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沈殿した汚物
8


早朝、平屋建てのこじんまりとした家の前で村崎は空を見上げていた。突き抜けるように青く澄み渡っていて、雲一つない快晴だ。


昨夜、会計の部屋に泊まったが、彼は手を出してくるようなこともなく、村崎をお客さまとして丁寧にもてなしてくれた。冷水シャワーをあびて寒さに震える村崎のために直したばかりの暖房器具を引っ張りだしてきて、部屋を温めてくれた。

ベットをすすめられたが、ソファでいいと村崎は断った。例えベットで寝たとしても、なおかつ会計も同じベットだったとしても、手は出してはこなかったように思う。それぐらい、下心を感じさせなかった。

布団を貸してくれたが、眠ることはできなかった。ソファで布団に絡まり、村崎はただ天井の木目を見ていた。


そんな村崎の背後には今、桜が散った桜ノ宮学園が堂々とそびえ立っている。しかし、そのサイズは極々小さいものだ。

田畑に木々。学園から少々離れたここは本当に自然しかない。

平屋は村崎の太ももぐらいの高さの竹筒で囲われている。塀というには少々心許なくて、所有者の敷地面積を仕切るためだけに存在しているのだろう。小さな建物のわりに、この家の敷地面積はあまりに大きい。

腰の曲がった老人が、庭先で花をいじっているのを見つけて、村崎はつい叫んでいた。


「ばあちゃん!」


老人はパッと顔を上げて声のした方向に目をこらした。白髪混じりの髮ではあるが、顔にはまだまだ生命力に満ち溢れている。そんな老人は最近目が見えづらい。おかげでかわいがっている孫の姿をとらえることができなかった。


「ゆと、か?」


ばあちゃんの発音だと「ゆうと」ではなく「ゆと」と言っているように聞こえる。

うん。そう答える村崎の声は、学校にいる時よりも幾分大きい。ばあちゃんは若干耳も遠くなってきている。記憶の中の祖母に比べ、会うたびにどんどん年老いていくその姿は、村崎に死を連想させた。


「またこんな朝早くに、バスも通ってねえしさては歩いてきたな? よくもまああんな遠いところから」


そういいながらばあちゃんは縁側から家に入り、せかせかと動き始めた。まだまだ足の方は元気そうである。

村崎の父の、母親だ。


「入って、ゆっくりしな」


家の奥から声が聞こえた。慣れ親しんだばあちゃんの声に、村崎は突っ立ったまま目をつむった。しばらくしてから縁側に腰を下ろし、ぱたりと横になった。

青い空に、庭に植えられている散った一本桜。周辺の桜の中でも、ここの庭先の桜は一際大きい。村崎の祖父が、祖母の田舎にあったこの桜をいたく気に入ってわざわざ植え替えしたのだという。

コトッ

音の方向に意識を向けると、ばあちゃんが村崎の隣にあったかいお茶を置いてくれたようだった。お盆に乗った湯のみからは細い煙が立ち上っている。昨日、会計が入れてくれた紅茶を思い出した。思ったよりもいい人だった。お礼を書いた置き手紙をそろそろ読んでいる頃かもしれない。


お礼に笑うとばあちゃんも笑い返してくれた。

ばあちゃんはまた土いじりをするためにまたセッタを履いて外に出た。村崎はその様子を何とはなしに見つめた。

急激に変わりゆくものがここには何もない。ゆっくりゆっくり時間が進む。鳥が桜にとまって軽やかに鳴いていた。

ある程度片付くと、ばあちゃんは土いじりをやめて腰を伸ばした。ばあちゃんはその年齢を匂わせずはつらつとしていて、次の瞬間にはもう洗濯物にとりかかっていた。誰もいない広大な庭。

村崎はずいぶん長くぼーとしていた。一通りの用事を終えたばあちゃんが再び縁側に寄ってきたのはお昼近くだ。


「ゆと、ばあちゃんと暮らさんか?」


村崎はぱちりと一つ瞬きをした。ばあちゃんは新たに淹れたあったかいお茶をすすりながらまっすぐ庭を見つめていた。風と土の匂いが香ってきた。村崎とは似ていない日本人の顔だ。どちらかと言えば四郎ヶ原の方が似ている。


突然、学園を抜け出してきた孫を心配しているのだろう。全寮制の学校に対し、共に住むということは、暗に学校を辞めたらどうだと言っているのだ。ばあちゃんは、村崎が学校でいじめられていると思っているのかもしれない。

村崎は、昔から自分の気持ちを表さない子どもだった。ばあちゃんなりに、たくさん心配したのだろう。


「おれは、今の生活は嫌いじゃないよ」


すぐさま「なら、どうしてばあちゃんとこに来る?」と返ってきた。言葉が見つからず、口を噤んだ。

まだ小学生になる前の村崎に、桜ノ宮学園への進学を勧めてきたのは他でもないばあちゃんだ。年端もいかない村崎を自分の手が届かない所へ送り出すことを村崎の父親はひどく拒んだ。最終的には村崎自身が桜ノ宮学園に行くと言い張ったおかげで、こうして通っているが、あの人はいつだって村崎が学校を辞めると言い出すのを待っている。ばあちゃんは、父親から村崎を引き離してくれた。


「ゆとが学校を辞めたって、今度はばあちゃんが守ってやる。ここに住めばいい。あのバカ息子のとこなんか帰らなくていい」


真剣な顔をしている。そして静かだ。会ったこともない祖父がどういう感情でこの人を側に置いたのかなんとなく分かった気がした。

村崎は話さない。特に村崎自身については、いつも話さない。

ばあちゃんは少しの間一緒に座って、お茶を飲み干すとどこかへ消えていった。また忙しそうに動いているのだろう。

村崎はしばし、学校から離れ、空白の時を過ごす。








四郎ヶ原を見かけなくなって2日目になった。潮が昨日と同じように心配して部屋を開けても、も抜けの殻だった。もしかしたらまた村崎が寝ているかもしれないとムダにドキドキした分その疲労感は大きい。

朝、登校してすぐ教室を見渡したが四郎ヶ原の姿を見つけることは叶わなかった。肩を落としてしょんぼりする潮が珍しくて、L組生徒の注目の的になっている。

席に着いて早々突っ伏す潮に、前の席の小守くんは恐る恐る声をかけた。


「潮ちゃん、なにかあった?」


んあ? と気のない返事が普段の元気いっぱいの潮らしくない。

L組の生徒がわらわら集まってきてしきりに潮の体調の心配をし始めた。道で拾ったもの食べた? などその心配の仕方は極めてバカにしているようにしか聞こえないが、当人たちにとっては真剣らしい。


「むつみが、いない……」

「むつみ?」
「えー、だれ?」
「バカ! 四六だろ」
「そういやあいつ六美か」
「なに、四六のこと?」
「ていうか、四六がいないのいつものことじゃん」
「やっと本格的になったのかな」
「楽しみー」


わいわいガヤガヤ好き放題言って盛り上がっている。途中からなんの話をしていたのか忘れてしまったみたいで、昨日の晩御飯の話題が飛び交っていた。

その頭の悪さにうんざりしているのがL組の救世主、見た目不良の委員長だ。遠くで様子を見守っていた委員長はため息をついて席についた。





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あきゅろす。
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