The die is cast.
U



「……高山」
「否定しないってことは、肯定か?」

 手を伸ばして、彼の手の横にあるマウスを握る。身を屈めて画面を覗き込み、マウスを動かした。
 真横から篠原の視線を受けながら、データを上書き保存して、さっさと作業画面を閉じてしまう。

「……付き纏われてはいない。たまに、声を掛けられるだけだ」
「たまに? こっちは四六時中出ずっぱりの部隊だぞ。一週間に一回の確率で遭うなら、それは偶然じゃない。柏木が篠原を探して歩いてるんだ」

 どうして、と言いたげな篠原の視線を間近に感じながら、彼のパソコンをシャットダウンした。
 キュウ、という機械音の後、画面は真っ暗に染まる。途端に、部屋に灯っていた唯一の明かりも消えてしまう。
 月明かりだけが差し込んでいる室内は暗く、白い光にぼんやりと照らされた篠原と目が合えば、どこか戸惑った空気が流れた。

「俺の同僚が、まだ柏木と同じ部隊にいる。柏木がしょっちゅう篠原を探してフラフラしてるって聞いてたから」
 
 彼が要求していた答えを返すと、納得した彼はキーの上に置いたままだった指を所在無げに膝の上に下ろした。
 篠原は、何も言わずに壁を見つめていた。

「柏木を相手にするな」
「してない」
「声を掛けられて会話すれば、相手にしたことになる」

 篠原らしくない舌足らずな声で否定を返され、思わずそれを説き伏せる語気が強まってしまう。

 まだファースト・フォースが結成される前から、篠原は高山の元同僚に付き纏われている。柏木という、癖のある男だ。

 気に入った相手にはすぐに手を出す柏木らしくない、一年以上続くプラトニックなアプローチは止みそうにない。
 一途に篠原だけを追い回している柏木を、今までの柏木の手癖の悪さを知っている人間達は驚愕して見ていた。
 どうやら柏木は、本気で篠原を口説き落とそうとしているらしい、と。


 随分気に入られたもんだ、と篠原の整った顔を見下ろした。
 滅多に笑わないうえに、なかなかの頑固者だ。
 愛想も無い。
 けれど、時折不意に、微笑えまれたりする。そういうところが腹が立つほど可愛いと思えてしまうのだから、柏木だけでなく自分も変わり者かもしれない。


「……風早と」

 ぽつりと、篠原が呟いた。
 篠原は壁を見つめたまま、僅かに眉を寄せている。
 
「風早と付き合ってるのかって聞かれた」
「……へぇ」

 返答に困って、思わず気の抜けた相槌を打ってしまった。
 風早は、篠原の同僚だ。今は医療班の副班長をしている、勘が鋭い油断なら無い男だ。
 そして、この無愛想な上司様が、頻繁に笑顔を向ける相手でもある。
 それ故に、「篠原と風早はできている」と実しやかに噂されていた。それを受けて、柏木は張本人に問いただしたのだろう。なんと勇気のある男だ。

 それは、高山も気になっていた噂だ。
 ファースト・フォースが結成される前から、その噂を知っていた。
 そして、実際に風早の前で笑みを見せる篠原の姿を何度も目撃している。これはまた楽しそうな、希少価値の高い笑顔だ。
 それを見るたびに、あの噂は本当かもしれないともやもやしていた。


 高山が言葉を選んで沈黙していると、篠原がふと顔を上げる。
 目が合うと、怪訝そうに顔を顰めてみせた。

「そう見えるのか?」
「……いや……」

 咄嗟に首を振ってから、無意識に顔を歪めてしまった。まずい、と慌てて片手で口許を覆ってみたが、一連の高山の反応をしっかりと見ていた篠原は「そうか」と小さく呟く。

「風早は、話していて楽だったからな……誤解される風に見えるなら、気をつける」
「……誤解? 付き合ってないってことか?」

 高山が返せば、篠原は怪訝な表情のまま頷く。

「お前も誤解してたんだな」
「……風早と話してる時の篠原はかわいいから……」

 ぽつり、と呟いてから、再度まずい、と口を閉ざした。
 篠原の目が大きく丸まっている。高山の言葉の意味を考えているのか、じっとこちらを見つめてくる視線が痛かった。
 
「……歳相応で」

 誤魔化す様に付け足してはみたが、あまりフォローになっていない。寧ろ、篠原は首を横に傾げている。

「……何でもない」

 どうにかしようと更に付け足してみるものの、それも逆効果だったようだ。
 篠原の困ったような、戸惑った視線を真っ直ぐに受けながら、高山は眉を寄せる。
 どうして今こんな状況で、本音を溢してしまうのだろう。普段なら喉奥で止めてしまえるような言葉だったというのに、なぜ、今このタイミングでそれが出来なかったのか。


「夕飯は食べたか」

 話を逸らそうと咄嗟にそう口にすれば、篠原はじっとこちらを見つめたまま、首を横に振った。
 その反応に僅かにホッとする。別の話題にしようとした流れには乗ってくれたらしいからだ。このまま、失言を無かったものにしてしまいたい。
 どこか気まずい空気が流れているオフィスに、高山のわざとらしい咳払いが響く。本当に、わざとらしい。

「今夜はさすがに先約は無いだろ」
「……何の話だ」

 篠原が眉を寄せる。
 その表情に、高山は慌てて視線を逸らした。
 まだファースト・フォースが結成される前に、一度篠原を誘ってあっさりと断られたことを密かに覚えていたなんて、気付かれるわけにはいかない。
 柏木並みの執着心があることを悟られてしまえば、恐らくこの上司様は警戒する。
 そして更に上司とその補佐としての溝が深まる。それだけは回避しなければならない。
 腕時計を見れば、もう日付が変わっている。開いている店なんて、チェーン店のファミレスや居酒屋くらいだ。それでも、警戒されずに誘うなら今しかない。

「どこかに食いに行くか」
「……」

 篠原は沈黙する。静かに移動した視線は、真っ暗になったパソコンの画面に注がれていた。篠原の返答を待った時間は実際には数秒程度だったが、いやに長く感じた。

「……明日までに提出しなければいけない書類がある」

 そう呟いた篠原の声に、落胆した。
 つまり、仕事がまだ残っているから、行かない。と、そういうことなのだろう。
 思わず漏れそうになった溜め息を飲み込んでから、そっと彼から離れた。

 一人寂しく自室に帰って寝てしまおうと思う。この数分で反省すべき点が有り過ぎて、精神的なダメージが大きかった。
 しかし、名残惜しく見下ろしてみた篠原は、まだこちらを見つめていた。その切れ長の目が、不意に緩む。どこか諦めたような、苦笑のような表情だった。

「本当に手伝ってくれるんだろうな」

 思わず反応が出来ずにその目を見つめてしまった。
 目を丸めたままの高山に、篠原は小さく息を吐き出す。椅子を引いて立ち上がった篠原は、肩に掛けられたままだった高山の上着を腕に抱いたまま、「おい」と急かすように呟いた。
 その声にハッと我に返り、彼の手から自分の上着を受け取ってみる。篠原の体温で温められた上着を羽織ながら、どうにか口を開いた。

「手伝うよ。……緊急出動が無ければ、だけどな」

 高山の返答に、篠原が微かに笑う。
 白い月明かりの下で小さく微笑んだ篠原に、ぐっと息を飲んでしまう。
 いつも鋭い視線を送る目が、怒号とも取れる指示を飛ばす口が、柔らかな弧を描いている。
 高山は、この不意打ちの笑みにとことん弱い。
 こんな笑みを見れるのは、恐らくファースト・フォースの人間と風早のみだ。柏木は、きっと見たことはない。
 そう思うと、一層息が止まりそうになる。


「篠原」

 呼ぶと、真っ直ぐに見つめてくる。
 あの頃……ファースト・フォースが結成される前は、呼ぶと必ず眉間に皺が寄ったというのに、今ではその強い視線が真摯に刺さる。

 高山が気付いていなかっただけで、確かに篠原との距離は近付いていたようだ。少なくとも、まともに会話は出来る。
 初対面で早速毒を吐かれた高山にしては、これは充分すぎる進歩だったのではないか。


「寝起きだ。身体、冷やすなよ」

 言えば、篠原は暫し何も言わずにこちらを見つめてから、眉間に小さな皺を寄せて目を逸らした。

「風早と同じことを言うんだな」

 誤解は解けたが、こういう時にあまりに自然に風早の名前が出るのは、少し気になる。
 友情の範囲内。
 どうにか自分にそう言い聞かせて、無意識に引き結んでしまった口を笑みの形に歪ませた。
 篠原が自分を頼らないことに対する苛立ちや悔しさは、自分が彼の補佐であるということから来る感情だと割り切っていたはずだったが、違うのかもしれない。



 まだ、気付かなかった。その感情が、もっと複雑なものなんだと。




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あきゅろす。
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