沈殿した汚物
3
会長はサイン入りのワイシャツをいそいそとズボンに入れ込み、サインが書いていること以外は完璧な生徒会長スタイルに戻った。そして自然な流れでもじゃもじゃ頭に手を差し出した。その動作があまりにもスムーズだったので、差し出された手の意図をすぐには汲み取れなかったらしい。もじゃもじゃ頭は頭上に大きなハテナを浮かべながらただ手を見つめている。
しばらくしてから「サインと握手を」とさっき会長が言っていたことを思い出し、もじゃもじゃ頭は慌てて手を握りにいった。繋がれた手を見下ろし、心なしか会長の口元がほころんだような気がする。
握手は緩やかに上下に振られた。
「よろしく。山路悠人(やまじ ゆうと)だ」
「お、俺は大河内潮!」
「名簿を見たので知っている」
「……」
会長の返答にもじゃもじゃ頭、もとい大河内潮はなんとも言えない微妙な顔をしていた。どうも会長の独特のテンポに慣れないらしい。
会長は名残惜しげに手を離し、くるりと体の向きを変えた。
「それはそうと四郎ヶ原六美」
「は、はいいいッ!」
なんでオレっ!?
と四郎ヶ原が半泣きになった。世界中から注目されているにも関わらず、四郎ヶ原六美は本来目立つことが得意ではない。
「去年の夏からまた作品の報告が上がってきていないのだが、制作は順調か?」
「あ、はい、一昨日もーーーーあ」
そして四郎ヶ原は村崎にチラリと視線を寄こしてきた。
蕎麦をすすりながら、四郎ヶ原がこちらの存在に気づいていたことに村崎はびっくりしていた。四郎ヶ原たちはこれ以上ないレベルで目立っているが、村崎と成海はこじんまりと席に座り、これと言って盛り上がることもなく坦々と昼食を食べているだけである。
四郎ヶ原は己の失態にやっべ、と内心叫びながら会長に向き直り、「ぼ、ぼちぼちです」と取り繕おうとするも、当の会長は静かに村崎を見つめていた。
綺麗な顔が、なぜか村崎をとらえて離さない。村崎も蕎麦を口に含みながら見返した。
隣で成海が立ち上がった。
「成海?」
村崎が成海を仰ぎ見る。
いつになく硬い顔をした成海がいた。
「戻ろう」
「でも、おまえまだ食べ終わってないだろ」
「いいから」
成海は今なおのんびり座っている村崎の腕を引っ張って無理矢理立たせた。そのまま食堂を大股で進む。
村崎は目を白黒させながらも成海の誘導に従った。その手には置き忘れた割り箸が握られている。
村崎の蕎麦はあらかた食べ終わっていたが、成海の唐揚げ定食はまだ3分の1ほど残っていた。日頃からカロリー補給を怠らない成海にしては珍しい。
成海の手加減のない歩幅にコンパスの差がある村崎は当然ついていけない。半分引きずられているような状況で村崎が振り返ると、四郎ヶ原が両手を合わせて「ごめん!」というポーズをとっていた。
そのすぐそばで会長が何を考えているか分からない顔でまっすぐに村崎を見ていた。
◇
ずるずる腕を引っ張られて進む小柄な生徒を大河内潮はキョトンとした表情で見送っていた。
「なあなあ、今のだれ?」
地味なくせになんとなく目立つ生徒だった。
「あー」とか「うー」とかで四郎ヶ原はまともな返事をしてくれない。1人で忙しそうな四郎ヶ原に回答を求めるのは諦めて、メガネの青年、生徒会副会長の東(あずま)に標的を移した。
「ああ、成海ですよ。あいつ目立ちますからね」
「成海……」
大きめのカーディガンを着ていたから小柄さがより強調されていた。しかもあんなに引きずられていたのに、表情があまり変わらなかった。感情が読めなくて、なんとなく言葉が通じない人間ではない生物を連想させる。不思議な雰囲気を纏った人だった。
「もしかしてあいつに興味持あるんですか?」
「うん、まあ、……ちょっと気になる」
「ええっ」
副会長がぐわりと目を見開いた。すさまじい剣幕にさすがの潮も一歩下がる。
「成海だけはやめて下さいッ! あんな性格の悪い奴……!」
副会長が一歩近づくと連なって潮も一歩下がった。そんなやり取りを数回繰り返す。
潮がついに副会長に両手を掴まれた。興奮している副会長に、潮の引きつった顔は見えないらしい。
「それにあいつには村崎がいますし!」
「村崎?」
潮の頭に黒のカーディガンの生徒を引っ張っていた長身の生徒が浮かび上がった。一瞬こちらを鋭い目で睨んでいた。人好きのしそうな爽やかな顔に似合わず、どことなく冷たそうな人物だ。
というか、
「昨日、六美を叩いてた奴だ」
「四郎ヶ原を? 村崎が?」
副会長は掴んでいた潮の手を離し、顎に手を当てた。副会長の印象では、村崎ゆうとはあまり自己主張をしない性格だったはず。村崎の性格からして四郎ヶ原を公衆の面前で叩くというのはどうも結びつかない。彼はそんなに行動派だっただろうか。
まあ、そんなこともあるか。なにせ村崎ゆうとはよく分からない人物だ。
「村崎は四郎ヶ原のお気に入りですからね」
「なに? 村崎がオレの?」
四郎ヶ原がひょっこり会話に入ってきた。
副会長がとたんに嫌な顔をした。四郎ヶ原はそれを見て、「なんでもないですー……」とスススススと後ろに下がった。そんな四郎ヶ原を止めるのはいつだって空気の読めない潮だ。
「友だちになりたい!」
「え? おまえ口では散々オレのこと友だちだとかなんとか言っといて、本心じゃまだ友だちじゃなかったの?」
「違う! 六美と俺は親友だ!」
「い、いつの間に親友に発展したんだろ……」
「俺、さっきの成海って奴と友だちになりたい!」
「えー?」
あいつと仲良くなったところでそんな良いことないと思うけどなー……、と思うも四郎ヶ原は口にしない。成海のファンは実害は皆無だが変に過激なのが多いことは百も承知だ。面倒くさい人が集まっているので、あまり進んで関わり合いになりたくない。
成海は懐に入れる人間を厳しく選ぶから、仲良くなるのは難しいとは四郎ヶ原は思う。そういえば村崎はどうやって成海と仲良くなったのか。四郎ヶ原は村崎経由でそれなりに仲良くなったが、あの気難しい成海に伝手なしで近づこうものなら爽やかな笑顔で強固な壁をつくられることだろう。
ま、いっか。
楽天的なのは四郎ヶ原の特徴だ。
「それじゃあ、連絡先教えようか? それとも放課後クラブでも見に行く?」
「クラブ?」
「あいつバスケ部」
「あの細腕で?!」
「え、あいつ細かったっけ……?」
むしろたくましいぐらいだったような……?
放課後一緒に行こう! と満面の笑みを向けられ、四郎ヶ原はその邪気のない様子になんとなく断る気が失せていくのを感じた。
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