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沈殿した汚物
13


ユニットバスの中で、排水溝に流れていくワカメやら豆腐やらを見ながら潮は「なんだかなぁ……」と思っていた。

この学園で潮が1番仲がいいのは四郎ヶ原である。潮と四郎ヶ原がこんなに親しくなったのは彼がたまたま同室者であったからだ。しかし、きっかけはどうであれ、とうに潮は四郎ヶ原本体に魅力を感じている。

始めて会った時から四郎ヶ原はびくびくしているくせに妙に図太く、それでいて潮と一緒になって騒いでくれるような面も持ち合わせていた。派手な特徴はないにしても、四郎ヶ原と一緒にいて苦になることは一度だってなかった。

ついさっき委員長に話した時は確かに「六美を特別扱いするな」と思っていたし、委員長たちの主張通り「六美は才能を持っている」とも十分に理解しているつもりだったけれど……。

潮はなにが正しくて自分がどう感じているのか、もう一度よく考えなくてはならないと思った。







「腹減ったあぁー……」


四郎ヶ原がトイレからずるずると這い出てきた。今度は腹が減りすぎてまともに動けないらしい。

トイレに無事に送り届けてから一足先に戻ってきていた吉武は、床に胡座をかいている。その隣にはいつの間に来ていたのか薫が行儀よく正座をしていた。そんな2人の前には湯気たったご飯の乗ったトレーが置かれている。ここに床へ食べ物を置くなと叱る者はいない。

鼻をぴくぴく動かし、よだれを垂らしながら四郎ヶ原が四つん這いで向かってきた。彼の腹の虫がすさまじい音をたてて空腹を訴えている。

オレの? なんて確認するヒマもなく四郎ヶ原はご飯に飛びついた。

四郎ヶ原六美は時たま寝食を忘れ、制作に没頭することがある。休息をきちんと取った方が良いアイディアは浮かぶし体も素早く正確に動くのだが。その悪癖を本人も重々承知しているにも関わらず、それでもどうしても止められない時があるのが四郎ヶ原六美という人間だ。

止めてほしいと、四郎ヶ原は周りの人間に頼む。より良い作品のためにこのクセは邪魔になるだけだと創作活動については聡明な彼は知っているのだ。

四郎ヶ原が無心で必死にご飯をかき込んでいる横で、ぷくく、と会計がご飯を指差した。


「それにしてもすっごい組み合わせだね。消化にいいものを揃えたの? お粥と梅に、お味噌汁。あとはゼリーと杏仁豆腐、プリン、ヨーグルトって。これって薫クン? それとも吉武クンのセンス?」

「うるせえ」

「吉武クンが選んだんだ」

「お前もう出てけよ! ここに用事ないだろ!」


愉快犯の会計的には、そうやって怒り狂う吉武を見るのは実に面白い。

四郎ヶ原は高等部からは芸術特待生ではあるが、べつに美術部に所属しているわけではない。よって、会計と四郎ヶ原は今までほとんどと言っていいほど関わりを持ったことはなかった。

なので、飢えた獣のように一心不乱にご飯を掻き込み、ようやく腹の虫が落ち着いてきたところでやっとそのキラキラした存在に気がついた四郎ヶ原は心底驚いた。味噌汁が器官に入ってどうにもこうにも咳が止めらない。基本、小心者である四郎ヶ原にとっては生徒会などお近づきたくない集団だ。

むせる四郎ヶ原の背を呆れ顔の吉武がさすってやった。なんだかあまりにおろおろするので周りにいる方が可哀想になってくる。


「まじお前帰れ。迷惑だ」


そして小心者の四郎ヶ原とは打って変わって吉武はそれはもう呆れるほど物怖じしない。仮にも先輩相手に敬語も使わないのだから、怖いもの知らずというよりどちらかと言うと非常識なのであろう。

そんな吉武がどれだけきっぱり言い切っても、会計は薄く笑うだけで出て行く気配はなかった。吉武が怪訝そうに片眉を跳ね上げた。


「本当に、なにしに来たんだよ。権野派に取り込むにしてもこいつ秋風系統じゃないだろ」

「四郎ヶ原は春月(はるつき)系統にもいらないよーぉ?」


一拍置いてから真面目な顔で、権野一族は四郎ヶ原六美に沈黙する。と断言した。


「はあ? じゃあなんでここにいるんだよ」

「権野一族に四郎ヶ原はいらない。でも、俺は村崎ゆうとはほしい」


ぴくりと四郎ヶ原が会計の目の端で動いた。


「は、村崎?」


吉武の口から間抜けな疑問の声が上がると同時に四郎ヶ原がうつむいた。

村崎ゆうとの好きな科目は国語、得意な科目は美術である。そのことを誰よりも知ってるのは、小学生の時に賞争いをしていた四郎ヶ原であった。


「昨日ねぇ、村崎くんが俺の部屋に泊まったよ」


四郎ヶ原は顔を上げない。

朝、感謝を述べる置き手紙があって、煙のように消えてしまったことは言わなかった。


突き抜ける青色の空、鬱蒼と生い茂る草原の中で、純白の馬が飛ぶように駆けていた。初等部2年生で初めて四郎ヶ原と村崎は同じクラスになった。図工の時間、四郎ヶ原はその時に村崎が描いた絵を忘れられずにいる。

スーホの白い馬。
四郎ヶ原は馬頭琴を弾くスーホを描いた。

四郎ヶ原の描いたスーホの複雑な表情は2年生が手がけたにしてはあまりに見事なもので、彼はその当時からすでに天才の頭角を見せ始めていた。一方村崎の馬は関節がおかしかったり顔が歪んでいたりと本物の馬とは程遠い代物であった。それを見た当時の四郎ヶ原は、下手くそだという感想を抱いた。

しかし、市の出展に貼り出され、県の出展までいき、そしてそこで最優秀賞をとったのは四郎ヶ原のスーホではなく村崎の白い馬であったのだ。最優秀賞の賞状を手にした村崎。優秀賞の賞状を手に持つ自分。

大人に才能があると褒められ、今はまだ子どもだから一部の絵心のある人間には勝てないにしても、大多数の大人には勝てると思っていた。ましてや同じ年の子どもなんて。

その日、四郎ヶ原は衝撃を受けた。美しい村崎。青色の瞳の村崎。美貌の母を持つ村崎。のびのびと何にも囚われることなく絵の具を塗る村崎。賞をとっても、あまり喜んだ顔を見せない村崎。自分を見ない村崎。その異国的で綺麗で冷たくまっすぐな横顔。四郎ヶ原の目に、村崎ゆうとはどうしようもなく「特別」に写った。

その日、四郎ヶ原は初めて誰かに嫉妬した。






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