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沈殿した汚物
3


村崎のクラスの委員長が、俯いたまま教室に戻ってきた。担任とほとんどのクラスメイトが固唾を飲んで委員長の言葉を待っている。なにを早とちりしたか絶望の色を浮かべる生徒もいる始末だ。

現在7、時間目授業の真っ最中である。普段なら、L組の生徒はすでにクラブ活動に精を出している時間だ。ーーーーーただし、今日は例外である。

ふふふふふ、と珍しく委員長が声を出して笑いだした。彼は特別優秀ではないにしても真面目でのんびりしていて、最も平和とされる中間クラスの代表に相応しい人物である。ちょっと滅多に見ないその猟奇的な姿に担任が尻込みしながら「ど、どうだったんだ……?」とみんなの気持ちを代弁した。


「聞いて驚け! この、このッ拳で!」


委員長が力強く拳を天にかざした。


「今年は2人勝ちとったぞォォォ!!」


おおおおおおおおお!!!
とノリノリで雄叫びを上げてはいるが、この中間クラス、もともとそこまで行事に盛り上がるクラスではない。平和主義というかヤル気に欠けているというか、気弱で真面目でのんびりした生徒が多く集まっているせいでリーダーらしいリーダーがいないのだ。

中等から中間クラスだった成海からすれば、今年は異様な盛り上がりを見せていた。たぶんその理由は、と成海は視線をめぐらせた。

シャツのボタンをいささか外しすぎているスーツ姿の担任が、委員長とハイタッチをしてテンションマックスに騒いでいた。イケメンという言葉が似合う顔をくしゃくしゃにして笑っている。擦れた子どもよりも数倍子どもらしい。


「このクラスには成海もいるし、もうこれは勝ちに行くしかないなっ! 優勝狙うぞおまえらァっ!」

「「「おおおおおおお!」」」


担任は周りにいる生徒に誰彼構わずハグをしに行っては今にも飛び跳ねそうな勢いで全身でその喜びを表している。普段ならポッと顔を赤らめそうなそのシチュエーションにも、生徒たちは健全な顔で一緒に笑っている。ああいうまともな人間と触れ合うことはいいことなのだろう、と成海は村崎のつむじを見ながらそう思った。

ここは少々閉鎖的で、あまりに守られすぎている。桜ノ宮学園に対する成海の評価は「偏った価値観がはびこる世界」だ。

村崎のつむじは右回りだ。村崎は今日、片時も成海から離れなかった。トイレだってついてきた。今だって成海の前の席に座り、顔を伏せている。たぶん寝ているわけではない。席の持ち主、というかクラス全体がほとんど教室の前方に集まっているので村崎と成海の周りはガラガラだ。


「みんな静かに!」


ピタッと歓声が止んだ。担任なんかは1人の小柄な生徒を持ち上げたままの姿で静止し、真面目くさった顔で委員長の次の言葉を待っている。持ち上げられたままの生徒は戸惑っているようだが。


「ここに、その2人が来て下さっている! 盛大な拍手でお出迎えしよう!」


ワアアアア、とまた盛り上がるクラス。

あまりの拍手と大歓迎振りにびっくりしながら2人の生徒が順に入ってきた。1人はやたら体格のいい生徒で、強面ながらも笑顔は人懐こい。


「柔道部のーーーー」


それは成海の同室者の名前だった。

L組の約半数は、運動会を棄権する。残りの半数のほとんどが運動系の特待生であるため、勢力格差を引き起こさないために各クラスに分配されるのだ。しかし大体の場合は均等に分けきれず、毎年1人クラスと2人のクラスが現れる。

くじ引きで各クラス1人目を引き終わった後、2人目を引ける権利を得られるかどうかは各クラス代表の学級委員長のその拳次第だ。つまりジャンケン大会である。

1人目の後ろから、2人目が顔を出した。


「そして今年異例の転入試験を突破してきた、大河内潮くんである!」


クラス全体の拍手とテンションが佳境にまで達したところで、成海はとうとう舌打ちを抑えられなかった。

成海の空気がピリピリしだしたのを感じとってか「なるみ……?」と村崎が頭をもだげようとするので、成海はそっと押さえつけた。凶悪な面構えをしている自信がある。だって、何とはなしにこちらを向いたであろう担任がカッチンコッチンに固まって動けないでいるのだから。


「俺は大河内潮だ! 体育祭みんなで楽しんで勝つぞー! よろしくなっ!」


そのもじゃもじゃのかつら、地毛もろとも禿げてしまえ。と呪いをかけたくなるぐらいには成海は潮を嫌っている。


成海の頭にいつもチラついているのは村崎の青白くなった肌だ。唇は血の気を失って白っぽくなっていた。死んでいるのだと思った。手荒に扱われたらしく、唇は切れており、頬は紫色に腫れていた。きわめつけは首の手形だ。どれほどきつく締められれば、あのような手形ができるのだろう。どれほど苦しかったのだろう。

そんな村崎の横で、四郎ヶ原がスケッチブックにラフ画を描いていた。四郎ヶ原は隣で倒れている村崎なんか見てやいない。

ムッとするほど暑い夏だった。冷房もつけてない部屋で、四郎ヶ原は汗だくになっていた。異様な熱気だった。

あれを見たとき、何を感じたのかは細かいことは忘れたけれど、村崎は自分が守らなくてはならないのだと成海は思った。思ってしまった。それから、成海は過保護と揶揄されるほど村崎に優しい。

襲われたというのに案外ケロッとしている鈍い村崎や面の皮が厚い加害者である四郎ヶ原よりも、成海の方があの事件でよっぽど深く傷ついた。





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あきゅろす。
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