朽ち果てる声(閻鬼) 一日の仕事が済んだ後、ごくたまに俺の秘書の鬼は行方を眩ます事がある。 眩ますとは言っても、何処に行ったのかは大方熟知しているのだが。 最近はこの放浪癖も落ち着いたように見えたが、今日は久々に鬼の姿が見えなかった。 放っておいても帰ってくるのだろうが、俺は何故か彼を放っておく事が出来ない。 何故か、なんて、理由など必要だろうか? 昔の俺からは考えられない程の情をいつの間にか抱えている事に気が付いて、頬が緩んだ。 地獄への梯子を降り、冷たい地面の上を歩く。 すると聞えた、鬼の奏でる旋律。 ああ本当にこの鬼は、なんて綺麗な、声をしているのだろう。 血なまぐさい此の場所には不釣合いなその声は、不意に吹き抜けた生温い風に乗って俺の横をすり抜けた。 「ねぇ、もっと歌ってよ」 こちらには気が付いていなかったのか、突然声を掛けた俺に驚いた鬼は勢い良く振り返った。 「…っあ、なんだ、大王か」 「な、なんだってなんだよ鬼男君…へこむじゃないか…」 鬼の彼は、うなだれる俺をウザイ、と言い除けて立ち去ろうとする。 相変わらず辛辣だな、鬼男君。 そんな君を呼び止める術など、いくらでも持っている。 「鬼男君ってさ、本当に良い声してるよね」 去ろうとする鬼の背中にそう言葉を投げ掛ける。 立ち止まりこちらを振り返った鬼は、何処か罰の悪そうな顔だ。 「…あんたには及ばないよ」 褒めているのか、それとも皮肉か…恐らく後者だろうが。 鉄の香りを孕んだ風が思考を狂わす。 出来る限りの笑みを携え、途切れぬように会話を繋ぐ。 「好きだよ、鬼男君の声」 「声だけですか」 吐き捨てる様に笑う鬼の声は、やはり美しい。 何寸か先に居るそれに少し近付いてみる。 今度は逃げずにいてくれているのが嬉しくて、気付けば俺は手を延ばしていた。 触れた頬は、冷たい。 「大王、僕は…」 僕は、自分の声が嫌いです。 そう言った鬼の頬に触れた俺の手には、温かい雫が伝った。 その鬼の表情には、鬼らしさの欠片もない。 ああ愛しい。 「…じゃあ、どうして君は歌うの?」 鬼の冷えた頬を今度は両手で包む。 …ああ、ごめんね、俺の冷たい手じゃ、温める事は出来ないね。 俯く鬼を覗き込む様にして俺は答えを待った。 鬼の返答は、それはそれは悲しいモノ。 「…こうしていれば、いつか、いつか此の声も枯れるんじゃないかって…」 自然に朽ち果てるのを待っていたのでは、それは永過ぎる。 そう言って、鬼は歌う。 自虐の歌を、その美しい声で。 朽ち果てる声 …そんな事をするくらいなら、その声を、俺に頂戴…? END |