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沈殿した汚物
10


朝の目覚めはいい方だ。潮は自分でも惚れ惚れするほど毎朝きっちり6時30分に目が覚める。

いつも通り6時間35分に設定してある目覚まし時計を鳴る前に止めた。ぐっと上に伸びる。今日もすっきりとした朝だ。晴れの日の朝は特に気分が良い。

ぴょんとベッドから飛び降り共同スペースに向かった。これもいつも通り、四郎ヶ原はまだ起きていない。四郎ヶ原は夜型らしく潮の就寝中に何やら活動している時はあっても、潮よりも先に目覚めていることはない。まあそれも、出会って数日しか経っていない間のことなのだが。

潮は床を真剣に睨みつけながら、慎重に足を運んだ。四郎ヶ原は1人部屋だったのをいいことにをたいへん怠惰に過ごしてきたようで、危険な物でいうと画鋲などが落ちている可能性がある。

身支度を済ませ、食パンにかじりついた。ニュースを聞き流しながらふと画面の左上の表示を見る。7時30分を過ぎていた。昨日、四郎ヶ原は慌ただしくこの時間に起きてきたはず。

首を傾げながらもイチゴジャムを大量に塗りたくった食パンを囓り続けていたが、40分をまわってきたところでソワソワし始めた。遅くなっているにしても物音一つしないのは流石におかしいのではないか。


「む、むつみー……?」


部屋の前に立って弱々しく呼びかけても返事はない。勝手に入っていいものかと逡巡して、イヤイヤと首を横に振った。四郎ヶ原は、パーソナルスペースを保つことを必要以上にうるさく言ってきた。何度も言い聞かせられた台詞はバカでも暗唱できる。つまり部屋に踏み込むのはルール違反だ。

でも、と時計を見上げた。8時10分までに学校に行くには、7時50分には寮を出なくてはいけない。桜ノ宮学園の敷地面積は非常にでかく、また山に作られているので寮から校舎までは所々上り坂だ。どう考えてもそろそろ起きなければマズイことになる。


「むつみー!」


今度は思い切ってドアを叩いた。

またもや返事はない。

もしかして病気なんじゃ……といらぬ心配まで顔を出してきた。一度そう思ったら疑いは消えなくて、どんどん不安になってくる。

あれだけ言われた「ぜっっったいに互いの部屋には勝手に入らないこと!」という台詞もポーンと頭から抜け落ち、潮は焦りながら四郎ヶ原の部屋のドアを開けた。


「むつーーーー」


さすがの潮も二の句が続かなかった。バカみたいに口を開けて立ち尽くす。

壁一面に、絵、絵、絵。壁が見えることを嫌うかのように絵が大量にかけられている。ここまでくると感心というより狂気を感じて肝が冷えた。

絵がよく分からない潮でも、四郎ヶ原が並々ではない常軌を逸した人物であることがこれを見て分かる。こんな中で寝ようするなんて正気の沙汰だとは思えない。普段のバカでお調子者で臆病な四郎ヶ原六美という認識を改めなければならないのかもしれない。

ハッとベッドの上を見るとこんもり膨れ上がった部分があった。頭まですっぽり被っていて、暑がりな潮には少々暑苦しく見えた。

誰もいるはずがないのに周りを警戒しながらおそるおそる四郎ヶ原の部屋に足を踏み入れた。なんだか悪いことをしている気分だ。間違いなく約束は破っているのだからもちろん褒められた行動ではないのだが。

キョロキョロ辺りを見渡す。よく分からないのもああるし花を描いているものも度々見かけるが、中でも横顔の人間が圧倒的な量を占めていた。しかも同一人物だと思われる。綺麗な鼻筋に、特徴はないながらも清潔感があって美しい人だと思った。


(あれ……)


珍しく真正面を向いた人を見つけた。こちらに顔を向けているのに、なぜか目を合わせてくれない。ちょっと不安になる。地味な顔だ。でもなんとなく引きつけらる。こっちを向いてくれないかなあ、と潮はその絵を見る角度を変えてみるも効果はなかった。

もう一度まじまじ絵を見た。誰かに似ている気がしないでもない。

いや、そんなことよりも、


「むつみ、朝だぞーっ! ……やっぱり体調悪いのか?」


こんもり膨らんだベッドから返事はない。受け答えもできないほど弱っているのではないかと悪い方へ悪い方へと想像が膨らんでいく。

潮は思い切って布団に手をかけた。


「!?」

「……さっきから、うるさい」

「だれっ!?」

「そっちこそだれ」


何度も瞼が落ちてくる。煩い音の発信源がうまく見えない。唐突に温もりが取られたことが鬱陶しくて潮の手から布団を取り返した。目覚めたばかりの村崎は今にも二度寝を始めそうな雰囲気だ。

じいいいい、とそんな村崎を潮が見つめる。


「ああああ!」


その大きな声に夢の世界に片足を突っ込んでいた村崎は大げさなほど驚いた。


「お前、成海と一緒にいた地味な奴!」

「本人を前に、よく地味とか言えるね」


淡々とした口調とは裏腹に村崎の心臓はまだドクドク忙しなく脈打っている。

村崎は平然を装いながら、まあその通りなんだけど、と顔の筋肉を緩めてみせた。眠気も吹っ飛んだし布団とはさよならをして起き上がった。

馴染みのない部屋だ。ゆるりと周囲を見渡して昨日を振り返った。そうすると1人部屋のはずの自分を朝から起こしにくる奴がいるあまりに謎な現実と結びついた。


そう、昨夜、会長に殴られた四郎ヶ原はとうとう起きなかった。村崎の力では四郎ヶ原の部屋まで運ぶこともできず、ましてやどこにいてもなにをしても目立つ会長に運んでもらうわけにもいかず、仕方なしに村崎の部屋での滞在を許した。しかし、目覚めた四郎ヶ原が再び襲ってこないとも限らない。村崎と会長は思案の末、四郎ヶ原は村崎の部屋に、村崎は四郎ヶ原の部屋に泊まることになった。鍵は四郎ヶ原のポケットから拝借した。

共同スペースへと続く扉に手をかけ、村崎は背後を伺う。そこでは潮が事態を飲み込めずに固まっていた。なんだか見たことのあるもじゃもじゃ頭だなあ、とぼーとしていると思い出した。確か会長に公衆の面前でキスされてゲロってた奴じゃなかったっけ。四郎ヶ原の新たなお気に入りだとかなんとか。


「ねえ、名前は?」


その呼びかけをきっかけに潮の動きがようやく再開した。分厚いメガネの奥の目が真正面から村崎をとらえてくるのが分かる。心地いい目だ。


「お、大河内潮!」

「大河内、ね。おれ忘れっぽいからまた聞くかもしれないけど、その時はよろしく」

「そっちは?!」

「村崎ゆうと」


潮って呼べよ、と続けようとしたけれど「大河内って、いちいち煩いな」って村崎が目元を細めて笑うから、潮はうまく息が吸えなかった。


「はじめまして」


返事は聞かずに洗面台へと向かう村崎の後ろ姿を潮は見つめた。不思議な空気感だ。そうだ、俺はこの人と友だちになりたいーーーー。






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