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そこには、戦場には似つかわしくない、見事な見事な桃の木が咲き誇っていた。
「・・・美しいな」
ため息のように吐き出したその言葉と、いと愛おしげにこぼした微笑に、傍らの配下がいぶかしげに首をかしげたのを、視界の隅で知る。
「劉備殿?」
いぶかしむ配下に、彼は少しばかり微笑みを深くする。
いぶかしむのもそのはずだ。
今か今かと戦の火蓋が切って落とされようとしているそのときに、誰が桃の美しさに心を預ける余裕があろうか。
ただ、彼にとっては思い入れがあっただけで。
「いや、趙雲。美しい桃の木だと思ってな。ふと、雲長と翼徳と、兄弟の契りを交わしたことを思い出したのだ」
「ああ、なるほど。・・・確か、仙が住まうという話もある木だったかと」
「そうか、それでは美しいわけだ。・・・浅ましいかな、血に汚れた我が身さえ、清めてくれるかのような美しさだ」
劉備に釣られて、趙雲が桃を見上げる。
あるいは、そのときの、劉備の表情を見ないように慮ったのかもしれなかった。
『ありがとう存じます、劉備様。あなたの優しいお心を、少しでもお慰めできたのであれば幸いです』
不意に、やさしげなる声が響き渡る。
背後から聞こえたその声に、劉備は剣を構えなおし、趙雲は鋭い誰何の声をあげた。
「誰だ!もしや、もうここまで敵が・・・!?」
『あら・・・お人違いでしたでしょうか。そのやさしげな面持ち、まとわれる気、きっと仁の人と名高い劉元徳様かと思ったのですが・・・』
やさしげなるその声の主は、女人だった。
困ったように小首をかしげ、ゆれる髪は薄い薄紅色で、微笑をにじませた瞳は髪よりもなお深く濃い薄紅。
淡色に彩られしそのかんばせは、仙女のように美しく、まるで世界中の宝玉や光をかき集めて作ったような、この世のものではないかのような美しさだった。
「姫様、名乗られませんと。驚かれておいでのようです」
桃色の髪の美女の一歩後ろには、すらりとした長身の若武者がたたずんでいた。
口元や顔の半分を覆う青葉色の襟巻きが目をひく。
豊かな黒髪はつややかで、涼やかな目元はまるで雷光のように印象的だった。
『ああ、そうでしたね。失礼をお許しください。私は花 麗華と申します』
す、と流れるように完璧な礼の形を作り、にこりと微笑んだ。
『そこの桃木に宿を取っております、仙女でございます』
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