞希ちゃんおはよう! ギリギリだったわねー」
「いやー災難でしたー。事故で渋滞に巻き込まれて。遅刻するかと焦りました」
「本当に、遅刻? って思ったわよー。連絡ないんだもん。いつも二十分前には店にいる子がいないとね、ビックリするわよー」
「すみません、連絡しなくて」
「良いよ、良いよ。どーせ慌てていて、連絡し忘れていたんでしょ? 瑞希ちゃん、どっか抜けてるとこあるからねー」
「……う、正解です」
 苦笑する佐々木さんは、瑞希がバイトし始めた少し後に入ったおばちゃんで、殆ど同期だ。付き合いは長い。高校の時から顔を知られている分、瑞希の性格を良く知っている。

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