沈殿した汚物 4 ドアを開け、そこに立つキラキラした人物に村崎はかつてないほど驚いていた。振り返って時計を確認すると夜の9時30分とある。他人を訪ねるには少々失礼な時間ではなかろうか。 いや、そもそもなんでこの人がおれを訪ねてくるんだ。村崎が一方的に見かけることはあっても、一対一でこうしてきちんと向き合ったことはない。 そろそろとドアを閉めようとするとガッと手が伸びてきて力ずくでこじ開けてきた。 「夜分遅くにすまない」 と、綺麗な顔で淡々と言う。顔とセリフと行動がおそろしく噛み合っていない。 「そう思うならそれらしい顔をしたらどうですか、会長」 村崎は自分で言いながら親衛隊に聞かれたら殺されそうだな、とぼんやり思った。 む、そうだな。と会長は返事をしながら生真面目にも悩み始めた。数秒の思案の末、眉尻を下げることにしたらしい。器用にも見事に申し訳なさそうな顔をつくることに成功している。 「夜分遅くにすまない」 しかし声には相変わらず感情がこもっていない。 村崎の会長に対する認識は、たった今「ロボットのような人」に変更になった。その綺麗すぎる顔もなかなかテンポが掴めない性格も、ひどく人間離れしている。 こんな機会は滅多にないだろうということは流石の村崎にも分かった。現に初等部から通っているにも関わらずこうして話しをするのは初めてだ。せっかくなので思う存分その美貌を真っ向から見つめることにした。そうすると、黒よりも黒い夜の帳のような目に吸い込まれそうになった。つくづく綺麗な人だ。 決して派手にはしていないし、特別着飾ることもしていないのに、この人はどうしてこんなにも目立つのだろう。綺麗に伸ばされた背中のせいだろうか。いや、たぶんそれだけではない。 村崎は体をずらして玄関に通した。業者による掃除で汚くはないはずだ。自称真面目である村崎に見られて困るものもない。 「まあ、何もないですがどうぞ」 「お邪魔する」 長身の会長に隠れるようにして立っていた人物が連なって入ろうとしたところで村崎は勢いよくドアを閉めた。鍵も忘れずにかける。幼稚なことをしているのは自分で一番理解している。 いくら会長の背に隠れていようとも、はみ出していたくせ毛の黒髪がその人物が四郎ヶ原であると指し示していた。毎回思うが、どの面さげてやってくるのか四郎ヶ原の精神力は計り知れない。 どんどんドアを叩く音が非常に鬱陶しい。その泣きそうな声だって耳障りだ。 「ごめんっ、ごめんって村崎ぃ……!」 どれだけ謝ったところで、世の中にはやって良いことと悪いことがある。しかも何度も繰り返しているあたり全く懲りていないというか、根本的なところで全く反省していないのだろう。 この四郎ヶ原の面の皮の厚さには常々脱帽している村崎だ。これほど厚かましい奴もいない。調子がいいというか、発言に責任を持たないというか。とにかく軽い奴なのだ、四郎ヶ原は。確かそういうところが面白くて村崎は四郎ヶ原と仲良くやっていたのだが。 ドアの前で立ち尽くす村崎を会長が高い位置から見下ろしていた。村崎が振り返ったところで会長の黒目と視線が交わった。会長は臆せずに人をまっすぐに見てくる人だ。これだけ目が合うのもなんだか落ち着かないが、村崎も人と目を合わすのが癖のようなところがある。2人とも逸らさない視線はなんだか終わりがなくて、お互いなにも知らないのに変に繋がっているような気がした。 静かに会長の口が動か動く。 「村崎くんは四郎ヶ原が嫌いなのか」 こうやってハッキリ聞いてくるのも珍しい。気遣いや気後れが見て取れないのがなんだか面白くて、村崎の頬の筋肉が緩んだ。純粋な興味のようだ。村崎は感情に素直な人が好きだ。 「村崎でいいです」 「そうか」 「嫌いではありません」 「そうか」 だが、今回の件では四郎ヶ原もいた方がいい。そう言って会長は村崎の頭を撫でた。 「……」 これは、振り払ってもいいのだろうか。どういう意味なのだろう。 「村崎は弟を思い出す」 会長がポツリともらした。 「弟、いらっしゃるんですか」 「ああ、とてもかわいいのが1人」 ふんわりと笑う。あまりに綺麗すぎて驚いた。 この会長の弟ならさぞかし美人だろう。 無言でなでなで。顔の筋肉を1ミリも動かさないでよくこんなことができるものだ。こちらの静けさとは逆に、ドアの向こう側では四郎ヶ原が何やら喚いている。しばらくすると隣からバンッと音が鳴って、「あいたっ!」という四郎ヶ原の声と共にゴンッという何かがぶつかる音がした。 「連日うるっさいッ! なんで毎日毎日ドアの前で騒いでんだよ! バカか!」 巻き舌が素晴らしいこの声は、村崎の隣に住んでいる生徒会会計だ。頭も真っ黄色でチンピラさながらのくせに、顔だけは無駄にいい。耳のピアスの数が日々増えていて、現在では凄いことになっている。 ビビリの四郎ヶ原が平謝りしている。ざまあみろ、とちょっとだけ笑った。 「こんなに毎日騒がれたら寝れないだろ! どうしてくれんだどう責任とってくれんだ、なあ、四郎ヶ原六美ィー?」 クレーム大好きの隣人には恐れ入る。今時夜の9時30分に寝るなんてどこの小学生だ。 「え、先輩9時30分に寝てるんスか?」 そしてそのまま謝っとけばいいのに、バカはバカ正直にバカなコメントをしていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |