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沈殿した汚物
5


水を得た魚のようにいきいきと語りだした会計に一言も口を挟めずに四郎ヶ原が圧倒されているところ、ドアを開けて会長が颯爽と現れ、四郎ヶ原を猫みたく掴んで村崎の部屋へと投げ入れた。

ごろんごろんと四郎ヶ原が村崎の目の前まで転がってくる。村崎は足元で倒れている四郎ヶ原を見下ろした。全身を打ち付けて非常に痛そうにしている。泣きそうなのはいつものことだ。


「お前はもっと穏便にならないのか」


廊下では会長が会計に向き直っていた。こうして並んでみると、驚くほどタイプの違う2人だということがよく分かる。会計は返事の代わりに肩をすくめて笑ってみせた。答えは否、ということなのだろう。

会計がやたら親しそうに会長の肩に触れた。馴れ馴れしいその手を会長がハエを払うかのように邪険に扱っているあたり、そこまで仲が良いわけでもないようだ。会計は気にした風もなくへらへらと笑っている。


「ていうか会長、一般生徒の部屋なんか訪ねてだいじょーぶなんですかぁ?」

「ああ」

「えぇ? あんたの影響力ってこの学園だとちょー大っきいと思うんですけど」

「相手は村崎だ」


会長の一言で会計はふーん、とおとなしく黙った。どうやら会長の前では少しはお上品にしているらしい。普段の会計は1つの言葉に10の返答を好む。

全校生徒の村崎に対する認識は「四郎ヶ原六美のお気に入り」で間違いではない。そのせいで、一般生徒はおろか教師陣まで村崎には変に遠慮している。それは四郎ヶ原がこの学園においての最重要人物だからで、村崎個人の力ではない。

足元に座っている四郎ヶ原を見下ろし、こんな貧相なただの平凡男が次期人間国宝とまで称されている事実に未だに実感がわかない村崎だ。それでも、あの作り出された数々の作品の異常な出来栄えは理解しているつもりではある。本人はこんなにも素朴な子どもなのに。

村崎が足先で四郎ヶ原を小突くと相変わらずいい反応が返ってきた。

玄関を会長が塞いでいるので体をずらして会計が中を覗き込んできた。会計と村崎の視線がばっちり絡み合う。続いて会計は四郎ヶ原に目を移した。

会計がにんまりと笑った。


「最近、転校生と急に仲良くなったんだってねえ?」


なおも会計は四郎ヶ原を見ている。オ、オレっすか……? とでも言うように恐る恐る四郎ヶ原は自分を指差した。顔を真っ青にしている四郎ヶ原にはお構いなしに会計はこともなげに「うん」と肯定した。

会長が体をずらしたせいで会計の姿は再び見えなくなった。「もう用は済んだだろう」という会長の言葉は会計に黙殺される。

姿が確認できなくても会計がこちらを見ているのが分かった。


「いや、べ、べつにそんなことも……ない、ような……ある、ような……」


四郎ヶ原がもじもじしている。そんな四郎ヶ原に不思議で仕方がないとでも言うような声が返ってきた。


「ねえお前、いつまでそうやってるの」


いつまでって? と四郎ヶ原がオロオロしている。その様子に、会計の声が急に真面目なものに変わった。


「いつまで普通の人間のフリをしてるの」


四郎ヶ原が固まった。


「お前と村崎のきんっっもちわるい関係を引っ掻き回してやろうと思ってたけど、気が変わった。会長の食堂ちゅー事件とか一昨日の村崎の悲鳴とか俺的に色々ツッコミたいとこいっぱいあったんだけどさ、うん、今の俺はお前に一番興味あるよ、四郎ヶ原」


後半は会長がドアを閉めたことによって途切れ途切れにしか聞こえなかった。それでもドア越しの廊下から笑い声が聞こえてくる。イヤな好奇心を滲まさせた会計の顔が村崎の脳内にありありと浮かんだ。

村崎が見下ろすと、四郎ヶ原は表情がごっそり抜け落ちた顔で固まっていた。その四郎ヶ原らしくない様子に村崎は驚いた。


「四郎ヶ原?」


村崎が近寄ると、四郎ヶ原は村崎の細い足を掴んで力ずくに引っ張った。バランスを崩す。村崎はフローリングに思いっきり背中から落ちて一瞬呼吸が詰まった。内蔵がぜんぶ飛び出したような衝撃を受けた。


「っ!」


村崎はその年の男子にしては小さく細い。それでも四郎ヶ原だって大した体格はしていないし、不意打ちとはいえそう簡単に倒せるものでもないだろう。普通なら。ただ、こういう時の四郎ヶ原は全てにおいて爆発的な力を見せる。

衝撃に苦しんでいる村崎の上に四郎ヶ原が馬乗りになった。村崎に四郎ヶ原の黒髪のくせ毛が降り注ぐ。唇と唇がひっつきそうな距離でギラギラ光る目が村崎に向けられていた。


(あ……)


見つめ合う。

素っ気ないと言われるが村崎は四郎ヶ原が好きだ。
初等部から中等部の途中までは同じ部屋で、クラスもよく一緒になったし、教室でも寮でもずっと一緒に過ごしてきた。それこそ実の弟よりも四郎ヶ原との方が兄弟らしいと思っている。

四郎ヶ原が望むなら、村崎だって己の体を差し出すぐらいのことはなんの躊躇もなくしただろう。それぐらい仲が良かったし、もともと村崎はそういう痛みや悲しみに鈍感なところがある。

村崎から見た四郎ヶ原六美という人物は、調子が良くて、発言に全く責任を持たなくて、困ったことがあるようならすぐ人に頼ろうとするクズだ。それにビビりだし、何かあったらすぐに泣く。全体的に我慢を知らない。

村崎は四郎ヶ原が泣くのが好きだった。幼子のように羞恥の欠片もなく泣きたい時に感情のままに泣く。映画を観ては泣いて、痛かったら泣いて、悲しかったら泣いて、嬉しくても泣いていた。そういう自分には理解できないところを持っているところが村崎にはとても好ましく、また近くにいて楽しかったのだ。

そして目前の四郎ヶ原を見つめる。そこにあの村崎が好いた泣き虫な四郎ヶ原はいなかった。


(四郎ヶ原がいなくなった)





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あきゅろす。
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