沈殿した汚物
10
ノリと勢いで廊下に出た潮は、誰からも答えを聞いていないことに気がついて1人愕然としていた。いったいどこに行けばいいのだろう……。とりあえず教室の前にずっと立っているのはおかしいーーーーというか格好が悪いので、当てもなく彷徨い始めることにした。
思えば、この学園の広さに始めは驚いていたなあ、とつい最近のことながらしみじみと懐かしく感じる。なんとなく毎日が楽しく、探検することもなく過ごしてきたが、今のこの状況はこの学園を知る良い機会になるのではないだろうか。
もちろん、四郎ヶ原を見つけることが1番の目的ではある。しかしながらこうして校内散策ができるということは素直に嬉しい。ちょっとわくわくしてきた。
桜も散り、ここ数日で気温もどんどん上がってきている。ちょうど今は梅雨に入る前の過ごしやすい気候だ。散歩には持ってこいの季節である。
何気無く覗き見た階下に広がる中庭の芝居が青々として随分気持ち良さそうで、潮は吸い寄せられるように階段を下りていた。
階段の中腹を曲がった所で金髪が目に入り、直後潮の頭に温かいものがぶっかかってきた。髪の間から無数の筋道が大量に垂れてきて、潮はびっくりして声もなくそのままその場に尻餅をついた。ワカメが頬っぺたにまで垂れてきて、豆腐が肩を汚した。
「てめェどこに目つけてんだよ死ね!」
そうやって怒り狂っているのは何時ぞやの金髪の儚げ美人、吉武だ。青白い肌は見る者に病弱を思わせるのだが本人はそんなことはなんのその、口汚く潮を罵っている。
吉武は潮の頭に乗っかっていたお椀を謝りもせずにとって、床に落ちたトレーの上に乗せた。ぶつぶつ文句を言いながらも手早く周辺に散らばった食べ物を片付けている。
「吉武」
銀髪の、身体つきのがっちりした男が吉武の後ろからのっそりと現れた。周りから吉武の相棒という扱いを受けている薫だ。この学園では吉武と薫というと悪名高い厄介コンビで名が通っている。
振り返った吉武は「こいつのせいでこうなった」と潮を親指で指した後舌打ちした。ものすごく感じが悪い。
「な、なんだよ俺が悪いのか!?」
「そうだよ」
「おまえが勝手にぶつかってきて!」
「じゃあ、僕が悪いの?」
吉武は金色の髪の毛をさらさら頬に流した姿で潮を見つめてきた。吉武は左右の髪の毛が少し長い。病弱を思わせる上品な雰囲気を持ちながらもうんとは言わせぬ高圧的なオーラを放っている。
う……と潮は言い淀んだ。一言で表すなら怖い。
薫は踏ん反り返っている吉武と頭から味噌汁を垂れ流す潮をしばし見比べた。食器類と食べ物はそこら辺に散らばってしまっている。とてもじゃないが食べられる状態ではない。
大きな身体で吉武の近くに来た薫は、至近距離にいる潮にすら聞こえない声で吉武にぼそぼそ何かを喋ったようだった。吉武が大きく頷いている。
吉武がこちらに目を向けた。
「おい、まりも」
その不名誉極まりない呼び方に潮も、少々むっとした。
「大河内潮!」
「とりあえずそのままじゃなんだから行くぞ」
「??」
「早く立て」
急かされるままに立ち上がったら吉武はすぐさま方向転換をしてスタスタ先を行ってしまった。なんとなくその儚げな見た目から低身長を予想してしまいがちだが、こうして立ち上がると潮と大して変わりがない。がっしりとして大柄の薫といつも一緒にいるから無駄に華奢で低身長であるという印象を他者に与えてしまっているのだろう。
こぼして放ったらかしになっている食べ物たちが気になって潮が振り向くと、銀髪がその場にとどまって片付けをしているのが目に入った。
安心して、異常にハイペースに進んでいく吉武の背中を小走りで追いかけた。
「お前、L組だろ?」
スピードは一切緩めずに吉武が背中越しに聞いてきた。そうだ、と答えた。普段ならもっとフレンドリーに接するが、般若のような勢いで四郎ヶ原に迫っていたのが記憶に新しいので、潮としては吉武はなんとなく取っ付きにくい存在だ。というか、潮の被害妄想でなければ吉武が潮を嫌っているような気がする。
「あいつが来なくなって何日だ?」
「あいつ?」
「四郎ヶ原」
「昨日は、来なかった」
「ああ、まだそんなにたってないのか」
「なあどこに行くんだ?」
「あいつ専用の第2美術室。人が住める設備になってるから風呂もある」
「六美はそこにいるのか!?」
「いる」
思わず手に入れた朗報に喜びたい潮だったが、吉武の声があまりに冷たく、しかも背中から不機嫌なオーラ大量放出されているので大人しく黙ることにした。
渡り廊下に差し掛かったところで、グラウンドがよく見えた。どこかのクラスが体育をしている。二人三脚の練習をしてたり騎馬を組んでいる生徒がいるあたり、体育祭の練習をしているらしい。
「あ、成海だ」
一際背が高くて、足が速い。タイムを競っているのか一斉に10人程度の生徒がグラウンドを走っているが、成海だけ速さが飛び抜けている。
「お前、よくこの遠さから見えるな」
「俺、視力が2.5あるから」
「どこのマサイ族だよ。だったらその明らか伊達な瓶底眼鏡を外せ」
「なななななんのこと!!??」
動揺する潮を横目に吉武はたぶん成海だと思われる先頭を走る生徒を見て、またしてもイライラが募った。舌打ちをしてからさっさとその場を離れる。その足音は荒い。
「嫌味なやつ」
小さな呟きは潮に届くことなく霧散した。
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