夜行の桜姫





 獅桜。
 美しい名前だと、思った。


 この地一帯を守護する地神である金色の獅子『剛天』。
 その神託を受けることが出来る唯一の存在である、凪波神社の神子。それが、獅桜という青年だ。

 家系代々で受け継ぐ神子としての才能を有り余るほどに持って生まれた獅桜は、歴代最高の神子として、ヒト達に崇められている。
 さも、獅桜が神であるかのように、だ。

 それも仕方のないことだろうか。
 千年の昔から、かの金色の獅子は偉大なる神の力でこの地を守り続け、獅子と交信でき得るのは神子のみ。つまり神子は、神の一言一句を自分の言葉としてヒトに伝え、神の力を自由に扱えるのだから。
 故に獅桜はヒトに崇められ、ヒトでありながらヒトとは思われない。
 どこか達観した涼やかな目は、そんな境遇から来るのだろう。
 




 私が獅桜を見初めたのは、ヒトの時間で言うならば、四年前のことだ。



 獅桜は、この神社に縛り付けられ自由に動けぬ金色の神の代わりに、ヒト達を訪ね歩いていた。
 この地を守るために己の足で地を踏みしめ、己の目で現状を見るのが神子の役目だからだ。
 金色の獅子の支配下である地に異形の物の怪が踏み入れば、神子は神の力を持ってそれを排除する。そうして、ヒトの安全を維持していた。


 私は、その『異形の物の怪』だった。

 金色の獅子が守護する禁断の神域に足を踏み入れたのは、その外から眺めていた『獅桜』という存在に目を奪われていたからだ。
 獅子の神域へと踏み入った私に、獅桜は鋭い目を向ける。まるで研ぎ澄まされた刃のような、妖しく危うく麗しい冷たい目だった。
 私が欲したのは、彼だ。
 ヒトの命や、この神域の支配権など、すべて興味は無かった。
 ただ一つ、獅桜が欲しかった。


 手を伸ばした時、獅桜の細い身体が金色の光を放つ。
 途端に、私の体は四肢をそれぞればらばらに引き千切られるような激しい苦痛を訴えた。


 私と獅桜とを包んだ金色の光が、この地の神である獅子そのものだと気付いた時に、私は激しい嫉妬を覚えていた。
 獅桜は、この獅子のものだ。
 神に縛られ、神の言葉どおりに動き、神のためだけに生きる獅桜。
 そして神は、獅桜を他には渡さまいと、私を破壊しようとする。

 獅桜の泣きそうな目が私を見ていた。
 怖かったのだろう。
 己の手を離れ、ただの物の怪相手に力を暴走させる神の存在が。
 獅桜が遣えるべき神は、今や、獅桜への独占欲に狂う邪神と化して私を攻撃する。
 

 神域の外から見ていた獅桜は、いつも背をぴんと伸ばし、真っ直ぐに前を見ていた。
 ヒトを見る目は感情こそ表してなどいないのに、どこか優しく、それでいて寂しげだった。
 ああ、彼は、ヒトでありながらヒトでない存在だというのに、ヒトを愛しく思っているのだろう。そう悟った。
 なんと切なく儚く、美しいヒトだろう。

 そうして私は、彼に恋焦がれていった。


 神の力に怯える彼を救おうとした。
 もう、怖がることなど、ないのだと。

 金色の光が霧散したとき、獅桜は震えていた。
 彼を包む恐怖から救ってあげようと、私は一歩ずつ彼へと踏み出していく。それと同時に神域は、ムッと獣の臭いに包まれていった。
 それは、神域が物の怪に侵されたことの象徴だった。


 ―私は、金色の獅子を喰らった。



2013/3/3



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あきゅろす。
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