沈殿した汚物
2
「うんどーかいッッッ?!」
「うるさい!」
黒板の前に立つL組の理性こと見た目不良の委員長は潮に向けてチョークを投げつけた。残念ながら一番後ろの席に座る潮にピンポイントで当てられる技術もなく、近くの生徒にヒットしていたが潮にとってそんなことは瑣末ことだ。
「運動会があるの!?」
「だからさっきからあるって言ってんだろバカ!」
またしても委員長がチョークを振りかぶった。さっき当たった生徒は咄嗟に机の下に隠れたが、残念ながらまた違う生徒が犠牲になった。
被害もなく元気な潮がもう一度口を開きかけたところで一番始めに被害にあった少年が潮の頭を机に押さえつけた。ちなみに彼のおでこはチョークの残骸で汚れている。
「おまえっ、ガクシューしろよ!」
「ふがふがふがっ!」
あ、いいんちょ、すんませんどうぞどうぞ続けてください。と彼は潮の頭を押さえつけながら委員長にヘコヘコと頭を下げた。
青筋を収め、委員長も通常運行を始める。真っ青になりながら事の成り行きを守っていた担任がほっと息を吐いた。この1年で彼はきっと胃に穴が空くだろうと職員室でまことしやかに囁かれている。
「なあなあなあ、運動会って?」
興奮した潮が、未だに顔は机と仲良しこよしに引っ付かせられながら心持ちいつもより抑えられた声量で聞いてきた。抑えつけていたクラスメイトは、苦笑しながら頭をわし掴みにしていた手を離すと、逆にその手を握られた。あまりの迫力に体を引こうとしても手はがっちりと捕獲されている。
顔半分はもじゃもじゃの髪の毛とメガネで隠れているのに、どうして潮の感情はこんなにもストレートに伝わってくるのか。
「この時期に運動会あるのか!」
「あ、ああ、まあ2週間後だけどな……」
「おおお! てっきり秋かと!」
「秋は文化祭で忙しいからなあー、あと、まだ涼しい内にやっとくって感じらしい。おれは文化系だから運動会って言ってもあんまり興味ないけど」
「どうするっ、お前なに出る? 楽しいな!」
「聞けよ! だから興味ないって!」
今度はチョークが2本飛んできた。
周辺の席の生徒がこぞって机の下に隠れたおかげもあって見事当たったのは潮とおでこをチョークで汚したクラスメイトだった。クラスメイトは2度目もおでこにあたるというミラクルを起こし、潮は頬を白く汚した。
被害者も無事に決定したことだし、みんな何事もなかったかのよういそいそに机の下から這い出て再び席についた。L組はそもそもノリがいい。なにより四郎ヶ原が度々問題を起こしては吉武にしめられているので厄介事の対処には慣れている。
「六美は何に出るのかなあー?」
大人しく席に座った潮にキョトンとした表情が向けられた。いつもハァハァ言いながら表紙をカバーで隠した薄い本を読んでいる前の席の生徒である。振り返って、小首を傾げられた。
「潮ちゃん、たぶん四六は出ないと思うよ」
「え」
「ていうか、出させてもらえないと思う」
目を見開く潮に「潮ちゃんは出るの?」と聞いてきた。
「な、なんで! なんで六美は出ないの?」
「四六が怪我でもしたらどうするの」
「だって!」
「僕も出ないよ。ペンタブが持てなくなったらイヤだからね」
「っ、でも!」
「あのね、潮ちゃん」
周り見てみ、という言葉に従って首を動かした。半数ぐらいの生徒が委員長の話を聞かずに思い思いのことをしていた。ヘッドホンをつけて音楽を楽しんでいる生徒のもいれば真剣に紙に向き合っている生徒もいる。残りの半数は、テンションマックスで大いに盛り上がっているが。
「L組の約半数が芸術特待生、もう半数が運動特待生、そして少数の例外。この学園の特待を取るのって、倍率が半端なくて簡単なことじゃないの。運動の奴らは知らないけど、僕らはこれで将来食って行く気でいる。潮ちゃんだってそうでしょ。バレエで生きてくんでしょ」
「お、俺は……」
「僕は四六みたいな天才じゃないから、いつも怪我の心配をしてる。大したことない才能なんてなんの拍子でなくなっちゃうか分からないし、いつだって不安なんだよ。僕はこの小さな才能にすがってこれからを生きなきゃいけない」
なにか言おうと口を開いて、息を吐き出すだけで終わった。潮が言い返せることなんて何もなかった。
「……無神経だったかも、ごめん」
「潮ちゃんって良い子だね」
前の席の生徒は、潮のもじゃもじゃの頭をかき混ぜてもっとぐちゃぐちゃにしてきた。潮は、さっきまでの元気が目に見えて萎んでしまっている。これはこれで罪悪感わくな……、と前の席の生徒が頬をかいた。ちなみに名前は小守くんというのだが、未だに潮に名前を覚えてもらっていない。
「さっきのはただの愚痴だよ。あそこで楽譜を見てるあいつも、クレヨンを握ってるあいつも、だれが一番口笛上手いか争ってるあそこのバカ共も、みんな、もしかしたら本当は運動会に出たいのかもしれない」
その分潮ちゃんが思いっきり楽しんで。笑顔を向けてくる少年ーーもとい小守くんに、うまく頷けないまま潮は心にモヤモヤを残した。
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