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沈殿した汚物
3


「潮ちゃん、いいの?」


前の席の小守くんは、そう言って目を細めた。
潮が何を言おうとも、その表情で潮の真意を読み取ろうとするような鋭い目だった。ここ最近、小守くんと潮はたいそう仲良くなっていて、彼は観察眼が非常にあり、下手な隠し事はすぐに見抜かれるということがすぐにわかった。

たぶん、芸術を得意とする人は総じて「目」がいい。

真剣な顔をした小守くんを前にすると、丸裸にされるような感覚を覚える。心持ち背筋をピンっとさせながら、潮は笑顔をつくった。


「あたりまえだろ!」


体育祭は中止になるかもしれない。とても、とても楽しみにしていた。新しくはじまった学校生活で、新しく出会ったみんなと協力して、バカみたいに騒いで、全力で楽しんでみたかった。ちょっぴり、惜しいと思う。それでも、誰かが嫌な思いをする中で体育祭をしたいとは思わない。


同じ学校に通っていて、なぜ参加と不参加にわかれるのか。なぜ、六美は強制的に不参加なのか。この学校は、わからないことが多い。


「この学校がダメなんだと思う。六美はただの高校生だ。特別扱いしたらダメだ」

「天才はただの高校生? 四六は、たかだか一枚の絵で大金を稼ぐ男だよ」


思い浮かぶのは、六美の寝室だった。作品が所狭しと並んでいた。尋常の数ではなかった。似たような作品がいくつもあって、何かを掴もうともがいているような印象を受けた。


「まずは六美を天才というのをやめないといけないと思う。自分たちと六美との間に壁をつくって、安心してるようじゃ俺たちはダメだ。それに、たかだか一枚というけれど、たかだかじゃない。六美だって正解がわからない中、試行錯誤して、何度も試して、いろんなものを犠牲にしながら描いてる。一枚に、相応の命を削ってる」

「ふふふ、そうかもしれないね。それでも、同じだけ命を削っても四六になれる奴がいないから、
僕らは天才と言って壁をつくるんだよ。芸術のベクトルが違う潮ちゃんにはたぶんわからないよ、この濁ってドロドロしていて、掻きむしって吐き出したくなるようなクソみたいな感情は」


そうだと思う。

潮も、同じことを目指す立場なら、今のようにはいられなかったと思う。潮は潮の誇れる場所で、ある程度できるという確信があるからこそ、今こうして立っていられる。同じ土俵で、この土台がぐらぐら崩されるようなら、また違った答えに行き着いたのだろう。

小守くんは、ずっと冷静だ。汚い言葉を吐きながらも、いつもと変わらず涼しい顔をしている。


「羨ましい、憧れる、蹴落としたい、応援したい、誰かを見下して安心したい……色々な感情が沈澱して、友だちなのか敵なのかなんなのかもわからないんだ。たぶん、芸術特待生はどいつもこいつも似たような感情だよ」

「でも協力してくれてる」

「そうだよ、四六を普通の高校生にまで堕とせたら、僕らは心の底から嬉しいんだよ。だから僕らは協力するよ。でも、信じない方がいいよ。僕らはどうやっても四六と純粋なお友だちにはなれない」


人間は一つの感情だけを抱かない。


「ありがとう、潮ちゃん。この計画を考えてくれて。誘ってくれて」


潮は小守くんを信じる。小守くんだけではなく、協力してくれる人を全員信じる。妬み嫉みの中に、きちんと心配や友情があるからだ。

そう思って、じっと小守くんを見た。言葉がなくても自分の思いは通じるはずだ。むしろ言葉として形を与えない分、純粋な思いが伝わる。

小守くんはしばらく潮の表情をじっと見たあと、にやりと笑った。たぶん伝わった。


「ねえ、潮ちゃん、契約の件、忘れてないよね」


潮はギクリとした。

昨日の会長命令を実行し、今日はみんな律儀に手分けして問題を起こしまくっている。今ごろ会長はご機嫌でクラスにいるだろうが、その分いろいろな人が犠牲になった。

副会長は自分が丹精込めて育てた花壇の花を泣きながら全部切り落とし、何者かの犯行に違いないと風紀委員会に訴え、騒ぎまくった。会計は今も制服を鎖骨が見えるほど開け、流し目やウインク、ひいてはハグなどの過剰サービスし続け、自分の魅力を最大限に利用して学園の混乱を誘発しているらしい。

潮は今日、小守くんと委員長に協力を頼んで、委員長が親しい不良グループに小守くんの同人誌をちょっと紛らわしくなるように渡し、騒ぎになるように仕組んだ。

うまくいったようだが、今回は不良の人たちに悪いことをしたな、と潮は反省している。強姦なんて大それた事実はないので、ちょっと叱られる程度だと思うが……。少し話した感じからして、髪の毛の色はやんちゃしていたが、気のいい人たちだった。


「潮ちゃん、僕に言ったよね。今回手伝ってくれたら、吉武くんと薫くんで同人誌つくって良いって。エロエロのやつ。潮ちゃんと生徒会のメンバーで総受けもやって良いって言ったよね。潮ちゃんがド淫乱のやつ」


たしかに、言ったのだ。たいがいのL組の芸術特待生はノリノリで参加してくれているが、中には小守くんのように交換条件を出してくる生徒もいた。


「僕、前から描きたくて、でも生ものだからずっと我慢してたんだぁ。あ、もちろんおいそれと販売しないし、同士の中で回し読んでちょっと妄想膨らませるだけだから。描き終わったら吉武くんや潮がちゃんにもあげるね」

「お、おう……」


正直言って、いらない。


「僕、淫乱受けが好きなんだけど、最後は固定のカップルになってほしいんだぁ。潮ちゃん誰か希望ある?」


言ってることの半分ぐらいしか理解できていないので、なにを聞かれているのかよくわからなかった。


「えーと……?」

「つまり、仲良くなりたい子とかいない?って話だよ! フィクションの中だけど仲良くしてあげるよ!」


ぱっと思い浮かんだのは、ぶかぶかのカーディガンを着た、小さな姿だった。あまり笑ってくれない人。こちらをじっと見てくる。人に干渉されず、人に干渉しない、たったひとりで生きているような、さびしい、美しい人。

潮は、村崎ゆうとと、仲良くなりたい。


「だ、誰でもいいんだよな……?」

「誰でもいいよ!」

「じゃ、じゃあ、ゆ、ゆ、ゆうと……」


最後は尻すぼみになって、聞こえるかどうか怪しい声量になってしまった。なんだか悪いことをしているようで、罰が悪い。


「ゆうと……? ゆうと、ゆうと、あっ、もしかして会長のこと?」


そういえば会長と同じ名前だった、すっかり忘れていた、と潮は焦った。


「い、いや! 村崎ゆうと! 大きめのカーディガン着てる、地味な方の!」


潮の訴えを聞いて、小守くんはびっくりした顔をしたが、次の瞬間には邪悪な笑顔を浮かべていた。


「潮ちゃん、いい趣味してるね! 任せてよ! 淫乱総受けからはじまって、最後に全員フッて攻めに転身! こんなの誰も予想してないよ、最高! 村崎くんと極上のラブラブセックス描いてみせるね!」


いいもの描けそうだよありがとう!と小守くんが握手を求めてきたので潮は反射的に握り返した。

何を言っているのかよくわからなかったが、なんだかとんでもないことをしてしまったような気がしてならなかった。






会長は久しぶりに自分のクラスで授業を受けられて満足していた。小姑のようにグチグチ文句をたれる風紀委員長碓氷も、クラスにいなくてとても平和だ。物言いたげな視線はあちらこちらから寄越されるが、視線程度では会長は気にも留めない。

昔から注目されることが多かった。恵まれた容姿に家柄で、注目されないことの方が少なかった。煩わしいはずの視線は、会長にとってはいつものことだ。

気分良く絵具を塗る。今は美術の授業で、テーマは「未来」だ。迷いながら、絵の具を重ねる。自分の未来、とは。


「山路くん、君の未来はたくさんものが詰まっていてうるさいね」


美術の権野先生が、優しい顔つきで机の上の作品を覗き込んでいた。いつも言葉がキツくてギョッとするが、だいたいの場合は批判を意図していない。痩せていて頼りないシルエットのくせに、ギラギラ強い瞳を持っている。

権野春月先生は、生徒会会計権野秋風の遠縁の親戚で、秋風の思い人だ。



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