沈殿した汚物
5
(あ……)
きれいかもしれない、と潮は村崎に見上げられて思った。
いつも重たそうな瞼が自分を見るためだけに開かれたのかと思うと腹の底から湧き上がってくるものがある。なんだろうこれは。
口が勝手にぽつりと漏らした。
「2人3脚、したい」
そんな潮に村崎は首を横に振った。やらない、と小降りの唇が動く。目が離せない。年齢よりもだいぶ幼い体のくせに、唇などのパーツパーツはなんとなく色気があるのはなんなのだ。
潮は急激に顔に熱が溜まっていくのを感じた。理由はちょっと自分でもよく分からない。「なんで今赤くなるんだよ!」と心中で全力で突っ込んだ潮だが、その顔から赤みが消えることはなかった。むしろ広がっていっているようで顔だけではなく耳まで赤くなった。
顔全体が発熱していることが自分でもありありと分かった。潮はとうとう耐えきれなくなって両手で顔を隠してその場でうずくまった。耳に両手を置いて赤くなったているだろう耳も隠す。
「え、突然なに」
村崎のびっくりした声が潮の頭上から聞こえてきた。
また近くでは「まじで……?」と話をふった元凶である担任が潮と村崎を見比べ、引きつった笑い声を出している。ハハ、ハハハ……と1人で遠い目だ。担任は成海の顔は怖くて見れなかった。昔からこういう時の勘には優れている。
(ああ、むくむく湧き出るこの感情はーーーーたぶん征服欲だ)
潮は膝に頭をすり付けながら必死に冷静になって考えた。
生きるのに支障をきたしそうなほどの彼の独特な空気は一緒にいて優越感を与えてくれるし、重そうな奥二重がきちんと持ち上がった瞬間なんかは快感だ。俺が動かした。彼は俺がいなくちゃ生きていけない。守らなくては。俺が、俺が……。
こんな汚い感情は知らない。潮は顔を隠しながら少しだけ泣いた。
◇
私立桜ノ宮学園では体育祭は5月に開催されるという風習がある。秋は秋で文化祭で盛り上がるので暑くない内にやってしまおうということだ。
そんな体育祭は、2日に渡る激戦を繰り広げる。1日目は球技が中心で2日目から本来の体育祭らしいリレーなどをするのだ。
そして勝敗は、各クラス1人か2人振り分けられたL組の運動バカをどう使うかによって大きく変わってくる。毎年彼らの働きには目を見張るものがある?
ちなみに「スポーツ特待生の参加は2日間で3回まで。専門競技には絶対に、絶対に参加しないこと!」
これが桜ノ宮学園体育祭での鉄則である。
村崎は三角座りをしながら成海の練習姿を見学していた。しかしその目は成海を追うことはなく、体育館全体を見ている。
体育祭1週間前になるとすべてのクラブの活動が停止する。放課後にクラスで体育祭の練習をするためだ。桜ノ宮学園は学校行事に本気でぶつかれる生徒を育てることを重視している。そんな体育祭まであと2週間。今日は各クラスにL組生が振り分けられたこともあり、今頃委員長を中心とした本気の作戦会議をしている頃だ。
成海は足が速いし、タッパもある。どんなスポーツだって器用にこなして見せるだろう。
ボールの跳ねる音と複数の足音が騒がしかった。
成海は一瞬だけ村崎を見た。小さな体を小さく折りたたんで、やたらコンパクトになっている。今日は異常なほど離れないなとは思っていたが放課後までついてきた。しかしいったい何を警戒しているのかは教えてくれない。
村崎の周りは静寂だ。村崎は自分だけの空気を纏っている。何者にも侵されない。その空気を少しだけ変えられる人物を成海は知っている。四郎ヶ原六美だ。四郎ヶ原と、きっと何かあったのだろう。
村崎と成海の目が合った。
成海は相変わらず1人だけあまり汗をかいてなくて、なんとなく爽やかだ。当の本人は体温調節がきちんとできなくて暑さに喘いでいるようだが。
「はあ、成海様は今日も麗しいね、村崎ゆうとくん」
いつの間に隣に来たのやら、小さな体を村崎同様にコンパクトに折りたたんでその人は三角座りをしていた。
村崎が先ほどバスケ部の人たちに「なにその腕! 細いよ、死ぬよ! これ食べて肉をつけて!」と言って大量にいただいたお菓子の山に彼は手を出していた。小さな手でぺりぺり棒付きキャンディーの包装を剥がしにかかっている。
「今日、成海様親衛隊員が100人を越したんだ」
剥がし終わった飴は村崎の口に押し付けられた。ミルク味だ。
成海のシュートが綺麗に入った。
「あ」
「スリーポイント……っ!」
一瞬の静寂の後、喝采がわいた。成海を小突いたり髪の毛をわしゃわしゃにかき混ぜたりと、チームメイトのは親しそうだ。
見た見た?!
興奮が冷めきれない様子で隣の彼が聞いてきたので口の中の飴を転がしながら村崎は頷いた。
隣の彼はイチ先輩。フルネームは風間一(かざま はじめ)。成海親衛隊の親衛隊長だ。
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