彼の姿を見たのは、一年前に初めて行われた合同訓練の時が初めてだった。
まだ『ファースト・フォース』という最前線を担う部隊の形が欠片ほども出来ていなかった頃、『戦闘集団』が作られるという物騒な噂が実しやかに囁かれていた状況に、突然の合同訓練。
普段は別々に『防衛』と『反UC派の牽制』を担っていた五つの部隊が集められての、大々的な内容だ。それが、『戦闘集団』のメンバー選びの一環だという事は、大半の者が気付いていただろう。
そして、その合同訓練で最も存在感を放っていたのが、彼だった。
「さすがだな、高山」
汗で肌に張り付いたシャツを引き剥がしながら脱ぎ捨てると同時に、同僚の声が聞こえてきた。ロッカーから顔を上げると、同僚はにやりと笑ってこちらを見ていた。
「あれだけピリピリした中で、よくもああ、堂々と訓練をこなせるよな。射撃、全発命中だったろ? 俺なんか緊張してボロボロだったってのに」
ロッカーに寄り掛かるように背を預けたまま、同僚が自嘲のように顔を顰める。
思い出したのは、午前から夕方までぶっ通しで行われた合同訓練の最中に流れていた空気だ。張り詰めた、大学入試の会場のような空気だった。まるで人生全てが掛かっているような。
「確かに、すごい緊張感だったな。上層部の人間も随分見に来ていたらしいし」
「まじかよ……あー……俺は絶対選ばれないな」
選ばれない? と同僚の言葉を反復して問うと、同僚は一度目を細めてから、呆れたように笑う。
「『戦闘集団』だよ。各部隊の精鋭を選ぶらしい。まあ、これから最も前線で体張ることになるんだから、エリートじゃなきゃやっていけないんだろうけどな」
「ああ、その話か……」
あながち、大学入試のような空気という感想も間違いではないのかもしれない。試験監督員、もとい、普段は滅多に現場に現れない上層部の幹部組が目を光らせている訓練だったのだから。
時期はまだ定かではないが、精鋭メンバーで形成される最前線部隊が作られるのは確定しているらしい。今日の訓練は、その精鋭を探し出すためのものだったのだろう。
タオルで体を拭い、替えのシャツを引っ張り出す。洗い立てのシャツに袖を通すと、演習で疲れた身体もどうにか爽やかさを取り戻す。
けれど、ロッカールームの中は汗臭さで充満している。ここに長居すれば、この爽やかさもあっという間に男臭さで薄れてしまいそうだ。
てきぱきと着替えを済ませた高山の視線に急かされ、同僚は慌ててシャツを脱いだ。ロッカーを閉めて息を吐いた高山に、同僚はタオルで顔を拭いながらくぐもった声で続ける。
「お前も候補に選ばれてるって、専ら噂になってるってのに。気になんないのか?」
「……気にはなるな、配属先が変わるのは。場合によっては、寮の部屋も変わるし。今の部屋は風呂が近いから」
「暢気だなー。最前線の超エリートになるかもしれないって意味わかってんのかよ。エリートになったら部屋だって今より広くなるんだぞ。個室シャワー付きの部屋に」
ロッカールームから出る高山を、新しいシャツを着ながら同僚が追ってくる。廊下に出ると、同じ様に着替えを済ませた隊員たちが思い思いに寛いでいた。ロッカールームの中ほどではないが、やはり訓練後の館内は汗臭い。
行き先に悩んだ高山は、真っ直ぐに食堂へ向かうことにした。先に夕食を済ませてから、風呂にゆっくり浸かろうと思う。
同僚が隣に並ぶと、そういえば、と高山から切り出した。
「候補に選ばれてるって言ったら、すごいのがいたな」
「シノハラノリアキだろ。やっぱり高山も気になったか? 噂じゃ聞いてたけど、実際に見ると怖いくらいだよな」
ああ、と頷いて返す。
訓練の最中、何度も目を奪われた。長身の、整った顔をした男の姿に。
「射撃は全発命中。ハイポートは一抜け。なにやってもすごかったなー……俺、途中からまじでびびってたもん」
「……屋内の想定訓練、見てたか?」
「見てた見てた。あれも凄かったよな」
凄い、では表せない。
同僚がシノハラノリアキについて語るのを聞きながら、彼の姿を鮮明に思い出していた。
篠原紀彰。
高山より一つ年下で、一班に所属する高山とはほぼ接点が無い五班に所属している。高校卒業と同時に養成所に入校。首席で卒業後、五班に入隊。
接点の無い一班にまで噂が流れてくるほど、『切れる男』だ。
実際に見た彼は、長身の割には身体が細い。
筋肉はついているが、決してガタイが良い方ではない。格闘家のように分厚い筋肉を纏う隊員たちが多い中で、最低限の筋肉だけをつけた陸上選手のような引き締まった体は、それだけで周りとは違うと錯覚させる。
ついでに言うと高圧的ではあるが、かなりの美形だ。
冷ややかな瞳や、落ち着いた印象の黒髪が、『そういう性癖』の奴等には随分人気らしい。
高山が目を奪われたのは、篠原が美形だったからではなく、篠原があまりにも指揮官向きの能力を持っていたからだ。
屋内での訓練は、テロリストが人質を連れて籠城するのを想定した、強行突破の演習だった。
普段の所属部隊は関係なく、ランダムに選ばれた六人ずつでチームを組み、演習に挑む。
篠原は、顔も名前も知らない五人を率いて、見事にテロリスト役の上官を制圧した。真正面から切り込む大胆さと、相手に微塵の抵抗もさせないほど素早く、鮮やかに。
それは、訓練を見に来ていた上層部達すら拍手を捧げたほどの手腕だった。
篠原は降り注いだ拍手に怪訝な顔をして、何事も無かったようにすぐに待機位置へと引き上げていく。
隣を擦れ違った篠原から、目が離せなかった。
彼の後に、高山も指揮官として演習に参加したが、彼との実力の差を肌で感じるだけだった。
篠原は、もっと指示のタイミングが早かった。
篠原は、メンバー一人一人の個性をすぐに理解して、それを戦略に練りこんでいた。
彼の姿を思い出して舌打ちしてしまうほどに上手くいかず、初めて組むメンバーに四苦八苦しながらの制圧となった。
結局、テロリストの制圧と人質の無傷解放を為したのは、篠原のチームと高山のチームだけだったが、それでも高山にとっては、篠原の能力を充分すぎるほどに見せ付けられたような気がしていた。
同じく『任務を成し遂げた』とはいえ、篠原と高山では大きく差が有ると、高山の胸にはしっかりと刻まれている。
「あの若さで、あれだけ綺麗に人を動かせるのは、才能としか言いようがない」
「でも、愛想無くて怖いよな」
「……そうだった?」
「全然喋んないんだぞ、あいつ」
「訓練中の私語は禁止だろ」
「そうじゃなくて、普段から」
同僚が渋い顔で言うのに、へえ、とだけ軽く返して、階段を降りて行く。階下にある食堂に近付くと談笑の声が響いてくると同時に、空腹を刺激する匂いが漂ってきた。今日の夕飯はカレーだろうか。
「良いんじゃないか。あまりペラペラ喋るのも鬱陶しいぞ」
「なんだ、俺に言ってるのか、それ」
不貞腐れたように声を低める同僚に笑って誤魔化し、歩を進めると、ふと窓の向こうに見えた姿に思わず足を止めた。
隣を歩いていた同僚も慌てて足を止め、高山の視線の先にある姿に気付いて、うわ、と呟く。
「噂をすれば、シノハラノリアキ!」
「何してんだろ」
食堂の外で、篠原は背を向けて立っていた。姿勢の良い背中を見つめる高山に、同僚は眉を寄せる。
「あれ、うちの班の柏木じゃないか」
同僚に言われて、篠原から視線を動かして、彼と向かい合うように立っている男を窺った。
日が暮れ始めた屋外にいる彼らの姿は濃紺に染まりかけていたが、篠原と向かい合うのは、高山や同僚と同じ一班に所属する柏木だ。
その姿を確認して、思わず眉を顰めてしまった。
柏木は、篠原を気に入っている。どういう意味で、と言えば、『そういう性癖』で、という意味で。
高山の視線の先で、柏木は篠原の手首を掴んだ。同僚が、げ、と声を上げる。
「まじかよ。手ぇ出す気だぞ、あいつ」
「……」
柏木はゲイを公表している。それも、かなり行動的だ。
同じ班のやつも何人か手を出されたし、別の班にも、または出張先の支部でも節操が無い。ノンケにも臆せず手を出すのだから、質が悪い。
そんな柏木が、ここ最近一番気に入っていたのが篠原だ。
どうやら、柏木の好みにぴったり合っていたらしい。黒髪で、落ち着いていて、強気で、長身だが細い。
曰く、「啼かせてみたくなるよな」。