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沈殿した汚物
7


はっ、と覚醒した潮が四郎ヶ原の腕を握る手に力を込めた。


「いま大河内って言っただろ! 潮って呼べよ!」

「ええ? 今さら?」

「呼んでよ!」

「今?」

「うん!」

「うしお」


にへら、と笑う。もじゃもじゃの髪と分厚いメガネで表情はよく分からないが、それでも潮が嬉しそうにしているのだけは伝わってきた。

たぶん、これが村崎だったら「ゆうと」と呼んだところで、こんな反応は返ってこない。嬉しいとか嬉しくないとかではなくて、「なに」と言いながらこちらをじっと見てくるのだ。
そんなマイペースな村崎の隣にいるのも心地いいのだが、こういうのも良いかもしれない、と四郎ヶ原は思った。同じく、気の抜けた笑顔を潮に返した。

嬉しそうに笑い合っているバカ2人。頃合いを見計らって「L組の理性」は口を開いた。


「大河内って四六と同じ部屋ってことは芸術できんだろ」

「うーん……たぶん? ていうか委員長、潮って呼べって!」


ちなみに「L組の理性」はL組の学級委員長でもある。バカ共を纏め上げるその手腕に教師陣は涙を流して感謝したとかなんとか。


「そういや会長が講演で感動したとか言ってたような……」


四郎ヶ原が会長と言った瞬間、潮の顔があからさまに歪んだ。

運動部の生徒は早々に出て行ったが、残っていた生徒がわらわらと四郎ヶ原と潮の席の周りに集まってきた。

「なに、潮ちゃんの話?」
「講演だって」
「なんの?」
「音楽?」
「あ、もしかして潮くんって楽器できるの?」
「じゃあ今度セッションしようぜー」
「おまえジャズばっかじゃん。なあ、おれとクラッシックやろ」
「はあ? ジャズけなしてんのか糞野郎!」
「ジャズじゃなくておまえのジャズをけなしてんの」
「じゃあいい」
「いいのかよ」
「ねえぼくが歌うから演奏してよ」
「潮ちゃんの演奏が聞きたい」
「おれもおれもー」

勝手にどんどん話が進んでいく。潮も大概人の話を聞かないが、それはL組全般にも当てはまる。

昼食時の会長とのキス事件で、潮は完全に学園の生徒を敵に回し、今や学園中の嫌われ者だ。しかし、ここは他クラスの影響を一切受けない独立国家のゴーイングマイウェイなL組である。刺激し、刺激され、それによって自分の能力を高めていくことに全ての関心を捧ぐ者たちの塊だ。ひたすらに自分を追い求めているので、他人に向ける関心は極端に少ない。


「いや、音楽じゃなくて……」


今までざわざわしていた群衆たちがシーンと静まり返ったと思ったら、一拍置いてまたざわつきだした。


「音楽じゃないって」
「でも、講演でしょ?」
「ほら、四六も絵の講演をやらされてたじゃん。あんなやつかもよ」
「あれね、ぼくは聞きに行ったよ」
「あれって海外だったし、学校あったくなかった?」
「休んだ」
「こいつバカだ」
「四六が、がっちがちに緊張していて面白かったよ」
「しゃあねーよ、四六だもん」
「ねえねえ、潮ちゃんは絵を描くの?」
「油?」
「水彩じゃないの?」
「彫刻かもよ」


「お、俺、バレエ……」


またしても場が静まり返った。
潮が少々居心地悪そうにもじもじしている。一般的に、あまりメジャーではないと分野だと潮自身思っている。人に伝えるとき、ちょっとした気恥ずかしさがいつも抜けない。


「バレー?」


口火を切ったのはその一言だった。


「えー、スポーツ?」
「芸術じゃなくて?」
「スポーツならなんで四六と同部屋になるの?」
「ていうか、バレー部に入ってないよへ?」


「あ、あのっ、バレーじゃなくてバレエ!」


へえ、と四郎ヶ原が呟いた。

音楽、美術が多いこの学園で、バレエは珍しい。しかもあのロボットのような会長が感動したとなると、それなりに知られているのかもしれない。

本格的に潮に興味を持ち始めたのは、四郎ヶ原だけではなくL組全般だった。教室の空気が変わった。

「バレエで大河内潮? 聞いたことない」
「おれも」
「誰か知ってるやついる?」
「知らなーい」
「芸名使ってたとか」
「あり得るね」

「じゃあ」全員の目が潮を貫いた。皆一様に爛々と輝かせている。


「踊って、大河内潮」


怪我してる、って訴えてもそこはL組、一歩も引かなかった。潮は助けを求めて四郎ヶ原を見るも逆に期待の眼差しを返された。委員長は着いていけないとばかりに群衆から少し離れた所にいる。よって、潮を助けてくれる者は誰1人いない。

沈黙の中に、多くの期待が渦巻いている。耐えきれなくなった潮がおずおずと軽くジャンプすると、たくさんの視線に射抜かれた。「もう一回」とハモる連中と、何かを掴んだのか、教室を出て行くクラスメイトが数人いた。

数ヶ月後、バレエを題材にした作品が多く提出されるはまだ先の話である。






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