しあわせの方程式
ハッピーバレンタイン?【後編】 ♪New



 あれからずっと、私は携帯の電源を切ったままだ。
 大学もない、その他の予定もない。ならば、誰からも急用の連絡などない筈だからいいやと自暴自棄になっていた。
 もし、連絡があれば不都合になる可能性はある。それでも、空からのメールが来ること、そしてそれを見ることの方がずっと嫌だった。

 窓から差し込む朝日が眩しい。ぼんやりした頭で今何時か確認する。
 時計の針は、まだ午前7時を指していた。なんて時間に起きてしまったのだろう。暇な一日になるだろうに。
 普段、日付感覚など曖昧なのに、どういうわけか、こういう時ばかりははっきりしている。今日は、14日。バレンタインデーだ。
 別に毎年、大して気にしていたわけでもないのに。恋人も、渡す相手すらいない年は多かった。それでも、それに何か考えた覚えは一度もない。独り身で寂しいと言っている人たちの気持ちなんて分からなかったし、別にいいじゃないかと思っていた。
 それでも、今年は、なんとも寂しい気分なのは否定できない。
「べ、別に、いいもん! 一人でゆっくりするし。空がいると大したこと出来なくて、たまに鬱陶しいしね」 気分を入れ替えるように、口に出す。
 そう、なんてことない。バレンタインデーなんて、ただの一日だ。元々はキリスト教など、日本とは関係のない国由来。それが日本ではちょっぴり違った変化をして、製菓会社が勝手に策略し出しただけ。
 そう考えると、気分が楽になる。固まった体を解す為に背伸びし、朝食の支度に取り掛かった。


 こたつに入れた足を、ぶらぶらと所在なく動かす。部屋には、カチカチと、秒針の進む音だけが、部屋に響いていた。
 ぼんやりとその秒針を見る。時刻はまだ15時過ぎたところ。
 結論から言うと、結局私は何をしていいか分からなくなってしまった。まず、朝食の支度はしたし、食べた。そのあと、洗濯をして、掃除機を掛け、お風呂とトイレ掃除もした。更には、お風呂の普段なかなか掃除出来ないところや、こびり付いたカビなんかもピカピカにした。昼食も作り、食べた。
 そうして、日常の雑事(しかも普段する訳ではないことも)を終え、一息吐くとすることがなくなってしまった。好きなことをすればいい。そう思うのだが、普段何をしていたかすら、分からなくなってしまった。
(普段、何してたっけ?)
 首を傾げ、考える。
 普段は空がいて、他愛ない話をして、くっついたりじゃれあったりして……。
 ああそうか、と納得する。いつだって私は空が一緒で、空と何かをしていて。だから、空がいないとすることがない。あまりにも空と一緒にいすぎて、したいこともなくなってしまったのだ。
(なんだかなぁ。こういう時に、その影響を思い知らせてくれなくてもいいのに)
 全く、嫌になる。何に対してかは分からないが、とにかく嫌になる。
 当たり前のように過ぎゆく私の日々に、当たり前のように入り込んでいる空。私の日常が、空なしでは立ち行かなくなっているような気がして、なんとなく悔しい。
「苺大福作る、かなぁ。せっかく買ったんだから、もったいないし。私も、好きだし」
 つやつやした苺は、今、食べ頃の筈だ。
 別に作ったなら作ったで、自分で食べればいいのだ。バレンタインデーが潰れたからという理由で、作らないという選択をする必要はない。
 そうだ、そうしよう。暇な時間を潰すには、お菓子作りはちょうどいい。






 苺大福が作り終わるのには、結構な時間が掛ってしまった。あんこを作るだけで、二時間は煮込むのだ。それは当然のこととも言える。
 暇潰しには丁度良かったが、少し疲れた。こたつの中で、だらんと足を延ばす。
 出来たての苺大福を手で取り、頬張る。ほど良いもちもちとした弾力が心地良い。苺を潰せば広がる甘酸っぱさが、良くあんこと調和している。
 美味しい筈だ。久しぶりに作ったというのにこの出来は、自画自賛してもいい筈だ。
 でも、それなのになんとなく味気なく感じてしまう。私一人の部屋は、あまりに静か過ぎて、寂し過ぎた。
 本当は空と一緒に食べていた筈なのに、今ここにいるのは私一人。そう思うと、尚更虚しさが込み上げる。
(どうして、こんなことになったんだろう?)
 バレンタインなんて似合わないことをしたから。空が欲しいなんて言ったから。それを私が真に受けたから。でも、空が忘れたから。
 ――それは、全部正しくて、でも間違っている。
 それだけではないのだ。私が、ちゃんと素直に言わなかったからというのも、一つの大きな理由だ。本当は楽しみにしていたのに。どうでもいいという最初の態度から、変えなかったから。だから、空だって忘れてしまったのかも知れない。
 言えば良かったのだ。あの時の電話の時に。そうしたら、また少し話が変わっていたかも知れない。
「馬鹿だなぁ、私」
 そう、馬鹿なんだ。いつも詰らない意地を張って、素直にならなくて……結果、駄目になってしまう。
 後になって、そんなことしなければ良かったと後悔する。それでも、何度も繰り返してしまう。

「!」
 唐突に、来客者を告げるインターホンが鳴った。
 驚きに、零れそうだった涙が引っ込む。
 もしかして? という気持ちが湧きあがってくるけど、そんな期待は無意味。だって、空はバイトなんだから。いくら空でも、流石にバイトを休むなんて真似はしないだろう。
 ならば、誰なんだろう? 疑問に思いながら、その人物を確認する。
「え? そ、ら……?」
 思わず、固まる。予想したけど、予想外な人物がそこにいて。
 壁に掛っている時計を確認する。もう夜の12時を回っている。
「来ちゃった。終電ギリギリ間に合った」
 驚きを隠せない私に、空はそう言って苦笑を浮かべた。
 零れ落ちる白い吐息が、夜の闇に浮かぶ。それは、外の寒さを物語っていた。
 それなのに、空はマフラーも手袋もしていない。それどころか、コートも。駅から走って来たのか、髪も服も酷く乱れていた。
「なん、で」
 驚きと色んな気持ちが混じっていて、思うように声にならない。
 いや、何を言葉にすべきかすら、何を言いたいのかすら、自分で分からない。
「ごめんね、バレンタインだったんだよね、今日……いや、もう昨日か。すっかり忘れててバイト入れちゃったけど」
 髪や服が乱れているのは急いで来たからで。急いで来たのは私の為で。それはバレンタインデーだったからって気付いたからで。電話とかメールとかで謝罪じゃなくて、わざわざ終電に乗って来てくれたからで。
 バイトで疲れているだろうに。終電に乗るのにだって、ギリギリで急いだだろうに。
 色んなことを考えて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。考えが纏まらない。
「唯のチョコ、欲しいな」
 丸い瞳で、空が見つめてくる。その瞳は、ただ子供のように純粋で、子犬のように憎めない。
 心の何処かにあった怒りだとか寂しさが、ふっと収まってくる。
 怒ってやろうと思っていた。バレンタインデーをしたいと言ったのは、空なのに。だから、私だって空の為に一生懸命になった。それを、あっさり忘れられていた。いくらでも文句も責める言葉も出てくる。
 でも、ちゃんと思い出してくれた。忘れたままでいないでくれた。そして、こうして急いで家まで来てくれている。私だけじゃなかった。ちゃんと大切に考えてくれていた。
 それで、もういいやと思ってしまった。

「チョコはあげない」
 でも、悲しいかな。私は素直な女の子じゃない。
 素直になんて許せそうもないし、来てくれてありがとうとなんて言えない。口から出たのは、そんな言葉だった。
「ええ!? やっぱり怒ってる? 許してくれない?」
 案の定、空の瞳が不安に曇る。なんというか、想像通りの反応をしてくれる。
 でも、少しは素直にならなくては、せっかく来てくれた意味がない。本当は、電話のあの時に、私がちゃんと「バレンタイン」だって言えば良かったんだから。忘れてしまった空も悪いけど、私が素直に言えなくて意地を張った所為でもある。
 だから、呟くように、付け加える。
「チョコは、って言ったの」
 言ってからやはり恥ずかしくなり、視線を逸らすように顔を背けた。
「え?」
 それがとりあえず耳に届いたらしい空からは、疑問の声が上がる。
 私はそれに答えず、ずかずかと部屋に戻ると、テーブルの上に置いてある苺大福の乗ったお皿を取った。
 後ろを――空を振り返ると、視線が合う。どんな表情していいかわからず、私の表情はむすっとしたものになる。
「苺大福」
「苺大福?」
「ラッピングはしてないけど」
「?」
 突っ張るように言うが、やはりというべきかこのやりとりでは上手く伝わらない。
 顔を逸らしながら、ぽつんと呟くように言う。
「……あげる。バレンタイン用に作ったの」
 そう、空の為に、だ。
 心の何処かで本当は、空に来てほしいと思っていたのかも知れない。どんなに遅くなってもいいから、ちゃんと思い出して来てくれたらいいな、と。

「唯、大好きー!」
 途端に空の表情が、ぱぁっと明るくなる。
 全身でその喜びを表すかのように、勢いよく抱き着いてくる。
「わ、ちょっと!? 苺大福が落ちるから!」
 私は、その空の体重を受け止めるのと、苺大福を駄目にしないようにといっぱいいっぱいになる。それでも、あまりにも嬉しそうにする空に、怒れない。
 力いっぱい、ぎゅうぎゅうと締め付けられる。少しだけ苦しくて、それでもその温もりが心地いい。
 私は、「ありがとう」とも「大好きだよ」とも、言っていない。私らしいと言えば、私らしいけど。
 でも、空は全く気に掛けた様子がない。空が気にしないからこそ尚更言いそびれてしまったのだけど、……伝わってはいるのだと思う。

 そっとその表情を盗み見ると、空は相変わらず嬉しそうな表情をしていた。
 それに、胸の内でぽっと温かいものが湧きあがってくる。
 バレンタインは別に好きでもないけど、こんな風に喜んでくれるのなら、来年もあげてもいいかなと思う。きっと素直になんて渡せないんだろうけど。





END

2011.2.21


ハッピーバレンタイン! 日ごろの感謝を込めて。



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