しあわせの方程式
想い、想われて 「昨日、溝口と車運転してきたんだけどさ」 空の声に、読んでいた本から意識を彼に向ける。 授業で使うこの本を早めに読み終わらせなければいけない。それは自分でも分かってはいるのだが、再び本を読み出す事が出来ない。 最近、空はよく車を運転しにいく。地元の彼の親しい友人を連れて。 免許を取って、まだ一年経たないが故に、せっかく取った免許を形だけにしない為になのだろう。 空の家の車は、オートマではなく、マニュアルだ。彼の両親が車好きな為に、次の車もオートマになるのだろう事が予想される。やはりマニュアルの方が難しいが、慣れておかなければいけない。 教習場の合宿にいる頃の空と言えば、すごかった。私が困惑する程に、泣き言を言っていた。もう乗りたくない、怖い怖いとあれほどまでに騒いでいた。 それが、こうしてせっせと暇を見つけて練習するようになったのだ。練習の成果なのだろう、最近はイヤホン買って電話しながら運転しようかーなんていう余裕も出来てきたようだ。 喜ばしいことなのだろう。そう、思う。頭では分かっている。 「夜景見に行ったんだけど、綺麗だったよー」 「ふーん」 空が行ったという場所は、私と見に行こうと約束していた場所。 予定していた日に、時間がなくて、結局そこには行けなかった。仕方なく、また今度、という約束をしたのだった。 私の反応は、つい素っ気なくなってしまう。 空の話には、友人である「溝口」くん達の名前がよく出てくる。暇さえあれば、意味もなく一緒にダラダラとしているというのが窺える。 家が、本当に近所なのだ。2、3分の距離だというのを考えれば、そういう事もあるだろうとは思う。 それでも、思う。今、一緒にいるのは私ではない。私ではない誰が、ずっと一緒にいる。近くに住んでいる訳ではない私はすぐになんて、会えない。 そう思うと、複雑な気持ちになった。 「唯?」 知らず知らずの内に、眉が寄っていたのか、空の指が私の眉間に触れた。 慌てて、それを元に戻す。こんな気持ちを知られたくなんてない。 それでも、それは既に遅かったようだ。 「妬いてるの?」 「なっ! ち、違うもん!」 からかうような声音に、私は勢いよく背を向ける。 女の子に妬くならまだ分かる。しかし、腐れ縁といった男の友人に妬くのはどうだろうか。 頭では分かっている。それでも、私は寧ろ同性だからこそ、面白くないのだ。 異性である私には、分からないことが沢山ある。どうしても、同じような立場にはなれない。同じことは出来ない。 それが、言ってしまえば、寂しくて堪らない。 「嘘つかないでよ。俺のこと、そんなに好きなんだよね? 嬉しいな」 背を向けた私の頭を、優しく撫でる手。自分のとは違う大きなそれが心地良くて、怒鳴り返すことが出来なくなった。 (……好き) 認めざるを得ない。否定なんか出来ない。 それが悔しくて、また私は顔を合わせることが出来なくなった。 あの頃、ほんの少し前は、こんな筈じゃなかったのに。こんな風に、心が乱れるように好きになるなんて、思いもしなかったのに。 私達が付き合い始めた理由は、言ってしまえば私が根負けしたようなものだ。 想う者と想われる者、構図は単純だった。それがいつの間にか、悔しいことに私も彼に負けないくらい、想っていることに気付いてしまった。 こんな風に、ほんの小さなことで一喜一憂し、妬いてしまう程に。 「あーっ! 何か、むかつく」 「はぁ? 付き合ってるんだからいいじゃん」 「むかつくったら、むかつくの!」 自分のことながら、何もこんな所で負けず嫌いを発揮しなくてもいいとは思うけど。 「む」 かつく、ともう一度叫ぼうとした瞬間。背を向けていた所為で、気付かない内に伸びて来た腕に、包まれていた。 唐突なことに、声すら出ない。ただ、捕まえられて、逃げられない、そんなことを思う。 その温もりが心地よくて。手放したくなくて。 (いつの間に、こんなに) 呟きは届かない。いや、口にも出していなかったのだから、届く筈がない。 「今度、次こそは唯と見に行きたいね。今回で、ちゃんと道覚えたよ」 優しい声で、極上の笑顔で囁かれる。 忘れてる訳じゃないんだよ、そう言われたような気がした。 悔しいことに、たったそれだけで嬉しくなる。 「わ、忘れないでよね!」 結局、たった一言そう反抗することしか私には出来ないのだ。 今の私に、それ以上の反抗なんて、出来る筈がない。 想い、想われ。妬き、妬かれ。 それが自然な恋人という形なのだろうな、と諦めることにした。 END 2011.2.7 ←→ [戻る] |