沈殿した汚物
4
「あ、成海!」
ニコニコしながら潮が村崎と成海の2人の空間に近づいてきた。両手でぶんぶん手を振りながら一直線に進んできたので机にぶつかっている。大いに列を乱しながらも、その元気は一向にしぼむ気配はない。
え、とクラスの好意的だった空気が一瞬で変わった。成海の親衛隊なんかは射殺さんばかりの目をしているし、誰に報告してるのやら携帯で猛スピードで文字を打っている者もいる。成海という人気者を間近で見れる分、このクラスには成海のファンが多い。
そんな生徒たちのザワザワした空気の中、担任は大いに慄いていた。あの極寒地帯によく行けるな! と言ってしまいたいが、そうするには成海の目があまりに怖すぎた。しかも取り繕ったような口元の微笑みが怖さ3割増しだ。
怖さが霞むぐらいには爽やかでイケメンな成海だが、如何せんそこに盲目するほど担任は青くない。
「成海は何に出るんだ? ていうか、このクラスだったんだな!」
「さあ、俺は言われたやつに出るよ」
「?」
なんか、それ、違う気がする。
数秒の沈黙の後、潮が成海を見つめながら言った。表情は変わらなかったが、成海の村崎の頭を押さえる手に力がこもった。
「ねえあの黒マリモ成海くんの知り合い!?」
「ちょっと親しげ!」
「なんで!?」
「僕らの成海くんがあんなホコリと!」
「成海くんが汚れる!」
「く、くやしいっ」
「え、おまえら、あれが親しげに見えるの……?」
ちなみに最後は担任のコメントだ。
んんん、と目を強くつむって潮が唸っていた。空を仰いでいる。そんな潮の得意技は外野の無視である。
「なんかさ、よく分かんないけど、成海も出たいのに出たらいいと思うぞ?」
「ーーーーー」
いたっ、という村崎の声で成海は我に返った。慌てて手をどける。どうやら知らぬ間に力加減を間違えていたらしい。成海は力が強い。吉武の謎の馬鹿力や運動をやめて数年たっている薫よりも強いのではとすら思っている。
「ごめん、むらさき」
「ん」
後頭部に手を当てながら顔を上げると予想以上に成海がオロオロしていたので、村崎は首を傾げた。「別に気にするほどじゃないけど」という村崎の声も聞こえていないようだ。
成海はどこか信じられない風に動揺していた。
「ごめん、ほんとにごめん」
「だからいいって」
「でも……俺、どうして」
その顔が普段ではあり得ないあまりに傷ついた顔をしていたので村崎はさらに驚いた。容姿を全面利用した微笑みで感情を誤魔化すのを得意としている成海らしくない。あー、こいつ泣きそうだなー、なんて思いながら村崎は成海の頬をつねってやった。親衛隊からの仕返しが怖いから誰もしないが、成海の頬はもちもちしていて実は気持ちがいいのだ。
「あ!」
声のした方に村崎が振り向いた。
「あ」
村崎も口をパカリと開けた。
「今朝の地味な奴!」
「朝から煩かった川くん」
「ゆうとこのクラスだったのか!」
「なんでこのクラスに?」
「運動会のチーム!」
「まあね」
「ていうか川くんってなんだよ!」
「そういえばなんでゆうと?」
「えっ、ゆうとだろ?!」
「名前なんだっけ?」
「大河内潮! 潮でいいからなっ」
「んー、名前で呼ばれ慣れてないから、なんか不思議」
「おまえら、そんな同時にばっか言ってて会話できてんの……?」
恐る恐る手を挙げ、皆の気持ちを代弁した勇者は担任だった。当人達はその指摘すらよく分からないようで、同じ方向に頭が傾いた。
「うん!」
「まあ」
これもまた同時に返事が返ってきた。
「なあなあなあなあ! ゆうとは何に出るんだ!?」
村崎と成海の前で潮はピョンピョン跳ねながら満面の笑みでいる。何がそんなに楽しいのかわけがわからない生物ではあるが、村崎もなんとなくつられて笑ってしまった。四郎ヶ原を始め、自分の感情に素直な人間を村崎は眩しくて憎めない。
にこやかな2人の顔を見た担任が「お前ら、2人3脚いいんじゃね?」とポツリともらした。
2人で顔を見合わせる。潮は満面の笑みだが村崎の顔は渋い。
「やろう!」
「身長差が」
「だめだよ」
よく通る淡々とした声だ。成海は村崎を真っ直ぐ見つめながら「だめだよ」と言い聞かせるように手を握った。
村崎は考えの読めない顔で数秒成海の顔をしかと目に入れ、「やらない」と潮を仰ぎ見た。
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