しあわせの方程式
ハッピーバレンタイン【前編】


 世界を彩るような、可愛らしいピンクとハート。何処に行っても、それらは視界に入る。
 コンビニの棚にはそれ用に可愛らしくラッピングされたチョコが置いてあるし、デパートに行っても専用コーナーが設けられている。
 街の色は、間違いなく「バレンタイン色」。
 甘いチョコの香り。甘い恋人達の囁き。見ているだけで感じられそうだ。
 ぼんやりと街の景色を眺めていた私は、ぽつりと呟く。
「私、バレンタインって嫌いなんだよね」
「え?」
 唐突な言葉に、驚いたように空は私を見てくる。
 しかし、私はそれを綺麗に無視して、言葉を続ける。
「嫌いなの。なんか、製菓会社の策略に乗るのも、流されるのも癪じゃない?」
「えー! チョコくれないの? いいじゃん、流されようよー!」
 すると、当然とも言うべきか、空は拗ねたように私の腕に纏わりついてくる。
 それでも、私は知っている。空は、甘いものは好きではない。寧ろ、苦手な部類だ。
「チョコ好きじゃないくせに」
「唯からのチョコは欲しいんだよー」
 私の言葉に少しだけ言葉を詰まらせたものの、空はそう言って、ぷくぅと頬を膨らませ、子供がするかのような表情をする。
 それでも、こちらを見ることはやめない。真っ直ぐに私だけを瞳に映している。その丸いその瞳は、まるで寂しがりやな子犬のようだ。
 思わず、私の方が言葉に詰ってしまった。
 策略に乗るのが癪だというのは事実。でも、その空の瞳に対抗出来るかと言えば、答えはノーだ。
「あー! 分かった、分かった! あげるから!」
 こんな風に、事あるごとに記念日や行事に拘って、そうして拗ねられるのは鬱陶しいし、面倒だと思う。
 それでも、同時にそんな空が可愛いと思ってしまう自分もいる。だから結局、私はいつだって空のお願いを聞いてしまったりする。





 バレンタインと言えば、チョコだとかココアだとかカカオだとか……つまり、そういうものだ。
 中学生くらいの頃、友人にバレンタインが大好きな子がいて、それに付き合って私もかなりの量のチョコを作っていた記憶がある。
 トリュフ、生チョコ、チョコレートタルト、挙げると切りがないほど色々作った。自分で言うのも難だが、かなり好評だった。
 それもそうだろう。お菓子作りは趣味で、週に一回程度は作っていたのだから。そもそも、分量通り、手順通りに作っていれば、そうそう失敗などしない。何よりも、チョコというのは他のお菓子と比べて、美味しいと思う人が多い。多少の失敗くらい許せる美味しさがある。
 ――でも、今回は別だ。何せ、相手はチョコが好きではないのだから。

「はぁ」
 本を開いていた私の口からは、盛大な溜息が漏れた。
 僅かに苛立った様子で、髪を掻く。
「チョコとか甘いお菓子は得意なのになぁ」
 空の好きなものというと、やはり肉だ。特に鶏肉。そして、ラーメン。肉じゃがやすき焼きなどの和食。甘いもので言うならば、和菓子。
 とてもではないが、バレンタインとはかけ離れている。
 チョコを買って渡してしまうのは、簡単だ。だって、バレンタインなのだ。それ以外の何を渡すというのだろう。甘さ控え目なものだってある筈だ。
 しかし、それほど好きではないものをあげて、何になるというのだろう。バレンタインと言えば、チョコだ。だからチョコをあげたい。それは確かだ。
 でも、相手が喜ばないものをあげたって意味がない。喜んでもらえるもの、好きなものをあげたいと思う。
「そうすると、やっぱり和菓子だよねぇ」
 羊羹、大福、饅頭、八つ橋など。和菓子となれば、好きなものはそれなりに挙げられる。
 つるんと喉腰なめらかな羊羹。大福類は、あのもちもちとした触感が大好きだと言っていた。饅頭は、あの素朴な味がいいらしい。八つ橋もやはりもちもち感。
 でも、何故だろう。やはり何となくではあるが、気が進まない。あまりバレンタインっぽくないという理由もあるだろうが、羊羹や饅頭などあまり可愛らしい感じがしない。出来れば他のものがいい。
「あと空が大好きなものと言えば……」
 うーんと、首を傾げながら、私は思案を続ける。
「あ、苺大福かなぁ」
 和菓子の中で、空が一番好きなのは苺大福だ。
 苺大福は、私も大好きだけど。あんこと一緒にある苺の酸味がとても良いのだ。ただ甘いだけではなく、甘酸っぱい爽やかさもある感じ。大福に苺を入れるなんてなかなか思いつかないだろうが、やってみるとすごく合うものだ。
 空が一番好きな和菓子だし。なんとなく苺を使っていると可愛い感じがするし。苺大福に決定しよう。
あんこも市販のものではなく、小豆から作ろう。ちょっぴり砂糖は控えめにして、苺の酸味とマッチするように調節してみよう。
 なんとなく、少しだけ楽しくなってきたような気がする。別に、空の為だからというわけではないけど。
「よし!」
 まぁ何はともあれ、そうと決まれば話が早い。私は、材料を買いに、部屋を後にした。






「え?」
 掌の携帯を握りしめる。
 電話越しに聞こえた唐突な言葉に、私は酷く間抜けな声を出していたのではないかと思う。
「もう一回、言ってくれる?」
 聞き間違えかとも思った。だから、電話越しに聞こえた言葉を聞き返す。
 空は、申し訳なさそうに同じ言葉を繰り返した。
「えっとね、14日、バイト入れちゃったんだよね。で、13日も、予定が出来ちゃって」
 そして、その前後も、空はバイトが入っていた筈。
 つまり、バレンタインデーの前後は会えないということだ。その次に会うとしたら、4日後くらいにはなるだろう。
 沈黙が、二人の間に流れる。空が、私の返答を待っており、私が何も返さないからだ。そのままでいられる筈もなく、私はそっけなく言葉を返す。
「ふーん、別にいいよ。バイトとかじゃ仕方ないし」
『急に会えなくなったこと、怒ってる?』
「怒ってないって。もう切るからね、私も忙しいんだから」
『あ、唯! ゆ……』
 音を立てて、一方的に通話を切る。それを止めるような声が聞こえたのは分かったけれど、私は止めなかった。

 吐き出す場所も、当てる場所もない感情が湧き上がってくる。
 予定が入ってしまった。いや、入れてしまった、と言っていた。両者は似ているようで、やはり違う。後者は、そこには空の意思があるということだ。
 空は、バレンタインについて何も触れていなかった。つまりそれは、忘れているという可能性が高い。私だけ。
 私だけが気にしていたのだ。空のチョコが欲しいという言葉を真に受けて。
「ッ!」
 気付けばその衝動のままに、手の中の携帯をベットの上に投げていた。
 小さな音を立てて電池パックの蓋が取れた。中身も出てくる。
 自分以外誰もいない部屋に、それは無残に、寂しそうにその存在を主張していた。

「馬鹿、みたい」
 受け取り手のいない呟きは、虚しく響き、そして何もなかったかのように消える。
 全てが馬鹿らしくなった私は、何も考えたくなくて、そのままベッドの上に倒れ込む。
 しかし、目の前に、視界に入ってきた携帯に、顔が歪む。考えないように、忘れようとしていても、嫌でも思い出してしまう。
 冷蔵庫の中の、何日か前に買った苺。つやつやしていて、美味しそうなのを選んだ。きっと、14日頃には食べ頃だ。それでも、空の予定に合わせてそれだけ会わないでいたら、腐りはしなくとも、プレゼント用に使うのには少し考えてしまう状態になってしまうだろう。
 ラッピングする包装用紙や袋、どれも可愛くて決められず、結局6パターンくらい買ってしまった。
 楽しみにしていた訳ではない。浮かれていた訳でもない。だって、バレンタインデーなんて面倒なだけだったんだから。空が欲しいというから、あげるだけ。
 でも、こんなに早く買ってしまった材料。あれこれ悩んでいたのも事実だ。他の誰でもない、空だけの為に。
「ばか……みたい……」
 そう呟いた唇は、自嘲気味に弧を描く。
 私は、そんなに可愛い女の子じゃない。バレンタインなんて――乙女の日なんて好きじゃないし、似合わない。似合わないことはするものではないと思う。
「もったいないなぁ、あれ」
 冷蔵庫の中ある、使い道のなくなった苺。
 ただそれだけのことが、酷く虚しさを増させた。



【後編へ続く】

2011.2.19



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