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沈殿した汚物
8


「ねえ、お前は俺を怒らせたいの?」


高い位置から高圧的に見下ろしてくる成海と目を合わせないようにしようと四郎ヶ原は必死だった。表情はいつも通り爽やかなくせに、成海の周りだけ氷点下に感じるのはなぜなのだろう。運動部がひしめく汗臭い体育館を寒いとすら思った。

ちなみに、成海は四郎ヶ原の中で怒らせてはいけない人No.1だ。


「成海って小さい方じゃなかったのか」


潮のがっかりした声に成海の眉がぴくりと動いた。黙れっ! という四郎ヶ原の心の叫びは非情にも潮には届かない。

成海が笑顔を潮に向けた。


「俺と一緒にいて、小さい、ってことは村崎のことかな?」


声もどことなく冷たい。


「大きめの黒のカーディガンを着ている、ちょっと地味な奴」

「ああ、村崎だね。で、君は村崎と友だちになりたい、と」

「うん!」


どんどん成海の周りの温度が下がっていく。なぜだか知らないが、成海は村崎が面倒事に巻き込まれるのを自分のこと以上に嫌がるのだ。吉武にもそういう傾向があるけれど成海ほど過保護ではない。


「なんで村崎なの」


成海が笑顔を引っ込めた。それを見て、真正面にいる四郎ヶ原だけではなく様子を伺っていたバスケ部の先輩や同級生たちも顔を青ざめさせた。これは大層ご立腹なさっておいでになるご様子だ……、と四郎ヶ原が後ずさる程度には成海は機嫌が悪いらしい。

しかし残念なことにこの大河内潮という人間、驚くほど空気が読めない。


「そういや、なんでだろ」


首を傾げた。その反応に成海が隠すことなく冷笑を浮かべた。珍しく顔に「知るか」と書かれている。

あの恵まれた体型に見下ろされ、しかもあんなふうに冷笑されて平気な潮の心臓が信じられない四郎ヶ原であった。毛が生えているどころではない。

潮が答えを探して考えこんでいる。あれほど凄まじい成海の冷笑も潮には届いていない。成海がそれをじっと見つめていた。答えを聞くつもりらしく、練習には戻ろうとしない。

潮は顔を上げ、にへっと笑った。


「なんとなく!」


数秒の沈黙の後、成海がへー、と気のない返事をした。


「村崎と友だちになるなら、俺ともなろうよ」


先ほどとは打って変わって成海は人好きのしそうな爽やかな笑顔を浮かべた。

そのセリフに最も驚いたのは潮ではなく四郎ヶ原だ。「え?」と思わず聞き返した四郎ヶ原は華麗に無視された。なんだか知らない内に和気あいあいと握手をして自己紹介までしている。「まてまてまて」と四郎ヶ原は心の中で叫んだ。


(おいおいおいおい、成海ってもっと人の選り好みの激しい奴だろっ?!)


そもそも四郎ヶ原だって成海とは友だちではあるが、村崎と比較されれば切り捨てられるだろうという立場でしかない。吉武や薫に至っては村崎なしに付き会うことはないだろう。
中等から入学し、注目を浴びまくっていたこのイケメンは、いまだ村崎以外に大した価値を見出していないのだ。仮にも友だちである四郎ヶ原はある程度の認識はしているだろうが、それもたかがしれている。

そんな超絶偏食家の成海が、潮を……?


(……ないだろ)


だって潮は、村崎とは真逆のタイプだ。村崎はただ側にいるけど、潮は人の領地に土足でズカズカ踏み込んでくる。村崎だけを懐に入れた成海に潮が受け入れられるはずがない。

にこやかに談笑している2人を見比べ、四郎ヶ原はなにか大きなことが起こり始めていることを感じ、冷や汗を垂らした。そして自分の中に少し期待している心があることに、そっと目をつむる。

さてさて台風の目は中心にいる潮か、なんだかんだと周りが巻き込まれていってる村崎か、それとも時代の寵児、四郎ヶ原か。いったい誰になるだろう。

もう一度言うが、これは四郎ヶ原と会長が縦に並んで村崎の部屋を訪ねる数時間前の出来事である。







そして現在。会長は村崎の寝室を覗いて珍しく絶句していた。

本来クリーム色の壁や天井は、藍色一色に塗り替えられていた。村崎が自分でやったせいでペンキが垂れた形に固まっている部分もある。そしてなにより会長の目を奪ったのは、壁一面にかけられた四郎ヶ原の作品たちだった。

寝室の真ん中がベットで、囲むようにして所狭しと絵がかけられていた。ベット脇にはよく分からない彫刻や粘土も置いてある。全体的に統一感に欠けていて取り留めがない。

会長が1つの絵画に手を添えた。


「これは……」


昨日、四郎ヶ原が置いて帰ったものだ。暖色を主に使った抽象画で、何を描いているのかは分からないが全体のバランスは恐ろしくいい。絵がよく分からない村崎にはその程度の評価しかできない。


「四郎ヶ原の試作品か失敗作だと思います。あいつ、置いて行ったんで」


かつての驚異的な金額を叩き出した作品たちに関しては、四郎ヶ原はいつも村崎の目が直接届かないところで製作し、いつの間にか学校側に申告している。置いていくということは、つまりはそういうことなのだろう。

会長が顎に手を置いてしばし考え込んだ。


「あのバカは、何を考えているんだ」


芸術特待生、特に美術特待生は、作品を作り上げると学校に申し出なければならない義務がある。

村崎の知っている限り、四郎ヶ原はその規則を芸術特待生になった当初から破っていた。





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あきゅろす。
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