捧げもの
弑歌さまへ(萌太夢)
今日はたまたま早く起きれた。
敢えて理由を挙げるのだとすれば、それ。
以下も以上もない。
だからただの偶然なのだけれど、それでも私が早起きをするようになるのには、充分すぎるくらいの理由だった。
朝10分の早起き
「…………はあ」
ポリポリと頭をかいて立ち尽くす。
颯爽と風をきっていた自転車を降りて、その前で何も出来ずにただため息を吐いた。
「あー……あ、最悪」
今日はいつもより目覚めがよかったせいで、何を思ったか、変に余裕を持ってしまい、通学路と別の道を通って学校に行こうと、気分よく家を出たのが間違いだった。
走行途中(しかも学校と家とのちょうど中間あたりで、押して行くにしても帰るにしても結構な距離)で自転車を降りることを余儀なくされた私は、外れてしまったチェーンが、一体どうしたら直るのかと、先ほどから汚れる手も気にせずに嵌めようと奮闘してはいるのだが、いかんせん私は自転車初心者。どうすれば直るかなんて知るわけがないし、出来るわけがない。
早起きは三文の得と言うけれど、私の頭には早起きしたのに学校に遅刻した。としか残らないだろう。
朝からなんてこった散々な一日決定だな。
「どうか、なさったんですか」
「……?」
は、と、降ってきた声に振り返れば、真後ろにあった古いボロボロの、今にもくしゃみ一つで吹っ飛んでしまいそうなアパートの階段から、つなぎを着た美少年が煙草をふかしながら降りてきたのが見えた。
なんともまあ、世の中にはこんなにも美しい人間が存在するのかと、目を見張る。
「えと、ちょっと……、チェーンが壊れまして」
そう答えれば、美少年は「……ああ、そうですか」と、階段を降り終え私の自転車の前にしゃがみこんだ。
「え……」
「ああ、これは酷いですね。油を差してないでしょう?目に余る錆び付き具合いです」
「は、はぁ」
どうやら直してくれるらしく、「時間ありますか?」と聞かれたのだが、見ず知らずの他人に、そんなことをさせられるわけがない。されるような義理もない。
丁重にお断りした。
「少し待っていてくださいね」
「えっ、あ……」
しかし彼は私の意見などまったく聞き入れずにアパートに引き返し、工具のような物を持って戻ってきた。
「す、すみません……、ご迷惑おかけして」
「何言ってるんですか。困っている時はお互い様、じゃないですか」
そう言って笑う美少年の顔が、酷く歪んで見えたのは、夏を目前にした最近の高温多湿のせいなのだろうか。
汚れた手のひらをおしぼりで拭いながら、私は強くなり始めた日差しに目を細めた。
「あの、ありがとうございました」
30分後、なんと自転車に空気まで入れてくれた美少年は、「いえいえ」と、謙虚にも首を振った。
油で少し黒く汚れてしまった美少年の顔が勿体なくて申し訳なくて、鞄からハンカチを取りだそうとしたのだけれど、あいにくそんな清潔アイテムは持っていなかったので、コンビニで貰ったおしぼりの袋を差し出した。
「えっ、と……」と美少年。言葉に詰まっているようで、差し出したおしぼりの袋と私の顔を交互に見ている。
「顔、拭いてください。あの、本当に、助かりました」
「っぷ……」
「え」
「っは、あははは!ちょ……、なんですかコンビニのおしぼりって……!ふ、ふふっ、ハンカチじゃないんですかっ!っはは!」
真面目に言ったつもりだったのに、あろうことか美少年は吹き出すとお腹を抱えて笑い始めた。
な、失礼な!
「は、ハンカチは持ってなかったんです!」
恥ずかしくて俯けば、視界に入った時計に顔が青くなった。
「わ!行かなきゃっ」
意外と笑い上戸だった美少年にぺこりと頭を下げてスタンドを外す。
そろそろ行かなければ二時間目にも間に合わなくなる。
「あ、あの、お名前はっ……」
いくら急ごうとも授業は逃げない。
自転車にまたがって振り返る。恩人の名前くらい分からなければ、お礼のしようもないではないか。
美少年はまだ可笑しいのか、小さく笑っていた。
「石凪萌太といいます。貴女のお名前は?」
「私、名字、名前、ですっ」
「では名前、気をつけて」
「あ、はい!行ってきます!」
思わずそう返せば後ろからまた笑い声が聞こえた。
けれど嫌ではなかった。
風にのっかって聞こえてきた美少年の「いってらっしゃい」に背中を押され、生まれ変わった自転車のペダルを力いっぱい漕いで、私は空を仰いだ。
ああ、いい天気だ。
明日も10分、早く起きるとしよう。
(その日から変わった私の通学路)
――――――――――――――あとがき
本当に遅くなってすいませんでした!弑歌さまの心の広さにマジで感謝です。
萌太自転車屋でバイトしてたこととかあったらいいなと思いました。
どうぞ貰ってやってください。
では、ありがとうございました。
弑歌さまへ捧げます。
2010 06 03 木
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