沈殿した汚物
2
村崎は久しぶりに学校に来て、なんとも言えぬ違和感を感じていた。なにかが変わっている様子はないのだが、人がなんとなくピリピリしていて、みんなどこか不満気で、どこにいても空気が悪い。それに成海がおかしいほど離れない。成海が近くにいるということは、なにか厄介ごとが起こっているということだ。
そばを箸でつつきながら、ちらりと成海を見上げた。成海はカツを口に含みながら、「ん?」と村崎の視線に答えた。
「なんか、いつもより、視線が痛い」
村崎がらしくもなく、少々居心地が悪そうにしている。
変に鋭いところがあるのだ。村崎が感じているように、今、学園はおかしい。生徒会が大河内潮という人物に夢中になっているせいで、仕事を放棄し始めたのだ。
事の発覚は3日前に遡る。体育祭のプログラムが全校生徒になかなか周知されず、おかしいと思った風紀委員会が調査に乗り出した。
その結果、生徒会室は潮とお茶会をするだけの場に成り代わっていたことが判明した。曰く、役員の各机には書類が溜まっている中、生徒会の面々は潮のご機嫌とりに忙しがしそうだった、と。
後日、新聞部がそのようなスクープが取り上げ、急遽号外をつくって学園中にばらまいた。
体育祭一つにしても企画、運営や予算、配布プリントの作成、来賓の方々への連絡までもが生徒会の仕事である。その仕事内容は多岐にわたり、もはや一介の学生の成せるレベルではないが、それこそが名門桜ノ宮学園の特徴だ。国会議員や官僚、財閥、各界の重役となることが多いこの由緒正しいお坊っちゃま校で、責任が付随する仕事を負わせ、将来の練習をさせているのだ。
そんな生徒会が仕事をしなくなれば、たちまち学園が立ち行かなくなる。目前にせまった体育祭のプログラムも未だ決まっていない。
学園は前代未聞の状態に混乱している。が、それを村崎に説明するのは成海の望むところではない。村崎にはそういうことは気にせず、自由でいてほしいのだ。自分とは違って。
「うーん、気のせい、だよ」
そう言って成海がにっこり笑うと、「うさんくさ」と村崎に足を踏まれた。
「いたっ」
それ以上問い詰めてくることなく、村崎は再び蕎麦に向き直った。村崎は麺類が好きだ。たまにはまともに栄養のあるものを食べた方がよいと、その小さな体を見て成海は思う。
成海が辺りを見渡すと、何人かと目があって、さっとそらされた。敵意のある目だった。
不安と不満が今の学園ではどうしようもなく蔓延している。生徒会の面々が潮一人に夢中になっているだけではなく、親衛隊を邪険に扱い始めたのだ。その不満の行き先が、渦中の生徒会や潮ならまだいい。成海には関係がない。しかし、憧れの生徒会の皆様はもちろん制裁の対象ではなく、また潮もターゲットになり得ない。なぜなら、潮は四郎ヶ原の新たなお気に入りだと噂されるからだ。
そこで成海は、自分という人気者と仲良くしていて、なおかつ四郎ヶ原の寵愛が薄れたと噂される、直接関係がないはずの「村崎」が不満のはけ口になるのではないかと危惧している。
「イチ先輩に連絡しないと……」
学園全体が敵となるなら、成海ひとりでは対処できない。
「なんか言ったか?」
村崎は蕎麦を食べることに飽きてきたのか、箸でつついているだけで一向に食べる気配がない。
「なんでもないよ」と、笑ったが、村崎には不審げな目を向けられた。
「それより、蕎麦ぐらいは全部食べた方がいいよ」
「顎が疲れた」
「大きくなれないよ」
「それもそうか……」
そう言って、やる気なさげに蕎麦を口に運ぶ。右回りのつむじ。
成海が思い出すのは、青白い肌。見つけたとき、死んでいるのだと思った。その後運び込まれた病院で、眠っている村崎に付き添いながら、何度もこのまま死ぬのではないかと思った。医者には何度も心配はないと言われたが、血の気を失った顔色を見るととてもそんな風には思えなかった。
成海のはじめての友だちだった。村崎の隣だと、息ができた。成海の見た目に関心がなく、何でも人並み以上にできる成海に嫉妬せず、成海に理想を押しつけてこず、余計な詮索をしてこない村崎。
人の命は簡単に消えることを知った。自分にとってかけがえのない存在が、人にとったらそうでもないことを知った。なら、大切な存在は、自分の手で守らなくてはいけないと思った。
◇
「風紀委員長!」
桜ノ宮学園の映えある風紀委員長、碓氷与助(うすいよすけ)は頭を抱えていた。さっきから頭の痛い報告ばかりが届いている。
「今度はなんだ!」
「強姦事件が……」
今日だけで強姦未遂・急患の多発・イタズラetc.……とにかく事件の報告が多すぎる。ズキズキと痛む頭に手を当てながら、碓氷は委員長の椅子から立ち上がった。ついさっき戻ってきたばかりだというのにどうなっているのだ。今日はまだ一度も自分の教室で授業を受けていない。
「場所は!」
「視聴覚室だそうです」
碓氷のあとを小走りでついてきた今年の新入りは、そのまま通報内容の報告を続けた。1年生の風紀委員なのだが、仕事ができるので碓氷は気に入っている。
「目撃者は複数で、2年の不良集団が興奮状態で1年を取り囲んで、『女の代わり』だの『しゃーなし』だの『全員でまわす』だの大声で騒ぎながら連れて行ったと報告がありました」
「現場を目撃したわけではないのだな?」
「どれも憶測にすぎませんが、不良集団のテンションがあまりに尋常ではなく、強姦事件ではないかと不安視する声が多かったです」
「それで、被害者は誰だ?」
「それが……小守くんです」
「ん?」
「1年L組、芸術部門の特待生で入ったものの、最近は専らオタク活動に精を出していて、去年の文化祭では18禁はダメでもせめて15禁は許してくれと何度も問題を起こした、主に二次創作というジャンルの漫画を描いている生徒です」
「そいつは……メンタルがだいぶ強そうだが……」
「暴力に泣き寝入りするタイプでも、脅しに屈するタイプでもない、自分の欲望にだけ忠実なタイプです。ちなみに、顔はド普通です」
「……」
もう、L組という時点で怪しいのだ。朝からずっと、このような奇妙な通報が続いている。間違いだとわかっていながらも、こうして確認作業と事後処理に追われ、1日が潰されている。
碓氷与助にはこの問題を早く解決して、やらねばならないことがある。犬猿の仲だと噂される生徒会長、山路悠人にしかと物申すことだ。伝統ある桜ノ宮学園の歴史と伝統を汚した件について、詳しく追求しなければならない。
ギリリと歯を噛みしめる。
一目置いていたのだ。その圧倒的な美しい容姿に、淡々と仕事をこなす態度を。少々言動はおかしいが、伸ばされた背筋がその気高さを表しているようだった。長い睫毛を伏せ、静かに書類を読む姿を、ずっと見ていたいと思っていたのだ。なのに、ーーーー
視聴覚室の扉をやや大げさに音を立てて開き、勢いよく乗り込んだ。
「風紀委員長、碓氷与助だ! 通報があった、動くな」
慌てふためく色とりどりの頭たち。桜ノ宮学園ではいたく少数派の不良グループだ。
被害者とされる小守という生徒はぱっと見渡す限りはいない。椅子があるのになぜか全員床に座り、なにかを手に持っている。それを隠すそぶりを見せたので、取り上げた。
「お前たち、ここで、なにを……ッ!」
言いかけて、碓氷与助は二の句が継げなかった。学生たちがよくやる、ホッチキスで止めただけの手作りの雑誌だ。ただ、内容が……。
「ふ、風紀委員長、こ、これは、その……!」
しどろもどろ言い訳をする者から、赤くなった顔を隠す者、逃げようとする者まで反応はまちまちだった。逃げようとした者は、できる1年生である風紀委員が即座に取り押さえていた。
顔を赤らめうっとりした少年に四方八方から液体が飛び散っているシーンをそっと閉じて、表紙を確認した。『3億円で甘美なアラビアンナイト〜奴隷美少年がイケメン3人兄弟のいけない玩具に〜』作者はやおやおKOMORIと書かれている。
「…………」
「こ、これには深いわけが! 風紀委員長! そんな軽蔑した目で見ないで!」
「俺たち、青春をこんな隔離された場所で過ごしてるだろ?! エロいことにも興味ざあるんだよ! でも手に入らないし! もう切羽詰まって仕方なく!」
「そうだそうだ! 俺たちは女の子に触りたいんだ! もう顔が可愛ければ男でも良い……ってなるだろ?!」
「俺たちなんも悪いことしてないし! 別にここで誰かにちょっかいかけたわけでもないし、全員下半身も出したりしてないし!」
「ただ、ちょっと、回し読みして、ドキドキしてただけで、こんなの誰にも迷惑かけてないだろ!」
もう、黙れ。そう思ったら、どうやら口に出ていたらしい。辺りが静まり返った。
「確認するが、ここに、小守という生徒はいないんだな?」
赤髪の生徒がピシッと手を挙げ、体を強張らせながらみんなの代表として答えてくれた。
「は、はい! 授業が始まるからとか言って戻りました!」
「そうか。それと、確かにお前たちは誰にも迷惑をかけていないが、学校にこのような内容のものを持ってくること、授業をサボっていることは十分に問題と言える」
色とりどりの頭がうなだれた。
碓氷与助は分かっている。この桜ノ宮学園にはバカは多いが、本当に悪い奴はほとんどいない。こうして通報が1日に数件も起こることがどれだけ異常なことか。
「よって、お前たちは第2運動場の雑草を1週間以内に全て抜き切り、終わったら風紀室まで報告に来いること! そしてこれは没収する! すべて出せ!」
非常に不満そうな声が視聴覚室で響き渡った。
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